人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

新しい心を与え、新しい霊を授ける。

2016年06月17日 | お気に入りの言葉

あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。・・・
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。(エゼキエル三六・二六、二七)
 ルドルフ・O・ヴィーマーがこんな詩を書きました。「キミは月まで飛んで行けよう。けれども地球は住めなくなるのだ・・・」。
 彼の言い分は全くそのとおり!いかなる技術の進歩をもってしても、我々自身がこの地球を地獄と化することを、防ぎ得ない。
技術革新は目覚ましい。が、人間は! 人間が問題!
 あらゆる時代を通じて、宗教の開祖たち、哲学者たち、道徳家たちは、どうしたら人間を変え得るかに腐心しました。
が、だれにも良い方法は見つかりませんでした。
 では生ける神ご自身がこの課題について語ったとすれば、どうして注目せずにおられましょう!
 神は言います。人が変わり、新しくなるために「わたしの霊をあなたがたのうちに授ける」と。
この力ある良き聖霊は、神によってこの暗黒の世に与えられました。聖霊はここにおられます。
ただ問題は、この方が我々の心に来るかどうかです。神は我々に強制しません。
この聖霊に心を開くかどうかを尋ねるだけです。
 聖霊はどうやって人を変えるか?
 第一に、聖霊は「人々」ではなく我々自身が道をはずれていること、この我々が自己中心で、汚れて、神なく、邪悪であることを示します。
 第二に、聖霊は、我々の悪しき「古き私」を生活の中心から排除します。そしてそこにイエスのための場所を確保します。
イエスは我々の救いのために死に、今や生きていて、我々の内に住むことを願われます。
 聖霊よ!あなたに心を開きます。我らの内にお働きください。アーメン
ヴィヘルム・ブッシュ著 「365日の主」より


新しい心を与え、新しい霊を授ける。

2016年06月17日 | お気に入りの言葉

あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。・・・
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。(エゼキエル三六・二六、二七)
 ルドルフ・O・ヴィーマーがこんな詩を書きました。「キミは月まで飛んで行けよう。けれども地球は住めなくなるのだ・・・」。
 彼の言い分は全くそのとおり!いかなる技術の進歩をもってしても、我々自身がこの地球を地獄と化することを、防ぎ得ない。
技術革新は目覚ましい。が、人間は! 人間が問題!
 あらゆる時代を通じて、宗教の開祖たち、哲学者たち、道徳家たちは、どうしたら人間を変え得るかに腐心しました。
が、だれにも良い方法は見つかりませんでした。
 では生ける神ご自身がこの課題について語ったとすれば、どうして注目せずにおられましょう!
 神は言います。人が変わり、新しくなるために「わたしの霊をあなたがたのうちに授ける」と。
この力ある良き聖霊は、神によってこの暗黒の世に与えられました。聖霊はここにおられます。
ただ問題は、この方が我々の心に来るかどうかです。神は我々に強制しません。
この聖霊に心を開くかどうかを尋ねるだけです。
 聖霊はどうやって人を変えるか?
 第一に、聖霊は「人々」ではなく我々自身が道をはずれていること、この我々が自己中心で、汚れて、神なく、邪悪であることを示します。
 第二に、聖霊は、我々の悪しき「古き私」を生活の中心から排除します。そしてそこにイエスのための場所を確保します。
イエスは我々の救いのために死に、今や生きていて、我々の内に住むことを願われます。
 聖霊よ!あなたに心を開きます。我らの内にお働きください。アーメン
ヴィヘルム・ブッシュ著 「365日の主」より


愛は高慢にならない。

2016年06月16日 | お気に入りの言葉

 愛は・・・・高慢になりません。(Ⅰコリント一三・四)
 このことばは、生まれながらの我々の性質をなんと手きびしく言い当てることか!
 我々はまるで、そう、食用蛙のようにふくれあがる忌まわしい性質を持っています。
・・・自分の生活に飾り窓を付け、そこから人々がのぞき込んで、我々の立派さに目を見張るようにしたい、と思うのです。
 他人より抜きん出たいと願います。若い人は力を、年寄りは苦労を、それぞれ自慢の種にします。
 「愛は高慢にならない」こんなきよい愛を持つためには、我々は内的な大変化を経なければなりません。
 「高ぶり欲」は神の前に罪だということが明らかにされなければなりません。そうしたのち聖霊が我々の内に住むようになると、
 そのとき初めて、我々は「互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい」(ピリピ二・三)というパウロのことばがわかるようになるのです。
 ある祝福されたキリスト者の埋葬にあたり、一人の人が言いました、「彼と一緒にいるのは楽しいことでした。彼は決して自分を人よりも上に置こうとせず、
いつも謙遜であったからです」。
 主よ!我らの転倒した、ふくれあがった性格を滅ぼしつくしてください。アーメン
ヴィヘルム・ブッシュ著 「365日の主」より


