京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

観智院(東寺別格本山)の新緑

2021年05月27日 08時36分00秒 | 日記
 観智院は東寺一山の勧学院で別格本山の寺格を有する寺院です。





密教経典を多く所蔵し、その質量は膨大な数に昇るそうです。

客殿は慶長10年(1605)の再建で桃山時代を代表する書院造りです。



床の間の"鷺の図"と襖絵"竹林の図"はいずれも剣豪・宮本武蔵の筆によります。

長らく銅板葺の屋根でしたが、5年前に本来の姿の柿葺一部檜皮葺の屋根に戻されました。







書院前の庭園は「涅槃禄-長者の庭-」です。



平成29年に真言宗立教開宗1200年を記念して新たに作庭された庭園です。



書院の床の間と襖絵は浜田泰介画伯により描かれた「四季の図」です。
各部屋にはテーマ毎に「春の朝」、「初夏の芽」、「秋の音」、「新雪」に分けられ描かれています。





最後に本堂にお詣りします。

中国唐時代の五大虚空蔵菩薩像です。847年に唐に渡った僧恵運が招来したもので唐の都長安の青龍寺金堂のご本尊だった仏さまです。

虚空蔵とは知恵の仏さまとして知られ、無尽蔵、広大無変の知恵を無尽に蔵していることを意味します。

京都では他に「十三まいり」で名高い嵐山の法輪寺のご本尊さまが虚空蔵菩薩です。



江戸時代の愛染明王像です。
愛の明王として知られ、愛欲や貧染をそのまま浄菩提心まで昇華させる、煩悩即菩提のご本尊です。

見た目は憤怒相の怖い表情をされていますが、今日では縁結び、子宝のご本尊としてお詣りされています。

以前は書院の一室で呈茶をされていましたが昨今のコロナ禍の中、中止されているのが残念です。



観智院の御朱印は東寺食堂で授与されています。



東寺(教王護国寺)の新緑

2021年05月26日 08時48分00秒 | 日記
 東寺の始まりは都が延暦13年(794)平安京へと遷都された2年後に造営が始まった官寺です。





弘仁14年(823)に嵯峨天皇より弘法大師空海に下賜されます。


国宝の金堂です。
今の金堂は豊臣秀頼の発願、片桐且元を奉行に慶長8年(1603)に完成した桃山時代を代表する建築物です。



内部には薬師三尊がお祀りされ、薬師如来坐像の台座の周りには十二神将がお祀りされています。共に重要文化財です。



重文の講堂です。
弘法大師空海が真っ先に建設に取り掛かったのが講堂です。







内部には大日如来を中心にした立体曼荼羅と言われる真言宗密教の世界観が諸仏により表現されています。
15躰の仏像の内、10躰が国宝です。





また、内陣を御守りする四天王像、帝釈天像、梵天像の6躰も国宝です。





国宝の五重塔です。
京都タワーと並び京都のランドマーク的な存在です。
現在の建物は五代目で正保元年(1644)徳川家光による寄進で建設され、相輪までの高さは約55mあります。



初層内部には心柱を大日如来に見立てた五智如来の世界観が表されています。








境内にある国宝の大師堂です。
最近に屋根の葺き替えが終わっています。
もとは弘法大師空海の住房で内部には空海の念持仏と言われる国宝の不動明王像と国宝の弘法大師造営が安置されていますが不動明王像は秘仏で今まで公開された事はありません。






