人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

同じはかりで。

2016年06月22日 | お気に入りの言葉

 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、
あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。マタイ七・二

同じはかりで

 これはただの思いつきから出たことばではなく、神の永遠の法則である。
人をさばくなら、それと同じさばきがあなたのもとに反ってくる、というのである。
報復と応報には違いがある。「あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」とイエスは言われた。
これが社会の基盤となっている応報である。もしあなたが他人の欠点を見逃さないような人なら、
あなたも同じようにあら捜しをされるということを知れ。あなたの行いが、そのままあなた自身にはね返ってくる。
この法則は、神の御座から私たちの住む世界に働いている。(詩篇一八・二五、二六)
 ローマ人への手紙二章は、この法則をさらにくわしく述べている。
そして、他の人を非難する者は、そのことにおいて罪に定められると言っている。
神は行為だけではなく、私たちのそういった心の思いまでも見つめておられる。
なぜ私たちが、他の人の偽善やうそ、いつわりに目をとめるかと言うと、それらのものが私たち自身のうちにあるからである。
 聖徒のおもな特徴は謙遜である。そして彼は言う。「これらすべてのもの、またその他の悪も、もし神の恵みがないとしたら、
私のうちに現れていたことである。だから、私には人をさばく権利はない」と。
 私たちは兄弟を罪深いからといって、さばく。もし神が私たちをこのようにさばくなら、私たちはただちに地獄に落ちるだろう。
しかし、神はそのようにされない。神は、イエス・キリストのあの驚くべき贖罪のわざを通して、私たちをさばかれるのである。
オズワルド・チェンバーズ著 「366日の黙想 いと高き方のもとに」より