goo blog サービス終了のお知らせ 

森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

約8年 その5

2022-03-30 22:52:59 | ランダム自分史

約8年 その4」の続きです。

 

ブログには、書くことと書かない事を選択して書く事も多いのではと思います。

例えば、2014年3月15日から母と姉妹4人で山梨に出掛けた時のお話。

その時の記事は、「甲斐の旅 《その1》」甲斐の旅《その2》」甲斐の旅《その3》」です。

それは前の年に亡くなった父のやり残した事、父の両親の墓参りに行くと言うのが。その旅の目的でした。

そして父の生きた足跡を、ほんのちょっと辿ると言うのもやろうとしていた事でした。

 

ここからはその記事には書かなかった事です。

母がその旅が決まった時に言いました。

「今年はお姉ちゃんの節目の年だから、そのお祝いにホテル代をお母さんが全額持つから。」と。

それで私はいろいろと検索して、女性に人気があると言う「坐忘庵」という旅館を見つけて予約したのでした。そこへは甲府の駅に迎えに来てくれた旅館のバスで行きました。

ところが私は、その前に会った叔父さんにご馳走してもらった、凄く美味しかったイチゴパフェがお腹に来てしまい(この時私は自覚したんです。今の私には生クリームは敵だと。)、旅館に着くまで地獄の時間でした。

すこぶるカッコ悪い話なので、ブログには書かなかったのですね。

旅館についても、しばらくは体調悪く寝込んでいました。

それでいつものような食事の前にお風呂に入って、みんなでのんびりすると言う時間がなかったのです。

旅館ではみんなで一緒にと言う時間はほとんどなかったわけですが、その後は上にリンクした記事にも書いた通り、楽しい旅行で終わったのです。

 

ところが数日後にスノウさんから電話がかかってきました。

「なんだか胸にしこりがあるみたいなの。あの時、ひとりでお風呂に行って、クヨクヨしてたんだ。」

「えーっ !!

どうして言ってくれなかったの ? 蝶子さん、経験者なんだからさ、きっと触ればわかったよね。」

「うん、そうなんだけれどね、なんとなく言えなかったんだ。でも大丈夫。今度会社で乳癌検査するから。」

「うんうん。何か分かったら、今度はすぐに教えてね。」

 

検査の時、技師さんが「あー」みたいな反応を、妹は見逃さず

「やっぱ、そうですよね。」と切り込むと、

「うん、ちょっとあるねぇ。」と言われ、すぐに次の行動に移る事になっていったのでした。

「大丈夫だよ。蝶子さんも大丈夫だったんだから。」と私が言うと

「うん、私もそう思う。」とスノウさんは言いました。

 

坐忘庵の受付の所に、「雨の日は雨の中を 風の日は風の中を」という額が掛かっていました。

葬儀の時、使っていたお茶碗とお箸、湯呑が供えられていました。

その青い湯呑には、その「雨の日には・・・」の言葉が書かれていたのです。

私たちの8年は、あの日から始まったようなもの。

それが葬儀の供えられた湯呑に、同じ言葉を見つけるなんて。

 

スノウさん、ドラマチックじゃないですかー。

 

不定期で、続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

約8年 その4

2022-03-30 01:26:52 | ランダム自分史

約8年 その3」の続きです。

それはつい最近の事ですが、叔父と電話で話す機会がありました。

私が

「子供の時、スノウさんとは仲が良くなかった。」と言うと、叔父は

「知ってるよ。」と言いました。

私は少しムカッとしました。

「だって仲よくしろと言う方が無理よ。そんな環境だった?」

だけど叔父に言っても仕方がない事です。もしこれに戦犯と言うものがいたら、あなただってその中に入るわと私は思っているからです。

「でも、私たちは、ずっとそうだったわけじゃないのよ。」

何となく電話の向こうで、私の気持ちが微妙に振動しているのが分かったのか、叔父は

「それも、そう思っている。仲良くなかったら、一緒に旅行とか行くわけないものな。」

 

そうよ。そんなに単純なものじゃないよ。

「その3」の中で

>「今なら分かるんです。私が何を期待していたのか。それは私が居場所を姉に求めたように、彼女にもそれを私に求めて欲しいと思っていたのだと思います。

だけどそれは期待通りには行かなかったんです。」

と書きました。

今なら分かっても、その時には分からなかった。ただ私はスノウさんに対して「ざまあみろ」ぐらいの悪魔のような感情を持っていたのだと思っていたのでした。

 

だけどある日夢を見ました。

 

何もない部屋の真ん中に大きなテーブルが置いてありました。

貴族の食卓のようなテーブルで、私たちも含めて大人たちも座っていました。

スノウさんが遅れてやって来て、その食卓に着こうとすると、隣に座っていた父がフォークを床に放り投げ、スノウさんに拾えと言いました。

それを拾うと今度が母が、お皿を投げ捨て片付けろと言いました。またほかの大人がまたテーブルの物を投げつけました。

もうこれは父とか母とかは関係なかったかもしれません。父とか母の姿をした何か。

妹は細くちっぽけな姿で、一生懸命に拾っては元に戻し、壊れたものを拾っては片付けました。

最初は訳が分からず何が始まったのかとニヤニヤして見ていた私は、徐々に怒りがこみ上げてきました。そして妹の所に飛んで行って大人たちに向かって叫びました。

「ヤメテー !!!

この子は、私の妹なのよ !

もう止めてください。」

そしてスノウさんには

「大丈夫。お姉ちゃんが守ってあげる。」と言い、そしてそこで夢は覚めたのでした。

 

目が覚めて、私は自分の夢に戸惑いました。

夢は真実の心の声だからです。もちろん11歳の私に「真実の心の声」などとは分からなかったかもしれません。

ただ、私はこの夢を誰にも言わずにずっと忘れていませんでした。

 

あの頃は、妹に対して「ざまあみろ」と思っていた自分に、「そうじゃないよ。」という本当の気持ちを教えてくれた夢だったと思っています。

 

だけどその夢は、未来に大きく意味を変えて行ってしまいました。

何かがスノウさんに何かを投げつける、また何かが何かを彼女に投げつける。

彼女はひとつひとつ、それらを拾っては戻し拾っては戻していたのです。

「ヤメテー !!!

この子は、私の妹なのよ !

もう止めてください。」

私は記憶の中の夢の中で叫び続けていました。

 

乳癌やって、肺がんやって、腎臓にも癌があって、脳腫瘍で三回頭を切ったなんて凄くないですか。凄すぎませんか。

「大丈夫。お姉ちゃんが守ってあげる。」って夢の中で言ったけど・・・・・。

それでも一つだけは約束を守ったと思います。

最後まで傍に居るよと言った約束は。

 

駆けつけた私たちの見守る中で、彼女は呼吸をする事を止めたのです。

スノウさんは、とうとう力尽き、3月13日に静かに眠りにつきました。

 

 

不定期に、続きます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする