かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

放任果樹園

2008-01-19 14:46:25 | 田舎の生活
今日は、久しぶりに我が家の柑橘果樹園へ行った。もう何年も防風林の杉垣を手入れしていないので、杉の木は伸び放題で、防風効果はよいものの、遮光にもなってしまっている。これでは、せっかくの柑橘たちが可哀想である。高い木は7~8m程もあるのではないかと思われる。先日も一度、杉の木の高い部分を少し切り落としたのだが、梯子が無かったために思うように作業がはかどらず、進捗状況は数%にも達していない。そこで、今日は梯子を担いで行って、枝切り作業を行った。おかげで、足場は大丈夫だったのだけれど、何しろ高く伸びた杉の木は、切り落とした先の部分だけでもかなり重く、時々下の段の畑に引き込まれそうになる。それに、狭い段々畑なので、切り落とした枝の置場確保もなかなかである。
チェーンソーなど無く、小さなノコギリでの作業なので、はかどりは遅い。そんなわけで、今日でやっと延長10m程度の杉垣部分が散髪できた。散髪された背後の柑橘は、久しぶりに太陽の光が差し込んできたので、ありがとうと言ってくれているような気がしたが、気のせいである。
そして、散髪した杉垣越しに見る宇和海もいいものである。今日は、まあまあ天気が良かったので、九州の山々が良く見えた。 
我が家の果樹園には、消毒はおろか肥料も与えていないので、正に放任果樹園である。そのため、写真のように、柑橘たちはなんだかみすぼらしい感じで、見てくれも悪い。それでも、毎年実をつける。いとおしいと思いながら、生っている「清見」をひとつ取って食べてみた。糖度抑え目で、少々酸味が強いと感じたものの、結構美味しかった。味はさておくとしたら、無農薬・無肥料なので、町内で一番安全な「清見」であろう。あはは。  

鞍馬天狗が帰ってきた

2008-01-18 13:13:10 | その他
昨夜、NHKテレビの『鞍馬天狗』を見た。鞍馬天狗といえば、子供の頃の元祖ヒーロー的なところがある。最も有名な鞍馬天狗は、嵐寛寿郎だろうけれど、私はリアルタイムで見た記憶はない。私が見た映画では、鞍馬天狗は東千代之介や市川雷蔵だったように思う。 
さて、今回のTVドラマでの鞍馬天狗は、野村萬斎である。『陰陽師』と同様、狂言師独特のセリフのしゃべり方と身のこなし。テレビを見ていて、最初はあの鞍馬天狗とどうも結びつかなかった。ところが、後半、イカのようなおきまりの黒頭巾になった時には、「フムなかなか似合っているな」と思い直した。それにしても、鞍馬天狗が公家の嫡男(小野宗房)だったとは知らなかった。映画などでは、倉田典膳と名乗ることが多いようだが、本名ではないらしい。
そして、緒方直人の近藤勇、石原良純の桂小五郎、ふーん、まあなかなか面白い配役ではないでしょうか。昨日は、角兵衛獅子姿の杉作少年は登場しなかったので、来週あたりかな?杉作少年役は、映画では、美空ひばりや松島トモ子もやっていたように思う。そんなポスターだかスティール写真だかを見た記憶がある。
NHKのこの時間帯の時代劇は、時々はまることがある。結構楽しめたので、来週も見ようっと。 

梅開花

2008-01-17 13:27:13 | 草花・樹木
我が家の庭にある1本の梅の木が、数日前から花を咲かせ始めた。そして、今日はもう30~40輪ほどの花が咲いている。しっとりと清楚な感じがして、私はどちらかといえば、華やかな桜の花より梅の花のほうが好きである。桜は、ぱーとたくさん咲いてなんぼ、的なところがあるけれど、梅は1輪でも十分にその存在感をあらわしているような気がする。 
それにしても、樹木というものは大したものだなあと思う。秋から冬にかけて落葉して、その後は幹と細い枝だけになっていたのに、寒い中しっかりと蕾をつけ、そしてこうやって花が開く。別段肥料を与えているわけでもないのに。
この調子で今年も実をつけ、5月ごろには実を採って、梅酒、梅干を作りたい。

