山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)

英語教育、国際姉妹都市交流、ジョン・スタインベック、時事英語などの研究から趣味や日常の話題までいろいろと書き綴ります。

新見公立大学・短期大学第15回オーストラリア研修旅行説明会第1回(2015年1月22日)

2015-02-04 23:45:22 | 旅行
2015年1月22日(木)、学術交流センター研修室1・2において、今年度のオーストラリア研修旅行についての第1回説明会を今回旅行実施でお世話になるJTB倉敷支店の担当の方に来ていただき、開催しました。



1998年に第1回を実施したオーストラリア研修旅行、諸事情で実施できないこともありましたが、今回で何と第15回目となります。

これまでの研修旅行については、海外研修旅行引率実績に記録していますが、我ながら、よく続けてきていると思います。

JTBの担当者の旅行の初説明に続き、僕が、具体的な研修内容やメルボルンについて説明させてもらいました。

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新見公立短期大学幼児教育学科・地域福祉学科一般入試の受験生、頑張って!(2015年2月5日)

2015-02-04 17:37:25 | 日記
明日、2015年2月5日(木)、は新見公立短期大学幼児教育学科・地域福祉学科の一般入試です。(地域福祉学科は、一般入試A日程)*地域福祉学科の一般入試B日程は3月25日(水)実施(新見公立短期大学募集要項参照)

受験生の皆さん、精一杯頑張ってください。
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Alfred H. Marks博士(New Paltz) 死亡記事の翻訳

2015-02-04 15:24:46 | 日記
昨年12月23日、新見市の姉妹都市New Paltz Village在住で、姉妹都市交流の中心人物のお一人であったAlfred Marksさんがお亡くなりになりました(Alfred H. Marksさんの訃報およびDaily Freeman紙にAlfred H. Marksさんの死亡記事が掲載されるにて既報)。

Daily Freeman紙に掲載されましたAlfred H. Marks Ph.D. Obituaryを日本語に翻訳させていただきました。

Alfred H. Marks博士(New Paltz) 死亡記事

アルフレッドHマークス(1920.7.18-2014.12.23)
皆から友人として慕われていたニューパルツのアルフレッドHマークス博士が2014年12月23日に亡くなりました。享年94歳でした。ロングアイランドのファーミングデールに1920年7月18日に生まれ、50年以上にわたりニューパルツに在住しました。初期のアメリカ文学を専攻し、20年以上にわたりニューヨーク州立大学ニューパルツ校で英語を教え、同校の名誉教授になっています。ナサニエル・ホーソンやウォルト・ホィットマンの業績でよく知られています。担当領域を超え、新入生の作文を教えることを楽しみ、その熱心な助言と学生への関わりは、多くの若い学生たちに有益な影響を与えました。幅広い分野の日本の文物についての興味関心は、第2次大戦中の軍への諜報部での業務から始まりました。1965年、日本の金沢(大学)でフルブライト基金による客員教授を務め、その後も2度にわたり日本を訪問しました。親しい友人には、日本人も多くいます。三島由紀夫の作品を含む近代日本文学の翻訳者でした。退職後は、A Courtesan’s Day: Hour by Hour(『高級娼婦の一日』*浮世絵に関する書)、The Faithful Samurai(『忠実な侍』*歌川国芳の侍を描いた作品集)、Hiroshige: Birds and Flowers(『広重:鳥と花の画』)などを翻訳したり、エッセイを寄稿しています。イーディス・ポールスター氏との共著となるSurimono: Prints by Elbow (『すりもの』) は、何年もかけて手掛けた労作で、きれいな絹の装丁に仕上がりました。その大作は、親族や友人の書棚に堂々と所蔵されています。ニューパルツと日本の大佐町(*現新見市)との間の「姉妹都市」提携にも尽力し、両自治体間の温かい友情交流や多くの学生訪問が続けられています。戦後、マークス氏は修士号と博士号をシラキュース大学で習得し、オハイオ州立大学コロンバス校、インディアナ州マンシーのボール州立大学で英語を教えました。家族と1963年にニューパルツに移住した際、ミッド・ハドソン渓谷の歴史に興味を持ちました。またニューパルツのリフォームド教会に所属し、同教会の創始者たちの不明確で謎に包まれた来歴にかなりの興味をいただきました。The Cry That Rang Brussels to New Amsterdamとして92歳の時に出版された書籍への調査に打ち込みました。同書は、数百年前のフランス語とフラマン語で書かれた資料を何十年もかけて掘り起こし、歴史上誤解されている史実の本来の事実を提示しています。所属していた団体は、俳句協会、日本協会、ジョン・バロウズ協会、パルツクラブ、ニューパルツライオンズクラブなどでした。そして、ライオンズクラブのニューパルツ中心街のハロウィーンパレードには、2012年まで参加していました。愛情深き夫であり、父親であり、祖父であり、曾祖父でありました。残された家族は、1942年に結婚したハータ夫人、息子のスチュアートさん、娘のシー・ミッシェル・ウェルチさん、同じく娘のクリスティーナ・レイモンド・ハーレイさん、9人の孫たち、10人のひ孫たち、そして11人目のひ孫が生まれてくる予定です。2015年の春にニューパルツのリフォームド教会で、アルフレッド・マークスさんの人生を祝福する偲ぶ会が行われる予定です。会はコープランド葬儀社(162 South Putt Corners Road, New Paltz, N.Y. 12561)によって執り行われます。遺族への弔辞等は、www.copelandfhnp.comで送付可能です。
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