高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

ブログ離任式 2 木村が中央高校でしたがっていたこととは?

2008-03-29 09:11:48 | Voice

木村は何をしようとしていて、それはどう評価されるか

私は、1998年から9年間中央高校に勤務しました。9年間というのは、一言ではいえますが、考えてみると結構長い期間ですよね。だから、私のなかでも変化していった部分と変わらずブレない部分とわかれると思います。で、すごく興味があるのは、みなさんからみて、私は何をしようと努力しているように見えたか、そしてそれは、どこまで達成できているように皆さんにはみえ、それは、どのように評価できるのか、伺いたいと思います。ちょっと、その誘い水的に、私のほうから二つ三つ書いてみます。

倫理の授業

問題大ありの授業なんでしょうかねえ。私的にはもっともっとコマーシャルしたいんですね。二つの意味で。つまり、こんなはずじゃなかったという人が絶対いるんです。だから、事前のコマーシャルをしたいんですね。いやな人はいやだっただろうな。でもね、僕いってましたよね

「君たち服着たままセックスするの?」

って。愛していればセックスしてもよいと多い時は8割もの諸君が答える。しかし、本当にセックスはお互いが素っ裸ですると認識も、実感もされていない。ここをはっきりさせるのが一つの目的でした。
 さて、倫理の私のプログラムの約3分の1を授業では行えました。年々、コンテストやディベートといった〈実技〉(倫理では、ディベートを実施する予定のプログラムのところまで授業がいっていないが)をいれている関係でますます進度が遅くなっているので、ますます分母が大きくなっているのですが、そういう意味で珠玉のつもりで、前半ニーチェ後半異性交際をめぐる問題を扱ったのです。

現代社会の授業

実は、今年の後期の授業はまずまずだったと思っています。私は50歳を過ぎて、ということは去年あたりから授業の形態を大きく違うものを導入してきました。テーマも5年前のものは今とは異なるものです。毎年同じネタをやり続けているわけでも、毎年同じノートを書いているわけでもありません。原則去年はすべて忘れるのです。そのなかで、やはりコンテストとディベート、最後の政党のマニフェスト選挙は、冒険もありましたが最初の一歩を刻めたかなと思っています。投票すること、立候補することを

ドキドキ

してらえればそれでいいのです。ネタは、

「なぜ、授業評価に授業態度があるのか?」
「授業中の携帯電話の使用、是か非か?」
「生徒の授業選択制、是か非か?」

でしたね。
 私は昨年まで「いじめ」を最大のテーマとして授業を展開してきました。今年は、なんと、そこまでいけなかった。だから、以前私の授業を受けた人と今年の人ではその印象が異なるでしょうね。





総合学習・ニッチゼミ


生徒が授業を選択する。その選択をとことん有効なものにしよう。生徒が各講座の担当者をどのように評価しているのか?

生徒はいろいろだ、そのいろいろの生徒が、各担当者をどう評価しているのか?

それから、担当者はどういう生徒層に向かってどんな授業をしたいと思っているのか?

この間書き込みをしてくれているねーぶりすとさんとよく話をしたんだけど、表のニッチではなく、うわさの真相的な「本当の裏ニッチ」情報が必要だよね、というところまで段階としてはきていたのです。IT革命を前提としたら、どのような進化がはたせたのか?上の写真は、今年の文化祭の、

「生徒による授業選択制 是か非か?」

のワンシーンです。疲れたな、このとき。で、もってみんな躍動的だったな。私の中央高校での本当に記念すべきワンシーンです。ある意味、私にまつわる全ての方がここに参加してくれたのです。

 
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑   
よろしかったら、上の二つをクリックをしてください。ブログランキングにポイントが加算されます


最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
07、後期・・・現代社会 (刹那)
2008-03-29 11:44:11
 わたくしは、悲しいかな先生の授業では、現代社会しか知りません。

 そこで・・・当初の頃、私自身は、多分他の生徒とかなり違うスタンスで授業に臨んでいました。
 木村先生の授業に限らず、この教師はどんな授業を展開したいのかという事を、観察し分析する事からはじめます。
 そして、傾向と対策を立てる・・・でないと、自分がこの学校に来て最大限に出来ることが発揮できないという心情を持っていました。