堆肥の切り返し

2008-01-16 13:17:45 | 田舎の生活
遅れ遅れになっていた“堆肥の切り返し”を、やっと昨日行った。予定では年末に行おうと思っていたのだけれど、ついついサボってしまった。「ついつい」が、20日も経ってしまった。 
雨よけに被せたブルーシートや板を剥いでみると、落ち葉どもは概ね黒ずんでいるが、上の方の落ち葉で湿っていないものは、ほとんど変色していなかった。やはり、最初に仕込んだ時少し水が少なかったようである。それでも、シートを剥がした途端に、結構な臭いが漂ってきて、切り返し作業を始めるとよりいっそう強く感じた。なんというか、糞尿のような匂いである。ということは、いい感じで発酵してきたのではないかと思われる。でも、モウモウと湯気が出るほどではない。まだ十分に腐っていない落ち葉も多いので、このあと2週間おきくらいに、4回ほど切り返しを行えば、もう少しいい感じになってくれるだろうと願っております。(写真は切り返し終了後)
おかげで、手を鼻に近づけると、今日もまだあの臭いがしております(失礼)。 

“まなご石”に誘われて

2008-01-15 11:21:41 | 田舎の生活
昨日は1月14日ということで、昔からの慣習どおり、私も浜に“まなご石”を拾いに行き、奥さんを伴ってそれをお墓に持って行き、花とともにお供えした(11月16日のブログ参照)。まなご石を供えるのは、自分としては初めてのことだ。誰にも教わっていないので、供え方は全くわからない。ご先祖さまは苦笑しているかもしれない。 
少々驚いたのは、お彼岸などよりもたくさんの人がお参りに来ているようだった。大げさでなく、集落内にいるよりも短時間に多くの住民の姿を見かけた。やはりこの集落では、まだまだ昔からの慣習を守っている方々が多いようだ。でも、誰一人として「なぜ、まなご石をお墓に供えるのか」について、知っている人はいない(と思う)。ましてや、なぜそれが1月14日なのかなど・・・。フジテレビ系では、今日から始まる慎吾くんのドラマにちなんで、朝から「ローズデイ」だなどと騒いでいたが、それとは関係ないだろう。
そして、これも関係ないのだが、お墓には自生の水仙がたくさん生えていて、奥さんは少々驚いている様子だった。でも、お墓の水仙はまだ全然つぼみが出ていない。我が家の畑の隅っこに生えている水仙は、もう花が開いたというのに。やはり、多少とはいえ高度差があり、お墓界隈は集落内より気温が低いのだろう。


そして、もうひとつ発見した。お墓を参って車に戻る途中、古くて放置されている墓石をいくつか見ていると、天保、弘化、嘉永、万延、慶応など、江戸時代後期の年号が記されたものがいくつかあった。これらの放置墓石は、今ではここの住民には忘れ去られていることと思う。でも、確かにこの地でその時代を生き、亡くなられた先人がいたことの証であり、その方たちを弔った人たちがいたのだということを改めて実感した。そんなことを考えると、せめて茫々に生えた草だけでも刈ってあげられればいいのだけれど、と思ったりもする。そして、草刈りをしながら少しずつ、ひっそりそれらのありようを調べてみようと思う。 
昨日の稀勢の里は、気迫、突き、押し、スピード、全てがすばらしかった。昨年の初場所、春場所の悔しさを吹っ飛ばしたことだろう。 でも、次からが正念場だよ。

日本ピラミッド(後編)

2008-01-14 11:13:41 | 旅行
葦嶽山は神武天皇陵との伝説がある山で、崇拝の対象となっていたらしい。昭和9年、ピラミッド研究家の酒井勝軍(かつとき)が、山頂より直径3mの太陽石とその周囲から円形・方形の盤境を発掘し、2万3千年前(世界最古)のピラミッドであると紹介したことから大きな話題を呼んだ、と。その後、国家により破壊、離散させられ、現在それらを見ることはできない、のだと。ここより約150m離れたもうひとつの山頂鬼叫山周辺には巨石群があり、葦嶽山が本殿であるとされている。その後、当地を訪れた某歴史学者は、古代縄文期の巨石信仰の古跡だろうと、推論を述べているとの事である。

