人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

事実と、事実に対する自分の意見を区別できるとき、人はほんものの大人になっていきます。

2012年06月07日 | お気に入りの言葉

   シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
   事実と意見を区別すること
ある集まり時間になっても、一人の人が見えません。
「あの人まだ来ないけれど、どうしちやったのかしら」
「あの人、いつも遅れるのよ」
「うん、ちょっと、だらしないところあるものね」
そんな会話の進む間に、当人が息せき切ってかけつけてきました。
「ごめんなさい。地下鉄で人身事故があって、三十分も閉じ込められていたの」
   定刻に来た人たちは、彼女が「いつも」遅れるとは限らないことや、
「だらしがない」というのは、自分の解釈であることに気づきました。
事実は、定刻に彼女が現れないということだけでした。
事実と、事実に対する自分の意見を区別できるとき、
人はほんものの大人になっていきます。