 でも・・・読めない。教師木村は食えない・・・曲者。
 私が二手先位を読んだつもりでも、もう更にその二手先位を読んで次の授業の反映させてくる。
 その内、半年の後半では、どっぷり先生の罠にはまった感があって、そこから抜け出そうと足掻いていましたね。
 それも、すぐに諦めました。
 もう、ちょっと罠の中で何とかしてみる?みたいな感じに。
 その分、私は、ディベートだのマニフェスト選挙だのでは、完全にドツボに落ちて、本来の自分の信念とは全く反対のことをしていましたね。

 つまり、『適当』が許されない授業でもあったのです。
 そして、それを、本人に意識させずに引きずり込む、
『己の頭で考えよ』『授業を自分を主体として考えよ』『そして、読め!所詮読めなくても読め!』というのが、先生の授業のあり方だったと授業全てを終えてのフィードバックの中で思いましたね。
 ですから、先生の意図する授業の8割は、この後期の授業の中では叶っていたのではないか?と、私は見ています。
 但し、そこに足りなかったのは、確実に『時間』だったとも言えます。
 ディベートでも、マニフェストでも、あと1時間のコマがあったら、絶対に違う展開を観たと私は思います。(もちろん、これには私の負け惜しみも含まれるでしょうけれど)

 長くなりますが、更に07生のわたくしは、入学前の情報と仮クラスで履修登録する際に感じていた、この学校の履修登録に対する矛盾を、『授業選択の自由』のレポートという形で一つにまとめられたのは自分では良かったと思っています。
 でも、まだまだ情報収集は不足していたなとも思っていますが・・・

 本当はもっと、書きたいことがあるのですが、何せ『刹那!、文章長ーよ!長くてわかんねーよ!』は私の代名詞になっている様なのでこの辺で締めさせていただきたいと思います。

 あっ・・・先生。先生は生徒たちをどう見ていたんでしょうか?
 それは、成績というような『数字』ではなくて、お伺いしたいですね。
返信する
最強の理解者 (Kimura Masaji)
2008-03-29 23:04:16
刹那さんへ
■書き込みありがとうございます。このハンドルネームシステムは、ようするに私だけがハンドルネームの主を知ることができる。しかし、知ったところで成績にはまったく反映できないというシステムでした。画期的でしょ?(笑)ちなみに、何人かが「刹那」ってこの人?って私に聞いてきましたが、どれもとんちんかんでした。最後まで正体はばれてないですよ。あれだけ派手に後半動いていたのにね(笑)。■私は、現代社会の授業で、ともかく身近な日常にこだわったのです。そこを疑う、一級の疑いを挿入する。たとえば携帯電話を疑うのだ、と。■すると、そこには、いっけん自明に見えていたものの輪郭がぼやけてゆくことになる。そこを問い詰める作業の中で生徒の皆さんに哲学し、社会のお勉強をしてもらう。こういう仕掛けになっていました。その仕掛けにもっとも激しく反応していた一人があなたでしたね。そうです。その仕掛けに誘導されて、いちいち反応していくと、君のように常識的に考えていたんじゃあだめだぜ、やっぱりその程度のことしか考えられないの?とか、やっぱり駄目でしょ?とちょっと笑っている木村が現れるようになっているんです。■刹那さんはほんとうに忠実に、まじめにその「地雷」を踏んでくれていましたね。それが上の刹那さんのことばなんです。僕はそれを「最強の理解者」と光栄に受け止めさせていただいていました。「いっけんできないようにみえるでしょ?でもできるんです。わかります?わからないでしょ?」こういう問いかけにこんなに無垢に反応していただけたことは光栄としかいいようがなかったですね。■私は現在の社会科学や哲学の最前線の人類が逢着している最高の問題を身近でていきすることを目指してきました。刹那さんはもっともそれに激しく反応されていました。それは、感動としか言いようがない。そして、今思うと、そういう意味では私はあなたとの距離感が絶妙だったと思っています。近からず遠からず、絶妙だったと。■さて、私はこれで本校をあとにするわけですが、で、だからそれでおわりなわけ?これが、あなたに残した本校職員としての最後の問だったのかなあと思いますね。それにしても、刹那さんの情熱は、たとえ多少からまわりしていたとしてもすばらしい!■そして、まだまだ神様はあなたの情熱に試練を課し、それが本物か試すことでしょうね。
返信する
タグ:もっと評価されるべき (ww (ねーぶりすと)
2008-03-30 15:15:07
先生が中央高校へ来たのは9年前……当時の俺は9歳。まだおしゃぶりを握っていたような頃ですww

