次に、近くの安楽寺を訪ねます。通常非公開のお寺ですが、春と秋、また躑躅、皐月の開花時期、7月25日のカボチャ供養の時に公開されます。



こちらでも本堂前に「花まつり」の接待がされています。
お寺の由緒は、後鳥羽院に寵愛されていた院の女官 鈴虫姫と松虫姫はある日、清水寺で法然上人の説法を聴き出家を決意し、夜中密かに院を出て「鹿ヶ谷草庵」を訪れ、住蓮上人、安楽上人のもとで剃髪出家します。
これを知った後鳥羽院は激怒し、専修念仏に弾圧を加え、住蓮、安楽は斬首の刑、法然上人、親鸞聖人は流罪となりました。
やがて流罪地から帰京した法然上人は斬首刑となった両上人の菩提寺を弔うために「鹿ヶ谷草庵」を復興し「住蓮山安楽寺」と名付け追善の寺としたのが今の安楽寺です。

本堂は江戸時代後期に常行三昧堂として使われていたものを移築、再建されたものです。国の有形登録文化財に指定されています。(書院と山門も共に)



上の写真が書院で7月25日のカボチャ供養の接待は、こちらで頂きます。ご近所や檀家さんの子供達が給仕をされ、ほのぼのとした雰囲気の中、美味しく炊かれた鹿ヶ谷カボチャを頂けます。

斬首刑となった両上人のお墓です。
次にお隣の法然院に立ち寄ります。



こちらでも本堂前に「花まつり」の接待がされています。
お寺の由緒は、後鳥羽院に寵愛されていた院の女官 鈴虫姫と松虫姫はある日、清水寺で法然上人の説法を聴き出家を決意し、夜中密かに院を出て「鹿ヶ谷草庵」を訪れ、住蓮上人、安楽上人のもとで剃髪出家します。
これを知った後鳥羽院は激怒し、専修念仏に弾圧を加え、住蓮、安楽は斬首の刑、法然上人、親鸞聖人は流罪となりました。
やがて流罪地から帰京した法然上人は斬首刑となった両上人の菩提寺を弔うために「鹿ヶ谷草庵」を復興し「住蓮山安楽寺」と名付け追善の寺としたのが今の安楽寺です。

本堂は江戸時代後期に常行三昧堂として使われていたものを移築、再建されたものです。国の有形登録文化財に指定されています。(書院と山門も共に)



上の写真が書院で7月25日のカボチャ供養の接待は、こちらで頂きます。ご近所や檀家さんの子供達が給仕をされ、ほのぼのとした雰囲気の中、美味しく炊かれた鹿ヶ谷カボチャを頂けます。

斬首刑となった両上人のお墓です。
次にお隣の法然院に立ち寄ります。