かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

ヒラリーさんに哀悼の意を

2008-01-12 11:27:46 | 
ヒラリーさんが昨日11日亡くなられたとの訃報を知った。もちろん、今話題のクリントンではない。1953年に世界で初めて、ネパール人シェルパ族のテンジン・ノルゲイとともに、エベレスト登頂に成功した、あのエドモンド・ヒラリーさんだ。88歳とのことである。
彼は、ニュージーランドでは第一人者の冒険家で、ニュージーランドの5ドル札に肖像画が描かれている。
そして、その後彼は何度もネパールを訪れるとともに、「ヒマラヤ基金」を創設して、学校や病院などをつくる資金を集めるなどして、ヒマラヤの人々の生活向上のために尽くしてきた人でもある。
私は、ヒラリーさんにお会いしたことはないが、彼に食事を作ったことのある人をよく知っている。会社勤めの頃、しばしば群馬県の尾瀬の近くに出張していて、定宿にしていた民宿がある。そして、ある出張の時、食堂の壁に背の高い高齢の男性と普通の背丈の女性、そして民宿の主人の3人が写っている写真を見つけた。その写真は、それまでの出張では飾られていなかったものだ。写真に近づいてみて、その背の高い男性が、ヒラリーさんではないかと思い至った。そこで、民宿のご主人に尋ねると、確かにヒラリーさんだという。なぜ、ヒラリーさんとご主人(以下“M”さんとする)が一緒にいるのか尋ねてみると、ヒラリーさんが数ヶ月前に奥さんと一緒に、大清水に来られて、その時大清水の食堂の人から、Mさんに「こういう人が来ているのだが、自分達ではどういう料理を作ってよいかわからないので、食事を作りに来て欲しい」という連絡がきたそうだ。このMさんは、民宿を始める前は、町のホテルのコックをしていた方で、料理が上手なのだ。そこで、Mさんは大清水までお出ましになられて、ヒラリーご夫妻に料理を作ってあげ、喜んでいただいたそうである。記憶は定かでないが、硬めの肉料理と、そばをスパゲッティ風にして出したとか言っていたような気がするのだが・・・。
大清水というのは、尾瀬に行かれたことのある方なら、すぐにお分かりになると思いますが、鳩待峠とならんで尾瀬ハイキングの起点になる所である。そして、壁の写真はその時に、大清水で撮ったとのことであった。私はMさんがとても羨ましかった。せめて、写真をコピーさせてもらおうかと思ったほどである。
今回知ったのであるが、彼の息子ピーター・ヒラリーも冒険家で、テンジン・ノルゲイの孫タシ・ワンチュク・テンジンとともに、2002年エベレスト登頂に成功しているとのことである。なんだか、とてもいい話である。
また一人、偉大な人が亡くなり、ひとつの時代が終わった、と感じている。ヒラリーさんのご冥福をお祈りいたします。