人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

御子をさえ惜しまず。

2016年07月16日 | お気に入りの言葉

 わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方・・・・。ローマ信徒への手紙八章三二節
 自分の子を守るためなら、人はなりふり構わず闘います。わが子を正当化するためには、周りのすべてを悪者にさえしてしまいます。
それが人間の現実であり限界です。
 罪のわたしたちを救出するために、神は「御子をさえ惜しまず」死に渡されました。
 その愛の悲痛、わたしたちに計り知ることはできません。
小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


舌を制するもの。

2016年07月15日 | お気に入りの言葉

 舌を悪から 唇を偽りの言葉から遠ざけ 悪を避け、善を行い 平和を尋ね求め、 追い求めよ。詩篇三四篇一四、一五節
 柔道は受け身から教わるものだと聞きました。身を守る術を学び、それから攻めを学ぶのであります。
 人間の肢体の中で、最も罪に弱い器官は舌であります。まず自らの舌を制することから始めよ、というのであります。
それが悪を避ける第一歩。
 人々との平和はその上につくり出されていくものであります。
小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


御計らい。

2016年07月13日 | お気に入りの言葉

主よ、御業はいかに大きく
御計らいはいかに深いことでしょう。
愚かな者はそれを知ることなく
無知な者はそれを悟ろうとしません。詩篇九二篇六、七節
 愚かな者、無知な者とは、自分の思い、自分の計画の中でだけ生きている人間のことであります。
思い通りにならず計画が崩れると絶望してしまいます。
 信じるということは神の御わざの大きさを信じることであり、神のご計画の深さを信じることであります。
たとえ自分の計画が破綻したとしても、神の大きな御計らいの中になお、自分が生かされていることを信じるのです。
小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


人生の美しさ。

2016年07月12日 | お気に入りの言葉

 神のなされることは皆その時にかなって美しい。伝道の書三章一一節(口語訳)
 人生不可解。そういって自死した青年がいました。人生は複雑でり、混乱しており、人は無意味に苦しんでいるように見えます。
 しかし、忘れてはなりません。わたしたちは神の織りなす刺しゅうの裏側を見ているだけなのです。
表にはたえまなく美しい模様が刻まれています。
 この表を、わたしたちはいつか見せていただく時が来ます。そのとき、耐え忍んでよかったと、きっと思うのであります。
 小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


結果ではなく始まり。

2016年07月11日 | お気に入りの言葉

ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。・・・・」。
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」ヨハネによる福音書九章二、三節
 なぜこうなったのか、と人間は問います。なぜこんな災難がおそったのか、なぜこんな病気になったのか、
まるですべての結果がそこに現れたかのように。
 しかし、主イエスにあって、事態はそういうものではありません。
災難も病気も、神がそこから御わざほを行ってくださる始まりなのです。混沌から神が光を創造されたように。
小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


勇士。

2016年07月10日 | お気に入りの言葉

   怒りをおそくする者は勇士にまさり、・・・。箴言一六章三二節(口語訳)
 怒らないことが美徳だというのではありません。
 怒りを「おそく」せよ、というのです。
 「おそく」することによって真実が見えてきます。
 あまりに早い怒りは、真実から人を遠ざけ、混乱させるばかりです。
小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


なぜあなたは、いら立っているのですか。

2016年07月08日 | お気に入りの言葉

あなたは彼を驚かせられる。詩篇二一3(ウェイ訳)
愛する人よ、まずお聞きなさい
泣いたり、いら立たないようにしなさい
どんな日にも、誰も知らない明日があります
あなたの心を元気づける日の出があるのです
天が地に臨む様子をごらんなさい
道に沿って長く歩き続けるのです
ひきがえる程の大きな金塊を見つけるでしょう
窮地さえも、最良の友があなたにほほえみかける
もっと素晴らしい場所へと変えられます
我が魂よ、聞きなさい
なぜあなたは、いら立っているのですか
明日という一日があるではありませんか
誰にも未だ来ていない明日という日が! ベシー・L・カウイーの90歳の年に詠まれた最後の詩
 あなたは、過ぎ去った過去を変更することはできない。しかし、未来を思い煩うことによって、
全く素晴らしい現在を破壊してしまうことがある。

カウマン夫人著 「日の出に向かって」より


網から逃れる鳥のように。

2016年07月07日 | お気に入りの言葉

   仕掛けられた網から逃れる鳥のように わたしたちの魂は逃れ出た。網は破られ 、わたしたちは逃れ出た。詩篇一二四章七節
 絶体絶命から思いがけず網が破れ、救い出されました。捕らえられた者の知恵や力によるのではありません。
不可能の網を神が破られたのです。
 もし、そういう奇跡がなかったら、わたしたちの歩みもどこかで終わっていたのです。
奇跡に何度も救い出されながら、わたしたちの信仰は育まれてきたのです。

小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


軽率なひと言。

2016年07月06日 | お気に入りの言葉

 軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。箴言一二章一八節
 軽率なひと言とは思わず口を突いて出る言葉であります。そういう言葉が人の心をグサッと刺すのです。
なぜなら反射的に口から出るのは自分中心の自己防御的ななまの言葉だからであります。
 知恵ある言葉とは考慮された言葉であります。自分の発する言葉に一泊おくのです。
相手のことを思うのです。残念ながら人間に反射的に良いことはできないのです。
 いつでも自分の中に一泊おく心がまえが必要であります。
遊ぶことも眠ることもできなくなります。
 信仰とは、神の揺るぎない視野の中に自分があることを知っていることであります。
だから、精一杯生き、労し、眠るときには眠ります。

小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


神から知られている。

2016年07月05日 | お気に入りの言葉

   今は神を知っている。いや、むしろ神から知られている・・・・。ガラテヤの信徒への手紙四章九節
 幼児は母親の視野の中で夢中になって遊びます。母親の視野の中でぐっすりと眠ります。
母親がそばにいないと気づいたとき、幼児はパニックになります。
遊ぶことも眠ることもできなくなります。
 信仰とは、神の揺るぎない視野の中に自分があることを知っていることであります。
だから、精一杯生き、労し、眠るときには眠ります。

小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


悟り。

2016年07月04日 | お気に入りの言葉

 人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。詩篇四九篇二一節
 成功、栄達、繁栄。自信、満足、おごり。高い所に立てば何もかもが見渡せます。
人がみな小さく見えます。なるほど、世の中こういうものかと思います。爽快です。
 しかし、そのとき、彼には何も見えていないのです。
真実は何ひとつ見えていません。目が眩んでいるからです。
砕かれて、低くされて初めて見えるもの、それが真実です。目の曇りが取れて。

小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


自分の言葉。

2016年07月03日 | お気に入りの言葉

   死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを食らう。箴言一八章二一節
 他者の発する言葉によって、傷つけられると考えています。そうではありません。
自分の言葉が問題だというのです。
自分の発した言葉が自分を生かしもし、殺しもするというのです。
 真に恐れなければならないのは、人の言葉ではなく、自分の言葉です。

小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より


見える、見えない。

2016年07月02日 | お気に入りの言葉

 あなたがたの目は見ているから幸いだ。マタイによる福音書一三章一六節
 見えるのは、さえぎるものがないから見えるのです。見えないのは、さえぎるものがあるから見えないのです。
 知識や経験が足りないから真実が見えないのではありません。
そういうものがさえぎって真実を見えなくしているのであります。
神の御霊は、繰り返しわたしたちの目から、うろこを取り去り、「裸眼」にしてくれるのであります。

小島誠志著 「朝の道しるべ 聖句断想 366日」より