この後、東寺の宝物館を見学し、西側を散策しました。





平安京の入口に当たる羅城門跡です。
今は公園になっていて石碑以外には当時の痕跡は全くありません。



羅城門の楼上にお祀りされていたと言われる国宝の兜跋(とばつ)毘沙門天立像です。







さらに西側には西寺跡があります。
東寺が弘法大師に下賜されたとほぼ同時期に守敏に下賜されましたが衰退し、今は公園となり石碑と数個の伽藍石が残るのみです。

なお、諸堂内部、仏像の写真は絵葉書及びネットからの転載です。









四天王寺 聖徳太子御遺跡⑨

2021年05月26日 08時13分08秒 | 日記
 四天王寺は今から1400年以上も前の推古元年(593)に建立された我が国最初の官立寺院です。







伽藍は中門(仁王門)、五重塔、金堂、講堂が一直線に並び、それらの諸堂を回廊が囲む"四天王寺式伽藍配置"で最も古い建築様式のひとつです。



境内にお祀りされている守屋社です。
崇仏派の蘇我馬子、聖徳太子と廃仏派の物部守屋とが戦い前者が勝利しています。





再建される前の五重塔の内部です。
北側の扉が開けられていましたがアクリル板の反射でよく見えません。

五重塔の再建は苦難の連続でした。



昭和9年(1934)に近畿地方を直撃した室戸台風により倒壊、昭和15年(1940)に再建されました。



しかし、昭和20年(1945)の大阪大空襲により五重塔をはじめ諸堂のほとんどが焼失しています。

現在の金堂内です。





次に講堂です。






十一面観音菩薩立像をはじめ、阿弥陀如来坐像がお祀りされています。

西門前にある石の鳥居で、重要文化財です。





中心伽藍だけでは無く、広い境内には様々なお堂が建っています。













また、有料ですが本坊庭園も見る事が出来ます。













最後の"六角亭"は明治36年(1903)に開催された第五回内国勧業博覧会て「小奏楽堂」として建てられたもので唯一、現存しているもので国の登録有形文化財です。


阿弥陀堂の奥は"あべのハルカス"です。





また、境内には聖徳太子を慕う弘法大師空海や親鸞、元三大師良源のお堂もあり庶民にも広く親しまれている"四天王寺さん"でもあります。

最後に御朱印を授与して頂きました。














野宮神社の新緑

2021年05月23日 07時35分00秒 | 日記
 祇王寺の帰りに野宮神社へお祀りに立ち寄りました。






いつもは若い女性で賑う境内も誰も居ない状況で"ホントに野宮さん?"って感じです。



"黒木の鳥居"です。
樹皮の付いたままの鳥居で、原始的日本最古の形式です。
神社ではくぬぎの木を使い3年毎に建て替えをされてきましたが用材の不足が問題でした。

今の鳥居は香川県高松市の会社が徳島県の剣山(つるぎさん)の麓から切り出し、防腐加工を施し奉納されたものです。





縁結び、進学の神様として人気のある神社だけに多くの絵馬が奉納されています。





境内の奥には綺麗な苔の庭園が広がっています。





梅雨時期の苔庭は水分をたっぷりと蓄えた緑のふわふわの絨毯のようです。





「源氏物語」の「賢木」の舞台にもなったところで光源氏と六条御息所の心情が偲ばれます。
苑路には黄菖蒲が咲いていて一瞬、華やかさを感じますが、「源氏物語」の世界を想うとはかなささえ感じてしまいます。









 



祇王寺の新緑

2021年05月22日 08時42分00秒 | 日記
 宝筐院の美しい新緑を楽しみその後、奥嵯峨にある祇王寺を訪ねました。





「平家物語」にも登場するお寺です。
四季を通して楽しめるお寺ですが、やはり春の新緑、秋の紅葉は見応えがあります。





受付を終えた境内に入ると地面には苔の緑が、視線を上げるともみじの新緑がまばゆいばかりです。









陽当たりなどの環境で違う種類の苔が自生しています。
苑路には代表的な苔の鉢植えや案内板があり参考になります。



ユキノシタです。





苔むした手水鉢にも風情を感じます。







祇王寺は明治初年に廃寺となりました。
その後、大覚寺による再建計画を知った第三代京都府知事だった北垣国道が明治28年に嵯峨にあった別荘の一棟を寄付されたのが今の祇王寺の建物です。





"吉野窓"から見える新緑も魅力的です。
仏間にはご本尊の大日如来を挟み、平清盛、祇王、祇女、ふたりの母親・刀自、仏御前の像が寄り添うようにお祀りされています。
なんだか不思議な気持ちになりますね。





近くには平清盛の供養塔と祇王、祇女、刀自の墓が並んで建っています。



いつも御朱印を授与して頂くのは、ご本尊さまにお祀りした証になるのは無論ですが、お寺や神社の維持費のほんの一部にでもなれば、、、との想いがあるからです。





帰りに"竹林の小径"を通りましたが、途中数人の方とすれ違った以外は無人でした。
嵯峨野の"顔"だけに寂しさを感じます。