森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

甲斐の旅 《その1》

2014-04-15 14:23:45 | お出掛け日記

あたし、思ってた。

「6名様ですか?」

どこかでそんな風に言われるんじゃないかって・・・・。

 

※         ※         ※

 

3月9日に京都から帰ってきて、間を4日しか空けず15日に今度は山梨に出かけてまいりました。京都はお見舞い。今度は墓参りの旅です。

昨年亡くなった父は、かなりいろいろなことをやり遂げてから逝きました。それでも少々の心残りはあったと思います。

もう一度自分の両親の墓参りに行きたいと思い予定していましたが、体力の減退のスピードが、本人もですが家族の予想を超えていて叶わなかったのです。

この事とアレヤコレヤと思うと、心の中でもやもやする部分もあるのです。

 

父が肺がんで手術もできない状態だと聞いた時に、同じ病気で逝った義父のケースが、私の脳内で基準になりました。

おととしの8月に無理矢理だったのか治療方針をたてて頂き、それなりのことをし、少々の回復もし父は気力も充実していて元気で退院しました。その時に家族で旅行に行くなら今だと思いました。でもそう思ったのは、離れて暮らしている私だけ。そう思ったのも義父の一年がベースにあるからでした。

もう既に詳しくは覚えていませんが、なんやかやと先延ばしになりました。

この治療が終わってから。この用事が終わってから。先に遣ることがあるから。もっと暖かくなってから。

今思うと、途中で白内障の手術も受けたりなどして父は忙しかったのです。

墓参りと言っても、少々距離があれば旅行です。加えてそれに私達が着いていき温泉にでも泊まろうと言うのであればなおさらです。

 

それでも寒いさなかに出かけたら、たぶん行く事は出来たと思います。

お正月には元気に一族の前で挨拶をしていたのですから。

だけど山梨盆地の寒さを決して侮ってはいけないのです。無理して出かけていたら、もしかしたらその直後まで寿命を縮めていたかもしれません。

 

何かを諦めて何かを得ると言う選択は。人生が終わる時まで要求されるものなのでしょうか。

春が本当にやってきても、もう誰も父と一緒に旅行などをしようと思うものはいなくなったと思います。口には出しませんが、無理だなと周りの者は分かっていたのです。

父はその頃町会の花見のためにいろいろ普通にいつも通りに中心になって働いていました。

それでも分かっていたのです・・・・・。

無理なんだと。

 

 

 姉妹4人と母とで出かけた山梨墓参りの旅は、父のやり残した事を拾うと言う意味の旅でした。

以下は、画像メインの旅日記「車窓&ホテルでのお食事編」です。

 

 

 

「カイジ」ではありません。「甲斐路」の「かいじ」。

GO !!!!

 

新宿駅で買った駅弁です。最後の一個だったのですが、他の姉妹に羨ましがられました。美味しかったです。

 

 

 

山梨に行くには幾つもの山を抜けていきます。つまりトンネルを抜けていくのですがその数はかなりあったはずです。

子供の時には山ナシというのに山ばかりであることに、何か納得のいかないような気持ちになったものです。

そのうち「ナシ」は「梨」であることを知っても、山梨の道の沿道にはぶどう畑ばかりでそして売ってるのもその葡萄と桃ばかりというのも、やはり納得がいかないと思ったのでした。

「梨」はどうしたんだ、「梨は」と。

だから私は梨に拘って、梨の産地で有名な所に住んでいるのかしら・・・・・ってことは関係梨・・・いやいや、なしです。

 

 

 

妹が、「あっ」と言いました。

 

そう。

山の向こうに富士山を見つけたのです。

 

甲府についてから墓参り。

その時のお話はまた次回に。

その日の夜は、甲府市内の坐忘庵というところに泊まりました。

 

そのお料理です。

 

    

  おしゃべりをしていたら、お刺身盛り合わせがが一枚抜けました。美味しかったですよ。

 

坐忘庵は山の上にあります。

そこから見た街の夜景です。

 


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