憎しみ。

2016年06月15日 | お気に入りの言葉

「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである。Ⅰヨハネ2:9
 憎しみとは、昼間なのに閉め切って暗くなっている部屋のようなものです。
 部屋の中の明かりを全部つけて、エネルギーを無駄遣いする必要はありません。
もし、あなたがカーテンを開けて太陽の光を入れるならば、暗やみはまたたく間に逃げ去ってしまいます。
 あなたの心が神の愛に満たされているならば、憎しみの闇が入り込む余地はないでしょう。
 主よ、ありがとうございます。あなたは、私たちの心に、聖霊によって神の愛の心を注いでくださいました。
父よ、感謝いたします。あなたの愛は、私たちのゆるせない心、怒り、憎しみなどに勝利してくださいました。コーリー・テン・ブーム著 「日ごと新たに」より


主は心を見る。

2016年06月14日 | お気に入りの言葉

  わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る。Ⅰサムエル16:7
 神が人を測られるときは、巻き尺をその人の頭ではなく、その人の心に当てられます。
 主よ、なんと素晴らしいことでしょう。あなたは人が見るようには見られません。
あなたが測られるとき、それは完全です。
コーリー・テン・ブーム著 「日ごと新たに」より


小さき人。

2016年06月13日 | お気に入りの言葉

  小さき人であり続けなさい。自分を過大評価しないよう、
自分が取るに足らぬ存在だということを忘れないように。
どんな地位にあろうと、どんな才能をもっていようと、大したことではありません。
肝心なのはただ一つ、神様があなたをどう評価なさるかということだけです。
自分自身を、自分の失敗を、自分の無力さを笑えるユーモアのセンスを忘れてはいけません。バジル・ヒューム
祈りの泉 365のことばより


偶像とまことの神。

2016年06月12日 | お気に入りの言葉

 それは、きゅうり畑のかかしのようで、ものも言えず、歩けないので、
いちいち運んでやらなければならない。そんな物を恐れるな。わざわいも幸いも下せないからだ。エレミヤ書10章5節
 クリスチャン・ホームに生まれた子供には、小さいときから、「しちゃいけない」と言われていることがあります。
「お守りを持っちゃいけない」「初詣にいっちゃいけない」「占いの本を読んじゃいけない」等々。
お守りが欲しい、正月にはみんなと同じように初詣に行きたい、雑誌の占いコーナーを読んでみたい・・・・そんなふうに思ったことはないでしょうか。
 実際は、クリスチャンは、こうしたものはみな持ったり、経験したりしているのです。
聖書を読んだり、お祈りしたりするのは、私たちに最高の守りを与えてくれますし、日曜日に教会に行くのは「毎週が初詣」みたいなものです。
未来のことは分からなくても、未来を支配しておられる神が私たちの味方としておられます。
 つまり、本物を持っている人、知っている人は、偽物に惹かれる必要はないのです。
 聖書がいちばん禁じていることは、まことの神を知らなかったり、知っていても礼拝しなかったり、信頼しなかったりして、
その代わりに偽物や偶像の神々で満足してしまうことです。エレミヤも、「偽物で満足してしまうのではなく、本当の神のもとに帰りなさい」と人々に勧めました。
真実の神のもとに、真実の幸せがあります。
今日の祈り 私たちのつくり主であるまことの神様に、生涯仕える者としてください。バイブルプロミス366より


梅酒づくりの記憶。

2016年06月11日 | 日記

 昨日は、梅酒づくり。
梅酒づくりといっても、家内が洗って乾燥させておいた梅を瓶に入れ、それに氷砂糖とホワイトリカを加えるだけのことだが。
私が「梅酒づくりは、初めて」と言うと、家内は「えっ!」と驚いた様子。家内には、私が前にも梅酒づくりをした記憶があるらしい。
私の記憶の方が確かだとは思うが・・・。


