かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

“まなご石”に誘われて

2008-01-15 11:21:41 | 田舎の生活
昨日は1月14日ということで、昔からの慣習どおり、私も浜に“まなご石”を拾いに行き、奥さんを伴ってそれをお墓に持って行き、花とともにお供えした(11月16日のブログ参照)。まなご石を供えるのは、自分としては初めてのことだ。誰にも教わっていないので、供え方は全くわからない。ご先祖さまは苦笑しているかもしれない。 
少々驚いたのは、お彼岸などよりもたくさんの人がお参りに来ているようだった。大げさでなく、集落内にいるよりも短時間に多くの住民の姿を見かけた。やはりこの集落では、まだまだ昔からの慣習を守っている方々が多いようだ。でも、誰一人として「なぜ、まなご石をお墓に供えるのか」について、知っている人はいない(と思う)。ましてや、なぜそれが1月14日なのかなど・・・。フジテレビ系では、今日から始まる慎吾くんのドラマにちなんで、朝から「ローズデイ」だなどと騒いでいたが、それとは関係ないだろう。
そして、これも関係ないのだが、お墓には自生の水仙がたくさん生えていて、奥さんは少々驚いている様子だった。でも、お墓の水仙はまだ全然つぼみが出ていない。我が家の畑の隅っこに生えている水仙は、もう花が開いたというのに。やはり、多少とはいえ高度差があり、お墓界隈は集落内より気温が低いのだろう。


そして、もうひとつ発見した。お墓を参って車に戻る途中、古くて放置されている墓石をいくつか見ていると、天保、弘化、嘉永、万延、慶応など、江戸時代後期の年号が記されたものがいくつかあった。これらの放置墓石は、今ではここの住民には忘れ去られていることと思う。でも、確かにこの地でその時代を生き、亡くなられた先人がいたことの証であり、その方たちを弔った人たちがいたのだということを改めて実感した。そんなことを考えると、せめて茫々に生えた草だけでも刈ってあげられればいいのだけれど、と思ったりもする。そして、草刈りをしながら少しずつ、ひっそりそれらのありようを調べてみようと思う。 
昨日の稀勢の里は、気迫、突き、押し、スピード、全てがすばらしかった。昨年の初場所、春場所の悔しさを吹っ飛ばしたことだろう。 でも、次からが正念場だよ。