
金地院は応永年間に京都北山に開創された禅寺です。
















その後、金地院崇伝が現在地に移転しています。

① 明智門(唐門)




① 明智門(唐門)
駒札にある様に、天正10年に明智光秀が母の菩提を弔う為に大徳寺に建立した門です。
明治初年にその門が金地院に移築され、当時あった絢爛豪華な唐門は現在、豊国神社に移築され国宝となっています。



金地院崇伝は徳川家康に近侍し、幕議に参画し「黒衣の宰相」と呼ばれていました。
寛永3年には後水尾天皇から「円照本光国師」の国師号を賜っています。
② 東照宮(重文)




横から見ると"権現造り"なのがよくわかります。
拝殿天井画は狩野探幽筆による鳴龍です。
③ 開山堂




内部には金地院崇伝の木像と十六羅漢像がお祀りされています。
③ 方丈(重文)

慶長16年(1611)伏見城の一部を移築した建物で、内部の襖絵は狩野探幽筆の「松雪図」、尚信筆の「鶴図」が描かれています。

正面にある「布金道場」の扁額は山岡鉄舟の筆によるものです。
④ 鶴亀の庭園(特別名勝庭園)



特別名勝庭園は美術品や工芸品に例えれば"庭園の国宝"的な庭園で、その第一号に指定されたのが天龍寺の曹源池庭園(夢窓疎石作庭)です。
寛永7年(1630)、小堀遠州作庭による枯山水庭園です。
遠州作庭とされる庭園は数多く存在しますが文献に残り確かな証拠があるのは金地院に残る"鶴亀の庭園だけです。
(作庭を急ぐ崇伝の手紙と図面で作庭を指図する遠州の手紙が残っています。)
特別拝観では長谷川等伯筆の「猿猴捉月図」や小堀遠州設計の茶室「八窓席」が見学できます。(今回は拝観していません。)



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