【鬼叫山の巨石群とされる地帯】

地質屋のA氏は、「巨石群だといっているが、これは単なる花崗岩の風化残留巨石であり、人工的な造作だとする根拠がない。方位石とされる岩石の割れ目は、周辺の他の岩石にも同じ方向のものが見られ、互いに直交する3方向に発達した方状節理であり、自然にできる割れ目だ」と悲しそうにもらしていた。
ロマンて何や? これらが、2万3千年前のものだとする根拠がさっぱりわからず、これらの巨石群(?)は、やはり謎という名のインチキ(失礼、「錯覚、誤信、思い込み・・・等々」)につつまれたままのように思える。酒井なにがし、某歴史学者の顔が見てみたい! 

【方位石とされる地盤】

この石の割れ目は、直交する2方向の鉛直節理が少し開いており、それらが東西南北を示す方位石とされている。しかしながら、写真中央の説明板には、ご丁寧に「実際には東西南北から30度ずれている」と書かれている。これを読んだA氏は、「フン!」と鼻で笑ったきり、天を仰いでいた。その後ろ姿は、「30度もずれた方位石がどこにあるんだ!そんなのあてずっぽうでも、できるじゃないか。おととい来やがれ!」と叫んでいるかのようであった。 
案内看板のイラストと実物とのあまりのギャップに、一行は山を上って行く時の高鳴りは消え、この冒険のむなしさをかみしめながら、お互い無口で下山したとさ。  おしまい、おしまい。

【あとがき】きっと、専門家は見向きもしなかったのかもしれない。そんなものに真剣に向き合おうとした私が馬鹿だったのか?地元では「日本ピラミッド」という銘柄の日本酒も売っているのを見て、私は苦笑してしまいました。・・・皆さんのお近くにも怪しげな名所・観光地があれば、ご一報お待ちしております。

日本ピラミッド(前編)

2008-01-13 11:15:22 | 旅行
世の中には、あちこちに怪しげな名所・観光地があるのではないかと思っております。それを見に行って、その怪しげぶり・インチキぶりを暴こうと、会社勤めをしていた頃、自分で勝手に新聞のようなものを作った事があります。残念ながら、平成15年に第1号を作ったきり、その後第2号が作れずにいます。そういうわけですが、今回はその第1号をブログ用に編集しなおして、2回に分けてご紹介したいと思います。
ところは広島県で、県道にも大々的にその標識があり、出張で何度かそこを通るたびに気になっていたものです。なお、本文は、多少おちゃらけ的冒険活劇風ドキュメンタリーになっておりますことを、お断りしておきます。
では、はじまり、はじまーり! 

『日本ピラミッドの正体・・・ついにベールを脱いだ日本ピラミッドとは
かねてより某民間会社にて、密かに話題になっており、広島県の山間部に存在すると噂されていた「日本ピラミッド」なるものを捜し求めて、4月某日、自称探検家のD・キムコ氏(年齢不詳)が、数名の架空の同行者とともに、道路わき看板などわずかな手がかりをたよりに、目的地へ向かった。林の中を数分走った狭い道路の終点には、駐車場があり、案内看板を見つけた。そして、その看板のイラストを見て、ますます胸が高鳴ったのである。 


そして、一行は車を降りいよいよ山中に入った。 途中、蛇に化けたヤマタノオロチに行く手を阻まれるなど、苦難の連続であったが、草薙の剣に勝るとも劣らない棒切れで追い払うなどして、何とか難を逃れ、額に汗しながらひたすらピラミッドを目指し、山行を続けること約40分、ついに、一行は日本ピラミッドにたどり着いた・・・かに思われた。
たどりついたところは、木々の生い茂った山頂。しかしながら、そこには、ピラミッドらしき造形物は見当たらない。「葦嶽山815m」の標識と日本ピラミッドの由来が書かれた倒れかけの看板があるだけである。(まるで、かの『トリック』の出だしを彷彿とさせる) 


