ニューパルツと新見市/大佐町との姉妹都市交流にご尽力いただきましたAlfred H. Marksさんが12月23日に94歳でお亡くなりになりました。
新見/大佐にも2度来訪されていますし、New Paltzでお会いになられている方も多いと思います。
Alfred H. Marks Ph.D. Obituary
にDaily Freeman紙に掲載された死亡記事があります。
(下から21行目のDr. MarkはDr. Marksの誤植です)
この記事内にも姉妹都市交流についての言及があります。
なお、このページには、Guest Bookという欄があり、その中にメッセージを残したり、写真を載せたりすることができます。
(私は先ほどメッセージと写真をアップさせていただきました。)
日本からのメッセージや写真がたくさんあるとご遺族も喜ばれると思いますので、関係者の皆さん、ぜひ、ご協力をお願いします。
Marksさんを偲ぶ会が2015年の春にNew PaltzのReformed Churchで行われるそうです。
皆さんでご冥福をお祈りいたしましょう。
新見市国際交流協会・新見公立大学
山内 圭
新見/大佐にも2度来訪されていますし、New Paltzでお会いになられている方も多いと思います。
Alfred H. Marks Ph.D. Obituary
にDaily Freeman紙に掲載された死亡記事があります。
(下から21行目のDr. MarkはDr. Marksの誤植です)
この記事内にも姉妹都市交流についての言及があります。
なお、このページには、Guest Bookという欄があり、その中にメッセージを残したり、写真を載せたりすることができます。
(私は先ほどメッセージと写真をアップさせていただきました。)
日本からのメッセージや写真がたくさんあるとご遺族も喜ばれると思いますので、関係者の皆さん、ぜひ、ご協力をお願いします。
Marksさんを偲ぶ会が2015年の春にNew PaltzのReformed Churchで行われるそうです。
皆さんでご冥福をお祈りいたしましょう。
新見市国際交流協会・新見公立大学
山内 圭
私の国際交流活動はDrとの出会いが始まりでした。58日間の研修旅行中お世話になったホストファミリーとも40年以上の交流を続けてこられました。そのホストマザーも3年前天国へ。以降その次男坊や息子、孫との交流を続けております。
千葉県で国際交流協会の立ち上げ会に参加し、以来各市や民間の交流団体の方々ともご縁を続けてこられたのも DR Marks のお蔭です。民間外交官としての進路をアドバイスいただいたのも Dr Marksでした。 将来の夢を聞かれ、「外交官に」と中学生時代から抱いていた夢を語りました。先生は、「今アメリカでは社会経験を積み、多くの知己を得て、商務長官に抜擢されたり、国際的に活躍している。今は外交官試験を通っても、すぐには大きな仕事はできないから、まず社会で勉強をしなさい。それからでも遅くない。いや返ってそのほうが人間的な厚み、信頼性が増して、動きやすいかもしれないぞ。アメリカでは時の大企業の経営者や最大銀行BOAの頭取など偉大な人が出ている」「それにね結婚は30過ぎがいいぞ。人間的に成長している時期だから」----私は独身での駐在員時代、縁があって26歳になる前に結婚をしてしまいましたが、今、どうだったんだろう?と思い返しています。
この時の経験から私の国際交流活動はスタートしました。2年半の駐在員生活から帰国しボランティア通訳、翻訳、自前の英語熟講師、各種国際会議での通訳、卓球やフィギュア世界選手権でのボラ通訳、ジョン万次郎ホイットフィールド交流記念日米サミット大会(千葉)の企画運営参加など、活動は拡がってきました。定年後の今は、できることをできるときに必要な人に...と通訳ではある組織の語学奉仕団で広報担当として活動をしてきました。この流れもスタートは Dr Marks だと信じております。
山内先生は、各方面に深く研究されており、ブログを拝見し、その精力的な活動に興味を持ちました。今後とも宜しくお願いします。
Dr Marks の奥様にはゲストブックでお悔やみを申し上げましたが、留学仲間にはこれから連絡を取りたいと思っております。(寺島 拝)
見ず知らずの方からこのようにコメントをいただけるのは、ブログの素晴らしさであると共に、Alfred Marksさんのお人柄の素晴らしさによるものだと思います。
私がMarksさんに初めてお会いしたのは、1998年で、既にご退職後のことでしたが、姉妹都市交流をはじめ様々な活動に関わっておられました。
寺島さんは、アポロ11号の月面着陸をニューパルツでご覧になっていらしたとのこと、きっと鮮烈に記憶に残る思い出なんでしょうね。
よく、アポロ11号月面着陸とケネディの暗殺と9.11の同時多発テロの時にどこで何をしていたかの記憶はその時代を生きてきた人ならだれでも持っていると言われますが、私は9.11の同時多発テロの発生時はニューヨークの空港にいました。
姉妹都市派遣団としてニューパルツへの訪問を終え、帰りの飛行機に乗ろうとしていた時だったのです。
飛行機は飛ばず、空港に足止めされかけましたが、何とか空港から脱出し、ニューパルツの方々に迎えに来てもらい、もう1週間ニューパルツに滞在しました。
そのときにもMarksさんには、とてもお世話になりました。
寺島さんも、いろいろと精力的にご活躍されているようですね。
いつかお目にかかれましたら幸いです。