何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなた がたの求めるところを神に申し上げるがよい。 ピリピ四・六
「何事も思い煩ってはならない」と使徒パウロは言っております。
私たちを、この上なくみじめにするものの一つは、思い煩いでありますから、思い煩うことがなかったら、私たちの生活は、実に楽しいものとなるでしょう。
思い煩いとは、何でしようか。
それは、私たちがまだ経験しない事、現在実現しかかっているか、あるいは実現するだろうと予想してる事に対していだく不安であります。
私たちは、不安な思いでかってに色どった事柄を、想像たくましくして、いかにも実現したかのようにハッキリと心に描きあげて、
すっかりその気持ちになってしまうものです。しかし、その事が実際になってあらわれた時には、私たが想像していたほど悪いものではありません。
もし私たちに、このような思い煩いがなかったなら、私たちの生活は、どんなに明るく、ほがらかになるでしょう。地上の天国とも言えるでしょう。
「何事も思い煩ってはならない」と使徒パウロは言っているが、これは文字どおりにとってもよいのだろうか。
よろしい。しかし、パウロは、もちろん、神の子たちを対象として話しているのです。神の子とは、たとえて言えば、永遠のみうでにいだかれている人であります。
神は私たちの耳に「あなたがたは、わたしの子供です。わたしのいつくしむ子です。わたしのもとに来て求めるものを告げなさい」とやさしくささやいて下さいます。
また「わたしはわたしの子を守っている。わたしの許可がなければ人も悪魔もあなたにふれることはできない。だれもあなたをそこなうことはない」と。
このように神はあなたの耳もとでも、ささやいておられるのではないでしょうか。
主のみうでに我いこえば
わが仇われに追い迫るとも
いかでわれをとりことせん
地はふるい
人の心さわぐとき
主はわがおそれをぬぐいたもう
たとえ
稲妻ひらめき雷鳴とどろき
罪と地獄の一つになりておしよすとも
主は我を守りたまわん
O・ハレスビー著 「みことばの糧・365日の黙想」より