ピラミッドと言うからには、せめて石積みあるいはそれらの残骸があるだろうと期待していたD・キムコ氏の落胆は、その表情に表れていた。そして、「これをピラミッドと見なした度胸と想像力はどこからくるのだろう」とため息をもらしていた。
山頂から下って離れて眺望すると、葦嶽山山頂は三角形を呈しており、確かに形はピラミッドに似ていなくはない。しかしながら、架空同行者の地質屋A氏は「これは花崗岩からなる山体であり、人工的に盛り上げて造られたものとは思えない」と語り、B氏は「これがピラミッドなら、その周辺にはラクダのウンコがあるはずだ」とブツブツ言っていた。また、C氏は「ピラミッドに木が生えているなんて聞いたことがない」と驚いているようすであった。 

【日本ピラミッドと呼ばれる葦嶽山山頂の山容(標高815m)】

とはいえ、葦嶽山からの見晴らしは結構いいものであった。
     ≪つづく≫

ヒラリーさんに哀悼の意を

2008-01-12 11:27:46 | 
ヒラリーさんが昨日11日亡くなられたとの訃報を知った。もちろん、今話題のクリントンではない。1953年に世界で初めて、ネパール人シェルパ族のテンジン・ノルゲイとともに、エベレスト登頂に成功した、あのエドモンド・ヒラリーさんだ。88歳とのことである。
彼は、ニュージーランドでは第一人者の冒険家で、ニュージーランドの5ドル札に肖像画が描かれている。
そして、その後彼は何度もネパールを訪れるとともに、「ヒマラヤ基金」を創設して、学校や病院などをつくる資金を集めるなどして、ヒマラヤの人々の生活向上のために尽くしてきた人でもある。
私は、ヒラリーさんにお会いしたことはないが、彼に食事を作ったことのある人をよく知っている。会社勤めの頃、しばしば群馬県の尾瀬の近くに出張していて、定宿にしていた民宿がある。そして、ある出張の時、食堂の壁に背の高い高齢の男性と普通の背丈の女性、そして民宿の主人の3人が写っている写真を見つけた。その写真は、それまでの出張では飾られていなかったものだ。写真に近づいてみて、その背の高い男性が、ヒラリーさんではないかと思い至った。そこで、民宿のご主人に尋ねると、確かにヒラリーさんだという。なぜ、ヒラリーさんとご主人(以下“M”さんとする)が一緒にいるのか尋ねてみると、ヒラリーさんが数ヶ月前に奥さんと一緒に、大清水に来られて、その時大清水の食堂の人から、Mさんに「こういう人が来ているのだが、自分達ではどういう料理を作ってよいかわからないので、食事を作りに来て欲しい」という連絡がきたそうだ。このMさんは、民宿を始める前は、町のホテルのコックをしていた方で、料理が上手なのだ。そこで、Mさんは大清水までお出ましになられて、ヒラリーご夫妻に料理を作ってあげ、喜んでいただいたそうである。記憶は定かでないが、硬めの肉料理と、そばをスパゲッティ風にして出したとか言っていたような気がするのだが・・・。
大清水というのは、尾瀬に行かれたことのある方なら、すぐにお分かりになると思いますが、鳩待峠とならんで尾瀬ハイキングの起点になる所である。そして、壁の写真はその時に、大清水で撮ったとのことであった。私はMさんがとても羨ましかった。せめて、写真をコピーさせてもらおうかと思ったほどである。
今回知ったのであるが、彼の息子ピーター・ヒラリーも冒険家で、テンジン・ノルゲイの孫タシ・ワンチュク・テンジンとともに、2002年エベレスト登頂に成功しているとのことである。なんだか、とてもいい話である。
また一人、偉大な人が亡くなり、ひとつの時代が終わった、と感じている。ヒラリーさんのご冥福をお祈りいたします。 