貪欲と節約。

2016年06月10日 | お気に入りの言葉

  あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。ルカ一二・一五
 これはイエスの友にむかって語られているみことばであります。
 金銭は神を信じる者を誘惑するものの一つである、ということは聖書にしるしてありますし、又私たちの経験するところであります。
天の父の子とせられた多くの者たちにとって、貪欲は、神とともに生きようとする生命を、気づかない間に徐々にむしばむところの、
目に見えない病毒であります。・・・・・
 イエスが重大視されるのは、私たちの心の態度であります。だから、イエスは私たちのうちにある金銭にたよろうとする気持ちを打ち破ろうとしておられるのであります。
「よくよく警戒しなさい」と今日イエスは警告していらっしゃいます。
自己反省してみる気にはなりませんか。金に対してあなたの心がどんなふうに結びついているかを考えてみて下さいませんか。
自分が貪欲である、否か知りたいのですか。
 ここで非常にたいせつなことは、私たちが、少しの妥協もない誠実さをもって、自己をさぐって見るということであります。
私は貧しいものだ、という事実を口実したがる自分自身にだまされないようになさい。
富の奴隷になるという点においては、貧しい人も、富んでいる人も少しもちがっていません。貧しい人は、金を自分のものにしたいと常に願いつつも、
果しえないままに、ああ金、金、金よと金を礼拝しているのです。
 貪欲を節約という名でおおいたがる自分自身にだまされないように注意なさい。
けち臭い人は、節約を実行しているのだという口実を、いつも振りまわしたがるものです。
 あなたが貪欲な人か、節約している人かを決定するものは、あなたの心の態度であります。
 あなたが節約を重んじている人ならば、その動機が何であるかをたしかめてみて下さい。
O・ハレスビー著 「みことばの糧・365日の黙想」より


 


信者の益。

2016年06月09日 | お気に入りの言葉

 『神を愛する者のためには、すべてのことが、共に働いて善となることを、わたしたちは知っている。』ロマ八ノ二十八「私訳」

  一千の試みの中、五百だけが信者の益となるだけではなく九百九十九、そのもう一つも益となるのである。ジョージ・ミュラー

レテー・B・カウマン著 「荒野の泉」より


あなたの若い日に。

2016年06月08日 | お気に入りの言葉

 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。伝道者の書12章1節
 若いというのはすばらしいことです。ある人が、「もし私が神だったら、青春を人生の最後に持ってきただろう」と言ったそうですが、年を取ると、
自分から失われてしまった若さというものが、それくらいにすばらしく感じられるということなのでしょう。
 ダビデ王の息子ソロモンは、イエス・キリストが「栄華を窮めたソロモン」と言われたほどの人です(マタイ6:29)。
したいことを全部しました。けれどもソロモンは、どれほどの快楽やぜいたくによっても満たされないものがあることを知りました。
その経験をまとめたのが「伝道者の書」だとも言われています。その結論と言ってもよいのが今日のみことばです。
 「あなたの創造者を覚えよ」とは、「神が創造者であること、自分も神によって創造された一人であることを、信じて生きなさい」ということです。
そのことを、若いときに信じなさいと言うのです。
 人は、1日1日、年を取ります。ぼんやり生きていると、あっという間に老人になってしまいます。
 青春のまっただ中にいる人は、そのことの幸をよく考えなければなりません。したいことがいっぱいあるでしょう。
けれども、どんなことをするよりも前に、そして1日も早く、創造者を知ることが、最も大切で幸いなことなのです。
 今日の祈り 創造者である神様を知り、神様の導きに従って歩む者としてください。バイブルプロミス366より

 


キリストの声。

2016年06月07日 | お気に入りの言葉

 祈りの神髄とはキリストの声に耳を傾けることですが、それと同時に、
私たちが出会う一人ひとりのうちに響くキリストの声を聴き取ることでもあります。
その声を通してキリストが私に語りかけます。
キリストの声はあらゆる人の声の中にあり、キリストの顔は実にさまざまなのです。キャサリン・ド・フェック・ドハティ

 

祈りの泉 365のことばより

 

 


 


実を結ぼうと労してはなりません。

2016年06月06日 | お気に入りの言葉

  わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。ヨハル一五・5
 あなたが、つながろうと努力する必要はありません。
実を結ぼうと労してはなりません。
要は、イエスご自身に結ばれることです。それはちょうど、枝は幹に、幹は根に結ばれているように。
主と結ばれることは、いともたやすく、とても深く、非常に強力です。
イエスの命があなた自身の命に置き替えられます。そして、彼の愛があなたを通して流れます。

チャールズ・E・カウマン夫人著 「荒野の泉」より

 


あなたはなぜと言いますか。

2016年06月05日 | お気に入りの言葉

わたしは苦しまない前には迷いました。しかし今はみ言葉を守ります。詩篇一一九・67
不平を言ったり、つぶやくことは少しの益も与えません。不平不満、つぶやきを楽しんでも三文の値打ちにもなりまん。
神が天候を定め、雨を降らせられたら、あなたはなぜと言いますか。その理由は、雨が必要だからです。
緑の草原に夕立が必要であるように、神は私たちに苦痛の雨を降らせなさいます。
チャールズ・E・カウマン夫人著 「荒野の泉」より