今年は倫理の授業受けまして、今思うと、俺だけは洗脳されるまいと思いつつ真っ先に洗脳されてた気がしますねww
(授業二回目くらいから、毎回教室に入るときに「どうもー」って入っていきましたしねww)

今年はすごい楽しかったです。

以下、その代表的なもの2点。

一つは、文化祭でやっていたディベート。俺と某地歴科の先生とのやり取りに、木村先生が困っていたのが今でも忘れられませんww

で、もう一つはいつぞやの " レポートのコンテスト " 。俺がお坊さんと手を組んで、「誰も選びたがらないようなレポート」をコンテストに忍び込ませた一件。構造の説明をするのが面倒くさいこの事件ですが、とりあえず、その場にいた生徒と木村先生の反応が最高でしたねww

と、まぁ、そんなこんなで2007年度は楽しかったよーというお話ですw
返信する
あれは、ゲームの欠陥 (Kimura Masaji)
2008-03-30 23:10:10
ねーぶりすとさんへ
■どーも。■ねーぶりすとさんの一つ一つの指摘は、思い出すといい思い出ですね。ま、わたしには「ゆーたろー」さんというハンドルネームのほうがいいやすいのですけど(笑)。■かなりローカルな話になる危険をあえておかすと、そうですね、あなたがたの倫理の授業での、試みは、周りの人たちのひんしゅくをあびてましたが(笑)、だって、あんなものをどうやって推薦されて投票するんだよー、というものをあえて推薦して、当選確実枠を意図的に狭めたのですから、おみごとといいたいのですが、そのあとのあなたがたが点数をゲットできなかったというあたりに、私としては、ざまあみろ(笑)的な、満足感と、あなたがたの行為に対する憤りを周囲のまじめな人たち、つまり、本当の美人競争をしたいという人たちの、市場への誠実を私は感じて、そういう意味ではあなたがたの行為はある種の試金石になったようにおもいます。■じつは、ねーぶりすとさんがいらっしゃった倫理の集団は私がみるところ、近年の中でもっともレベルの高い人たちの集団でした。通常、そういう余裕がなく授業を展開しているのですが、本当にレベルの高い高度の意見がでる集団で、私は授業をやるある意味の緊張をもってのぞんでいました。だから、コンテストは圧倒的にねーぶりすとさんの所属する人の意見が選挙で勝利していたのです。それもあって、あなたがたの行為はブーイングでした。しかしね、それは、お門違いなんです。それは、主催者としての私から言えば、ゲームの欠陥を指摘されたということなんですね。
返信する
来年もしいたら・・・ (Kimura Masaji)
2008-03-30 23:23:34
ねーぶりすとさんへ
■ねーぶりすとさんのプレゼンの説得力を直に知らされたのは、例の、ニッチゼミの文化祭の企画の時のインタビューでしたね。ニッチゼミのKさんという女性にインタビューをされていて、その受け答えが説得力がばつぐんにあったんです。いま、手元にそのときのVTRがあるんで、動画配信できるようになったら流しますが、うめえなあ、と思いましたね。■文化祭ではほかのイベントへの参加があってパネリストにお招きできなかったのですが、残念でした。来年私が残留していたら、何人かの人がニッチゼミのこの部分の企画をいっしょにやりたいな、と思っていました。そして、激論をもっと激しくやってみたい、私はこれが具体的な教育改革の実践だと考えていました。選択制を制度の柱とする単位制高校は存在だけですでに革命的なのです。もちろん、教員は、その全力をあげてその効力を「萎(な)え」させようとする。選ばせない。評価させない。ここをどうやって突破していくか。おそらく、私が去ったあとにこの企画を受け継ぐ人は教員ではでません。これは、断言します。そういう意味では、大変な企画なのですが、私はもしも来年度があったならば、ねーぶりすとさんとITツール、つまり、ブログや、掲示板を使って、そして、生徒の携帯のアドレスをどうやってわれわれのネットワークに組み込むか取り組んでみたかったですね。■そうです。このケータイのネットワーク化こそが、各企業が全力でこころみている企画なのです。私はケータイをある意味でマイナス部分にスポットをあてて、授業では展開していました。もちろんそれは、一つの側面ですね。ケータイは監視の手段です。これはまちがいがありません。ニーチェ的にいえば、ルサンチマンと奴隷道徳の網の目を張り巡らせるための究極のツールこそがケータイなのです。■ま、それはそうなのですが、しかし、明かるいケータイの側面を私はみなさんに提示していなかったのです。今年以降それが私のテーマの一つになります。匿名性でありながら責任をもった団体は形成可能か?なんです。■その試みをニッチゼミの企画の中でねーぶりとさんとしてみたかったのです。で、そのときに、2ちゃんねる、は私の方向じゃないんだなあ。
返信する
木村は評価されていないか? (Kimura Masaji)
2008-03-30 23:34:29
ねーぶりすとさんへ
最後に、ねーぶりすとさんが私のミクシイの紹介文にも書いていただいたので、もうちょっとコメントをいただきたいし、関連してほかの方の意見があれば伺いたいのですが、ま、教員の間での評価が低いなんてのは、私は織り込み済み(笑)で、そうだろう、というか、はなから、期待さえしていないんですけど。生徒の間で、私は評価されていなかったか?これは、実はだれにもわからない、んですよ。正確に言うと。だから、差別用語を使って言えば、群盲象をなでるがごとき、てさぐりで、評価を下していくしかないのでしょうが。なんかね、倫理の授業の履修登録が以前にくらべて、定員オーバーのラインに届かなくなっているのかなあ、とちょっと私は気にしていました。ある事情で出来ないのですが、私は本当は、生徒ホールにたってコマーシャルし、

