京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

平安神宮神苑の紅しだれ桜

2020年04月08日 09時12分00秒 | 日記
 毎年楽しみにしていた"平安神宮紅しだれコンサート"が中止になってしまい、どうしても神苑の桜が見たくてやって来た次第です。





誰もいない応天門。


白虎楼から入りまずは南神苑です。




南神苑には日本最古の電車の実物が展示保存されています。明治44年製の「京都電気鉄道」の"2号電車"で琵琶湖疎水の水を利用した電力で東洞院塩小路下ルと下油掛の間を走った電車です。今回、国の文部審議会で重要文化財に指定される事になりました。




しだれ桜の下にいると桜の存在感に圧倒されてしまいます。
きっと"これだけ精一杯に咲いているのに、見てくれる人が少ないなぁ、、、"と思っている事でしょうね!
"来年も必ず来るからね!"と心の中で声をかけました。






西神苑です。


中神苑です。拝観者が多いこの時期は渡る事は出来ませんが今年は例外ですね。




いよいよ東神苑です。
今までとは趣きを換え、開放感たっぷりの庭園です。
七代目小川治兵衛(植治)の作庭力が最も発揮された庭園だと思います。







植治は生前にお世話なった三名の恩人の名を語っています。

ひとりは無鄰菴の施主・山縣有朋です。山縣に見出された植治は山縣の作庭意図をよく汲み取り、"無鄰菴"と言う近代日本庭園の礎を築きました。

ひとりは薩摩出身の伊集院兼常です。彼の作庭発想は今までには無いもので、建物を池泉の上にせりださせ、建物内に居るとあたかも池泉の上に浮かんでいるような錯覚さえ覚えるユニークなものです。

彼の作庭の素晴らしさは京都ホテルオークラ東側にある"廣誠院"や南禅寺別荘群のひとつ"對龍山荘"を見れば良くわかります。
(庭園と建物との調和が特に素晴らしく感じます。)

最後のひとりは中井弘です。薩摩藩出身の政治家で滋賀県知事時代には北垣国道京都府知事と協力し、琵琶湖疏水の建設に貢献。その後、貴族院議員を経て第五代京都府知事に就任。「京都三大問題」に取り組みます。

その中のひとつ、平安遷都千百年記念祭では桓武天皇をご祭神に平安神宮を創祀します。その神苑の内、中神苑、東神苑の作庭を植治に依頼します。






池泉の中には鶴島、亀島を配し、京都の伝統的な要素も組み込みながら京都御所から移築された"尚美館"、池泉に浮かぶ"泰平閣"(橋殿)を配置。どの角度から見ても素晴らしい庭園です。



自宅の玄関に掛けている井堂雅夫さんの版画です。30年程前に大阪駅での個展で見て、一目惚れし、購入した"宝物"です。

最後に御朱印を授与して頂き、次に徒歩で金戒光明寺へと向かいます。








大御堂観音寺の桜と菜の花

2020年04月07日 13時02分00秒 | 日記
 大御堂観音寺は京田辺市にある寺院で天武天皇の勅願により創建されました。







その後、聖武天皇の命により良弁僧正が伽藍を整備し、七堂伽藍を備えた大寺院でした。

永享9年(1437)の火災で伽藍のほとんどを失い大御堂だけが再建されました。



なにより本堂には天平時代の国宝十一面観音立像がお祀りされています。奈良時代特有の一木式脱乾漆造と言う非常に手間の掛かる技法で造られており中は空洞になっている為、像高が173cmの割に重量は66kgと比較的軽い造りになっています。
その為でしょう、幾たびの火災にも関わらず救い出され、現在に伝えられているのです。

参道の両脇には桜並木が続き、畑には菜の花が咲き彩りを添えています。














海住山寺の桜

2020年04月07日 06時21分00秒 | 日記
 海住山寺は聖武天皇が都を恭仁京に遷都される6年前に創建されました。
その後、火災に遭い伽藍を全て失います。

70余年後、笠置寺におられた解脱上人貞慶が入寺し旧寺を再興されます。

現在、本堂の屋根の葺き替え工事中で素屋根に覆われています。

次に大御堂観音寺に行く予定なので境内の写真だけを掲載します。





海住山寺のウリはなんと言っても国宝五重塔です。
鎌倉時代建保4年(1214)に創建された塔で高さ17.7mと奈良室生寺の五重塔に次いで小さな五重塔ですが、初層に裳階(もこし)が付いた珍しい塔です。








参道にある楼門です。





次に、京田辺市にある大御堂観音寺へと向かいます。

桜だけではなく、畑一面に咲く"菜の花"が凄いです!





