木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

books20「中国はなぜ「反日」になったか」清水美和著(文春新書)

2005年04月18日 21時47分45秒 | books
以前「日本が知らない北朝鮮の素顔」を読んだ。(books16参照)
そして、今日「中国はなぜ「反日」になったか」を読み終わった。実はこの本は2004年8月に一度読んだ。その時はコメントを書けなかった。

2003年5月に発行されたこの本は、同年1月、「突如行われた小泉首相による3年連続の靖国神社参拝に中国は激しく反発した」ことをきっかけに書かれたようだ。
筆者は、「(1989年の第二次)天安門事件で共産主義の理想が色あせ、党の威信が大きく揺らいだことで、共産党は支配の正当性を強調するために抗日戦争の記憶を呼び起こすことが必要になったのである。「抗日戦争勝利50周年」の95年を中心に、愛国主義を鼓舞する激しいキャンペーンが行われた。」とその背景を分析している。

95年が30周年ということは2005年の今年は「抗日戦争勝利60周年」だ。

■ 、教育の失敗を強調
 天安門事件の硝煙がさめやらぬ89年9月、小平は事件を振り返って痛恨の思いを込めて語った。
 「われわれの最も大きな失敗と誤りは教育にあった。若い子供たち、青年、学生の教育が不足していた」(「小平文選』第三巻)
 二度と「暴乱」を起こさないためには、何をもって青年たちを教育するのか。ソ連・東欧の社会主義圈が崩壊し、中国も大胆に市場経済の導入を進めなければ、国際競争に勝てないばかりか体制の危機を招きかねない情勢の中で、マルクス主義はすでに輝きを失っていた。
 「私は一人の中国人として外国が中国を侵略した歴史を知っている。西側の7カ国が首脳会議で(天安門事件への)制裁を決定したというニュースを聞いた時、1900年に8カ国連合軍が中国を侵略した歴史を連想した。
 7カ国からカナダを除き、ロシアとオーストリアを加えれば当時の8カ国になる。中国の歴史を知らなくてはならない。それが中国を発展させた精神的な動力だ」(同書)
 天安門事件が小平に残した教訓こそ、90年代を通じて中国の歴史と愛国主義の教育が飛躍的に強化される出発点になる。

■ 愛国主義教育の徹底
 の後継者たるべく総書記に抜擢された江沢民にとっても、ソ連・東欧の社会主義圏が崩壊する中で、愛国主義の鼓舞は共産党政権の生き残りをかけた戦略だった。
(本書155~6頁)

 そして、
党中央の指示は、「現代の中国では愛国主義と社会主義は本質的には一致する」と宣言し、共産党の指導指針が事実上、愛国主義となったことが明確にされる。(本書158頁)

さらには、
中国指導部には89年4月、胡耀邦元総書記への追悼デモを「暴乱」と決めつけて学生の反発を買い、天安門事件を招いた苦い経験がある。(本書184頁)

本書では、終章「歴史問題はどこへ行く」で、
「反日論」に対して「嫌中感」
が広がっているとしている。
「年1回の靖国参拝」を公言するのは、構造改革の公約が実現せず内閣支持率が下降する中で、日本社会に広がった中国の圧力に対する反発をも利用し、政権の求心力を高める狙いがあるようだ。
として、
「嫌中感を利用した人気取りを続けていくのは、あまりに不毛である」と指摘している。

私の大学時代に第一次教科書問題が起きた(1982年、文部省(当時)が検定で歴史教科書の記述を「侵略」から「進出」に書き換えさせた)。2002年に亡くなられた家永三郎さんの起こした教科書裁判の支援集会や勉強会などにも参加した。

そして、いま、連日テレビで放映される中国の反日デモの様子を見て、しばし判断力を失っている自分に気付いた。自分ではそれなりに分かったつもりになっていたけれども、現実の反日デモや日本料理店への「暴動」を目の当たりにして「いったいどう受け止めたら良いのか分からない」という気持ちだ。

すくなくとも考えているのは、「嫌中感を利用した人気取り」に乗せられてしまわないようにしたいということだ。

中国はなぜ「反日」になったか

文芸春秋

このアイテムの詳細を見る


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 経済用語が苦手な手話通訳者 | トップ | books21「ぼくたちの言葉を奪... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

books」カテゴリの最新記事