「いいねえ取ろう、木村の倫理」

って言ってもらいたいのですが。いや反対にね。あんなの単なるすけべだよ、とか。いいの、あんなの?っていうご意見もはっきりさせたいと僕は思っていました。もちろん、本音をいえば、そんなにみなさん熟慮して木村の授業をとっているとは思っていませんよ。でも、それは、大衆社会状況を考えれば何も授業だけではないからね。■それにしても、木村の授業の評価は、実態より低いのか、高いのか、本人は、選択制を命とする単位制高校に教員として存在している以上すごく気になり、ちょっと、下降気味かなと思っていましたね。■でもね、そうかと思うと特に今年の後期の現代社会の授業はみんなのノリはけっして悪くなかったんです。でもね、現代社会の授業って07の人が多いでしょ。選んでいないんですよ、偶然なんです。そのあたりがからまるとますますわからなくなるのです。■でもね、この読めないあたりが、単位制なんです。私が単位制に身を置きたいもっとも大きな理由ですね。私は、正直、大変な疲労の中で、生活していました。そういう意味では、たまらなかったのですが。
返信する
Unknown (kayoalias)
2008-04-01 20:52:50
木村先生に対する生徒の評価は、2つにくっきり分かれていたと思う。
一言で言えば、賛否両論。
嫌な人はとらない。 とりたい!(それと、とってもいいかな~(この辺はあいまい(笑)))
少なくとも、ここに書き込みをしている人達は確実に木村ファンでしょ。
それ以外で木村先生の授業をとっていた人達は(この中にも木村ファンは居るよね♪)、木村ファンじゃないかもしれないけど、かなり浸透していたと思います。
みんなそれぞれが、それぞれなりに考えていた。
他の授業ではなにも考えないようなたくさんの人達も、先生の授業では考えて、自分なりの意見や答えをもてたと思っています。

賛否両論なんだよね♪ けっこうぱっきり分かれるよ。
返信する
Unknown (setuna)
2013-04-01 01:05:32
『そして、まだまだ神様はあなたの情熱に試練を課し、それが本物か試すことでしょうね。』いつも、この言葉を思い出すようにしています。それでも、挫けそうになります。八方手詰まりになる時があります。情熱が燃え尽きてしまいそうです。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。