浄瑠璃寺(九体寺)

2020年04月06日 06時32分00秒 | 日記
 岩船寺を後にし、車で10分くらいの所に浄瑠璃寺があります。国宝の建築物、仏像、浄土式庭園、四季の花々と見所の多いお寺で"お気に入り"のお寺のひとつです。




まずは此岸(現世)の仏さまをお祀りしている国宝三重塔へ。
三重塔は1187年に京都市内から移築された建物で中心には薬師如来坐像(重文)がお祀りされています。






(仏さまの写真は、購入した絵葉書からです。)

此岸のお薬師さんに対して向かいには彼岸にあたる本堂(国宝)があり、中には九体の阿弥陀如来坐像(国宝)がお祀りされています。

お経のひとつ観無量寿経に人間は生きている間の行いにより下品下生から上品上生まで九つの"あの世"に行く事になっています。
当時の貴族はどの世界に行っても救われ極楽浄土へと行ける様に九つの阿弥陀如来像を造りました。 

当時、平安時代末期の末法思想のもと三十数ヶ所の九体阿弥陀堂が造られましたが現存しているのは、ここ浄瑠璃寺だけです。







本来なら九体の阿弥陀如来さまがお祀りされていますが二体は現在、修復中です。

中尊像の光背は後補ですが千体の阿弥陀仏の化仏と四体の天女が配された豪華な物です。



今年の夏には中尊の阿弥陀如来さまが修復に出られ、替わりに灌頂堂のご本尊大日如来坐像(秘仏)が中尊の位置に遷座されます。
間近でお詣りが出来る貴重な機会です。

秘仏の吉祥天女像(重文)も公開されていました。弁財天と共に女性の仏さまです。












 
こちら浄瑠璃寺も関西花の寺二十五ヶ所霊場の霊場のひとつで桜を始め様々な花が境内に彩りを添えています。

本堂内で10枚セットの絵葉書と多色刷り版画の6枚セットの絵葉書も購入しました。





いつ来ても、心なごむお寺のひとつです。

最後に御朱印を授与して頂き海住山寺へと向かいます。
















京都府木津川市加茂 岩船寺

2020年04月05日 06時51分00秒 | 日記
 円成寺を後にし、京都府木津川市加茂にある岩船寺を訪ねました。







山門を潜ると鮮やかな朱色の三重塔が出迎えてくれます。

三重塔の駒札にあるように、弘法大師空海と姉の子智泉大徳とゆかりの深くお寺です。

嵯峨天皇は長く皇子に恵まれず、智泉大徳に皇子誕生の祈願を命じたところ無事に皇子(後の仁明天皇)を授かります。
そこで弘仁4年(813)に伽藍が整備されたようです。



まずは本堂で、ご本尊さまにお参りします。坐高が3mもある大きな阿弥陀如来坐像で胎内の墨書から天慶9年(946)に制作された事が分かります。
平等院鳳凰堂のご本尊国宝阿弥陀如来坐像より古い阿弥陀さまです。

"祈りの回廊"キャンペーンの一環で普段は非公開の仏さまが公開されています。





普賢菩薩騎象像(重文)は平安時代の仏像で智泉作と伝わり、もとは三重塔に納められていたようです。




岩船寺は関西花の寺二十五ヶ所霊場の第十五番札所でもあり、四季折々の花が咲き特に梅雨時期に咲く色とりどりの紫陽花は殊に有名です。

当尾の里らしく境内には様々な石造物があります。





上の写真は、鎌倉時代の石室不動明王立像で重文。
下の写真も鎌倉時代の五輪塔(重文)で東大寺別当を務めた平智僧都の墓と伝わります。



鎌倉時代の十三重石塔でこちらも重文です。ミツバツツジと白木蓮とが脇侍の様に咲いています。

なんと言っても三重塔が岩船寺の主役ですね!





最後に関西花の寺の御朱印を授与して頂き次に同じ加茂町にある浄瑠璃寺へと向かいました。