11/23(金・祝)
先日、大会後に【残念報】を出してから約二日。何か気持ちが吹っ切れて、前向き記事に書くことができるかな?と、昨日も1日過ごしてましたが、何も変わりませんでした。ここから稀に見る重苦しいレポートが始まりますので、そんな気分じゃない方は読み飛ばし下さい!(泣)
もう自然の力にちっぽけな人間が何もかなわないことなんてよくわかってますから、強風に対して恨んでもしょうがありません。
そして、自分でも何かを変えられたか?もう少し戦い方でどうにかできたのか?とも考えましたが、どうしたってあの猛烈な向かい風にはどうすることもできなかったでしょう。
それでもその強風に抗える走力を身につけられたんじゃないか?とも少ない可能性も考えてみましたが、やはりどうにも無理そうです。
結局、6月の東京喜多マラソンから、苦しい故障の期間も乗り越え、サブ55を目指して全力を尽くしてきた努力は、立ちはだかる強風の前にどうすることもできずむなしく散っていってしまったことに茫然自失、こんな堂々巡りの考えばかりが頭の中をループ、落ち込んだ気持ちをどうすることもできない自分がいます。
比較的メンタルは強い方の自分ではありますが、珍しく気持ちが重~く沈んだまま、回復の兆しすらなく、きっかけもつかめません。
なんだか、自分でも情けないですが、これが今の正直な気持ちです。
あ~あ、本当に残念でした。でも、しょうがないんです、あんな強風にはどうすることもできなかったのですから。
でも、タラレバの話しにもなってしまいますが、たとえ、向かい風が無かったとしても、もしかしたら35K以降、脚が力尽きて失速、撃沈してしまったような気もします。なんせ追い風と言ってもキロ4:04~6を連発してしまい、当時は楽に走れていたと思ってましたが、24Kで向かい風に合う前に既に足が疲労しはじめてるのを感じてましたから。あの感覚は、いつもなら30Kから35K位の疲労度に達してたかもしれなかったからです。
だからこそ30K位で右足の感覚が無くなりつつあり、35Kで左足の感覚も無くなり、DNFして収容車に駆け込もうと思うほどでしたから。更に、35Kまで何とか走れていたとしても、35K以降の上り坂の連発の前で屈してしまうことも容易に想像できたからです。
でも、これもタラレバの話しで、やってみなきゃわからない話しです。
と、まぁ~今回の振り返りは、ほぼこんな感じです。
では、もう少しだけ時計の針を巻き戻して振り返ってみましょうか。
今回、大田原マラソン、初めて挑んだ大会でした。
通常、マラソン大会と言えば日曜でしたが、今回は金曜祝日と言うことで、直前の調整が前倒しになる点が少し変わりましたが、いつもどおりの調整で順調に行きました。
そして、いつもは2日前に行きつけのマッサージに行ってましたが、職場が変わった関係で今回は馴染みの先生にお世話になることが出来なくなってしまったものの、それなりに自分でリカバー出来たとようなので、そこも問題なし。
しかし、前の晩、天気予報で「明日は木枯らし1号になる可能性が強く、風も強くなることが予想されてます」とあり、その時点でこれはマイナス要素だな~と。
スタート時も既に、競技場にくまなく掲げられたノボリやポールの国旗はバタバタとたなびいていて、もうそこではどうにもなりませんし、こんなんで戦意喪失なんかはしません。もちろん、やる気と気合はみなぎり、「いつでもスタートの合図よ来い!」と戦闘態勢は万全でした。
スタートから順調に1Kごとのラップを積み上げ、10K前でも向かい風区間は数百mあったものの、多くが追い風が多く、追い風の力を利用して1秒でも多く貯金を増やしていきました。
7K以降は、とうとうハーフ中間まで続く下り坂のスタートでした。でも、高低表ほどに下りの実感はなく、後半も同じくらいの傾斜なので、そこまで意識する必要も無いかなという感じでした。
それより、追い風の方が大きな要素で、結構背中を押されてラップを稼ぐことの方が多かったです。
