かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

子供の夢を乗せて

2008-01-26 14:06:26 | その他
昨日テレビで、14年前に川崎市の小学生が風船に付けて飛ばした手紙が、千葉県銚子漁港で水揚げされたサメガレイの背中にくっついた状態で見つかったとのニュースを見た。このカレイは水深約1000mの深海にすんでいるそうで、よくぞそんな深いところまで破れた風船と手紙が沈んだものだなあとも、よくぞ背中にくっついたままはずれなかったものだなあとも感心した。  そして、今や大学生になった手紙の主や手紙が公開されていた。

このニュースを聞いて、私はすぐに思い出した。4年余り前、会社勤めをしていて、出張で滋賀県朽木村へ調査に出かけていった時のこと。私も山中の沢で偶然風船を見つけたことがある。風船は当然破けた残骸だったのだが、破けた風船の先に大き目の付箋紙ほどの紙が付いていて、それには、「この風船は子どもの夢を乗せて飛ばしました 拾われた方は左記へご連絡下さい」とあり、住所・小学校名が書かれてあった。残念ながらこれらは印刷文字だった。そして、裏には子供の名前が書かれてあったのだが、こちらはどう見ても大人の文字だった。小学校の住所は、兵庫県出石町だった。出張から帰って、地図で調べて見ると、風船は東へ約90km飛んだことがわかった。私は、風船を飛ばしたことはないけれど、そんなに遠くまで飛ぶことに少々驚き、たいしたものだなあと感心した。 
そして、風船を発見した場所の写真や地図を添え、全てひらがなで書いた手紙とともに、風船を小学校へ送った。その時、やはり子供の名前が本人直筆でないことが残念だったので、余計なおせっかいだと思いつつも、風船・子供への手紙とともに同封したもう一つの手紙には、「できれば、子供さんが自分で名前を書いたほうが、戻ってきた時、よりいっそう嬉しいのではないでしょうか」というようなことを、先生宛に書いておいた。
今思えば、風船に付いていた紙には年月が書かれていなかったので、私が見つけた時には、その小学生は何年生になっていたかわからない。ひらがなばかりの手紙では失礼だったかも知れない。あの時、風船に乗っていた子供の夢は何だったのだろう? ただ、風船が遠くへ飛びますように、ということだったのだろうか? 後日届いた子供のお母さんからのお礼の手紙には、地元の町の観光をPRしたパンフレットがたくさん同封されていた。