ナショナルキッド

2008-01-11 11:10:37 | お気に入り

松下電器産業が、社名を「パナソニック」に変更し、ブランド名もパナソニックに一本化すると発表した。これにより、創業者の故松下幸之助さんの名を冠した「松下」も「ナショナル」も消えることになる。

ナショナルといえば、私は、子供の頃のヒーローの一人「ナショナルキッド」を思い出します。

 雲か 嵐か 稲妻か

   平和を愛する人のため ・・・

 

このテレビドラマは、その名の通り、松下=ナショナルが単独スポンサーだった。そして、TVとどちらが先だったかは、覚えていないが、一峯大二作のマンガで『冒険王』にも連載されていた。ネット検索してみると、テレビドラマでは、本間千代子も出演していたとある。私自身の記憶は、その辺は定かでない。でも、子供の頃(小学~中学か?)彼女の映画を何本か見たことがあり、吉永小百合には目もくれず、本間千代子さんが大好きだった。 そのうち、彼女は「僕は泣いちっち」のおじさんのお嫁さんになってしまい、映画界から姿を消したので、寂しかった。

話が少し横道にそれましたが(ずーとそれっぱなしかも知れないが)、ナショナルキッドは、胸に大きく「」の文字が書かれたユニフォームの上にマントを着て、空を飛んでは地球の平和を守ってくれていた。

そして、町内のソフトボール大会の時、私達名取小学校チームのユニフォームの左胸には、ナショナルキッドと同じ「」の文字が描かれていて、とても嬉しかったことを思い出す。そんな、慣れ親しんだ「ナショナル」が消えていくのは寂しい気がする。パナソニックは、海外的にはカッコいいのだろうけれど、「パナソニックキッド」では様にならない。


アナナorアテモヤ

2008-01-10 13:12:46 | 食材・食事
先日、愛知県の田舎在住の大学の先輩から電話があった。先輩の話によると、「昨年父島へ行き、帰りに船の中で食べた果物がとても甘くて美味しく、種をとってあるので、君んちの畑に植えてみないか」ということだった。先輩の娘さんは、父島でホエールウォッチングのガイドをやっているらしく、帰りにその娘さんがその果物を買ってくれたとのことだ。先輩の家は山間部で気温が低いため、ここ四国なら暖かいので、発芽するのではないかということだった。その果物は、父島では「アナナ」と呼んでいるが、「アテモヤ」ともいうらしいとのことだった。私は、この果物の名前は初耳だ。
早速、ネットで調べてみると、先輩の話は少し違っているように思える。「アナナ」は別名「バンレイシ」、またその外見から「釈迦頭(しゃかとう)」といい、それと世界3大美果のチェリモヤをかけ合わせて作られたハイブリッド種がアテモヤのようである。そして、とあるブログには、「アナナは甘いだけなので人気がないとか」とある。 「ん?」
国内ではまだ栽培面積が少ないらしく、沖縄、鹿児島、静岡などで栽培されており、最近紀州でも栽培が始まったようである。柑橘農家の経営安定のための補完作物として、または柑橘類の代替果樹として、注目・研究されているようである。
そして昨日の夕方、先輩が送ってくれたその種が届いた。先輩のメモには、種は2種類あると書かれていた。みると、確かに柿の種状のものとやや細長いものがある。果たして、これは「アナナ」なのだろうか?「アテモヤ」なのだろうか?それとも、両方入っているのだろうか?「せんぱーい、どっちですか?」 
先輩の話によると、父島では発芽率はほぼ100%とのことであるが、果たしてこの地でうまく発芽するだろうか。ネットでみると、0℃以下にならないようにビニールハウス等での栽培が必要だとも書いてある。しかし、若木(2~4年生)で5℃、成木(5年生以上)で3℃以上に保てば生育に問題ない、との研究結果もある。そして、樹高が3m程度になるそうなので、これだけの種を蒔くとなると広い園地が必要になる。最初は、植木鉢でもよいのだろうか?果たしてどこに、どうやって植えようか?  柑橘の木を何本か切り倒そうか? 愛媛ではまだ栽培実績がないのだろうか?