また、横風の時は近くのランナーのゼッケンが「バタバタバタ」とたなびくことが特徴で、こういう横風も結構ありました。
しかし、24Kのラップを刻んだ後、壁のような向かい風が出現、しかも途切れ目がありませんでした。これでみるみるうちに走るエネルギーを奪われたようです。無駄に体力を消耗しないよう最適解を探しながらのランニングでも、この時点で多くのランナーに抜かれていましたから、向かい風の耐性は弱いんでしょうね。
この後は、ラップ表を見ながら振り返ります。
ラップ表を見てみると、32Kと33Kが大きな分岐点になるようです。32Kまで脈拍が181で限界ライン、その後、力が尽きたようにキロ4:47から5:10にラップを落とし、そこからラップと脈拍がどんどん落ちてます。
ちょうどこのあたりで足が痛くて故障しそうな気配も感じ、ギブアップするか悩んでたところでした。
35Kのラップは6:28と、ここでは収容車を探しながらでしたが、見つからず、収容してもらえそうにもなく、諦めて、両足首をグルグルしたり、アキレス腱伸ばしをしたり、感覚の無くなった足に血を巡らせてどうにか自己解決しようとしたところでした。
それで走ってみると、少し感覚が戻ったので、目標を完走に修正しつつ走り始めたところです。
で、感覚がまた無くなっては、両足首をグルグルをして、走りなおすこと2~3回。
このころは、後ろからのランナーにひたすら抜かれるだけ。この撃沈した時の何もなすすべも無く抜かれるのは、フルマラソンを始めてから数回の頃、よくあることでしたが、こほど惨めな気持ちになることはありませんね。
悔しくて、悔しくてどうにもならない自分への怒りは、見て見ぬ振りをしないとやりすごせなくて、今思い出しても本当に惨めなことです。こんなことにならないよう頑張ってトレーニングしてきたのですが、ある意味、初心を思い出させてくれる出来事でした。
でも、抜かれてもどうにもできないのも承知、こっちは足も故障しちゃうんじゃないかと言う手負いの身であったことは少し悔しさを緩和してくれてたかもしれません。
そして、ラップ41は、6:33になってますね、これはたぶんラストの猛烈な坂だったかもしれませんね。これは、フルのラストに、これは無いんじゃないの?って過酷な坂でした。これは、いくら順調に来たとしても、ラップはキロ4:40位は覚悟の坂だったと思います。
この頃は、撃沈後の足のダメージだけでなく、寒さも非常に身に応えてました。こんなにボロボロになっても、まだまだ向かい風の強風にいじめられ続けるのか?と、ダメージと寒さで見も心もすさみまくり。とにかくゴールして温まりたいと言う動機だけが、ゴールへのエネルギー源でした。
そして、何の歓喜もない3:17台と言うゴールタイム。そこから気持ちの低空飛行の始まりと言うわけでした。
全てをさらけ出して書きましたが、何とも重苦しく、気が重くなるような振り返りになってしまい、読んで気持ちを重くさせてしまったら申し訳ありませんでした。
ま、ここからどうするか、まだ何も見えてませんが、たぶん見えてくる結論は一つしかないのはわかりきっています。ただ、今の時点でそこまで行くことは難しいので、当分は今回の疲れを癒したいと思います。
足のダメージも、前回の東京喜多、前々回の古河はなももの比較的軽かったダメージとは違い、その時よりは重めのダメージで、ランニング再開は慎重に見極めたいと思います。昨日、階段を降りるとき、ちょっと膝につらい痛みを感じた時もありましたので。
さて、来週の日曜は、千葉マリンマラソンです。たぶん多くの方が参加されると思いますので、参加される方は、その時にお会いできるのを楽しみにしてます。ただ、ぼくが参加するのはファミリーの部2Kですが・・・(汗)今回は、家族サービスに徹しますので、参加される皆さんの健闘を祈ってます!
では、長々と暗い振り返り、失礼致しました。
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