三千院を参拝後、近くにある勝林院を訪ねました。
駒札にあるように勝林院は1013年に寂源(じゃくげん)により創建されました。
その後、来迎院が建立されると多くの僧侶が集まり、天台声明(てんだいしょうみょう)を研究研鑽する寺院となりました。
声明とはお経などの仏典に節を付けた仏教音楽のひとつです。
ご本尊の阿弥陀如来坐像は丈六の阿弥陀さまで1168年、勝林院住職顕真が法然上人を招いて念仏の教えについて問答を交わしました。(大原問答と言われています。)
法然上人は念仏を唱えれば極楽浄土へ往生できることを経典を引用しながら説きました。するとご本尊が光を放ち、法然上人の方が正しいことを証明しました。
この事により勝林院の阿弥陀さまは「証拠の阿弥陀」と通称されるようになりました。
大原問答には熊谷次郎直実が同行し、駒札のようなやり取りが法然上人との間であったようです。
現在の本堂は、江戸時代後期1778年に再建されたもので総欅造りで屋根は柿葺です。
随所に施された彫刻は素晴らしいものがあります。
再建から250年近くなり随所に傷みが目立つようになって来ています。
今まで無かったブルーシートが随所にかけられ、屋根の傷みが激しいのも残念です。
檀家さんや信者さんを持たない寺院だけに修復の費用を捻出するのは容易な事ではないようです。
一口2千円から寄付を募られています。
『聖道仏教 浄土仏教]は、数の言葉ヒフミヨ(1234)から観ると、ひふみよと唱える(詠う)ことそのモノだ。
聖道仏教(数学の摂取した e i π ∞)を既に【摂取不捨】(南無阿弥陀仏)したモノがヒフミヨ(1234)に生る。
もろともにあわれと思へヒフミヨは数より他に知る人もなし
≪…本尊・阿弥陀如来 が手から大光明を放ち、…≫を、『ヒフミヨ渦巻』の十八放射に想う・・・