かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

おまぬけさま

2007-09-04 13:42:03 | 政治・社会
安倍改造内閣の発足から1週間、最初に辞める大臣は誰だろうと思っていたら、またまた農水相だったので、笑ってしまった。今回の遠藤農水相の辞任に併せて、同様の問題で坂本外務政務官が辞任、そして、玉沢元農相が自民党を離党するようだ。どうしてこうも次から、次から不祥事が発覚するのだろうか。そして、安倍首相の任命責任の甘さはどうしたものだろう。よほど政治家は「カネ」がらみでは汚れているようで、この何十年間ちっとも体質は変わっていないような気がする。遠藤農水相は、今回の就任時に「農水省だけは来たくなかった」と言っていたが、あれは後ろめたさから発した言葉だったのだろうか。それにしても大臣在任期間8日間というのは、日本記録だろうと思っていたら、過去にわずか4日間で辞任した大臣もいたようで驚いた。上には上がいるものだ(いやこの場合は下かな?)。 
そういえば、うちの奥さんは、前回辞任に追いやられた赤城元農水相のことを“おまぬけさま”と言っている。ばんそうこう姿での間抜けな会見から発した名前だ。そして、先日TVのニュースでやっていたが、アメリカの二人組みのコンビニ強盗も“おまぬけさま”だと言っていた。この二人組みの場合は、一人が全裸でフラダンスを踊りながらコンビニに入り、店員がその姿に気を取られている間に、もう一人がビール1ケースを盗み出したというものだが、直後にこの二人組みは逮捕されたようだ。まさしく“おまぬけさま”だ。私は、ビール1ケース欲しさに全裸になるほどの度胸はない。
しかし、今回の遠藤農水相の場合は、フツーなので、“おまぬけさま”には当たらないと言っている。
次の“おまぬけさま”は?そして、次の辞任大臣は誰だろう? 

亡霊から江藤新平まで

2007-09-03 12:10:26 | 田舎の生活
先日、親戚からわが町の『町誌』を借りてきた。昭和60年発行だ。我が町、我が地区のことで、どうもわからないことが多すぎるので、『町誌』を見ればいろいろ書いてあるのではないかと思ったからだ。何だか強い味方を得た気分で、早速、いくつか気になっていることを拾い読みしてみた。

まず、以前8月14日付のブログで書いたお盆行事の「もうりょう」だが、どういう漢字を書くのかわからなかったが、「亡霊」と書くようで、この漢字だと普通に読めば「ぼうれい」と読んでしまうが、「今年1年間に亡くなられた人」という意味だそうだ。
それから、8月13日付のブログで書いた「うら盆」だが、本来お盆のことを正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」というが、その「盂蘭」ではなく、「地蔵盆」のことを我が地方では「うら盆」と称しているようで、8月24日がその日に当たるようだ。
『ウィキペディア』などによると、地蔵盆はお寺の中に祀られている地蔵菩薩を対象としているのではなく、路傍や辻の地蔵が対象になっているようで、元は地蔵会、地蔵祭と呼ばれたが8月24日が裏盆にあたることから、盂蘭盆にちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった・・・」とある。また、他のHPなどでは「お盆のあとの地区ごとに都合の良い日に行われる子供祭りのこと」などともあり、やはり我が地区の「うら盆」の「うら」は裏表の「うら」の意味のようでもある。 

そして、8月19日付のブログで書いた西郷隆盛や江藤新平のことであるが、母方の祖母の話は少し違っていて、その祖母方(『町誌』を貸してくれた親戚)の人の話では、宿泊したのは西郷隆盛ではなく、江藤新平のようだ。佐賀の乱の後、江藤新平はやはりこの半島を経由して高知県に逃亡したようで、『町誌』には、「江藤一行は船で三崎に立ち寄り、隅田邸に投宿し、宿泊の謝礼としてか、当時としては珍しい鉛筆を置いて密かに出発したことが言い伝えられている」(『伊予史談』より引用)との記述がある。さらに、三崎を発った後、我が地区より八幡浜へ向かったともある。今は私が菜園として使っている場所にそんな歴史があったことが、いよいよ真実味を帯びてきた。しかし残念ながら、今はそのことを証明する何の証拠もない。 

土佐さんおめでとう

2007-09-02 16:37:52 | スポーツ
世界陸上もいよいよ最終日。昨夜は男子400mリレーで、アンカーの朝原選手の懸命の追い上げも及ばなかったものの、アジア新記録で日本選手が5位入賞を果たした。先日の100mで、決勝に残れなった朝原選手のインタビューも印象的だったが、昨夜の走りも見事だったと思う。
そして、今日は朝から女子マラソン。応援するのは、当然同県人の土佐礼子選手だ。そのほかの日本人選手も中盤まではトップ集団で頑張った。原選手にも期待していたのだが、残念ながら中盤過ぎで彼女は脱落してしまった。相当の暑さの中、各選手はかなりまいったことと思う。そして、一人、また一人と振り落とされ、サバイバルレースとなり、ダメかと思った土佐選手は、驚異的な粘りをみせての猛追、感動した。最後は少し及ばなかったが銅メダルだ。最終日にやっと今大会日本選手初のメダルだ。ということで、前回の冬季オリンピックの最後の最後に優勝した荒川選手を思い出した。 
土佐選手とは、以前飛行機で隣の席に座ったことがある。松山-羽田便だったが、飛行機に乗り、座席に座るときは気がつかなかった。すると、奥さんが「隣の人、マラソンの、貴方が好きな、あのー・・・」と小声で耳打ちする。私が「土佐選手か?」と答えると、「そうそう」と言う。チラッと横の女性を見るとまさしく土佐選手だとわかった。その後は失礼になると思い、知らん振りをしていたが、とても気になった。そして、いよいよ羽田に着陸した時、意を決して「あのー失礼ですが、土佐さんですか?」と話しかけた。すると彼女は「はい」と。すかさず「私、ずーと応援してました」と言ってしまった。この頃、しばらくの間彼女がマラソンをやっていなかったので、不覚にも、もう現役引退したのかと思ったのだ。そして、「・・・ました」と過去形になってしまった。その後彼女は復帰して、2004年名古屋国際女子マラソンで奇跡の逆転優勝、そしてアテネ五輪代表に選ばれ、五輪では見事5位入賞となった。この時五輪代表選手を巡って、高橋選手が選考にもれたことで話題となったが、その前数年の記録を見れば、私は順当な選考だったと思った。そして、昨年の東京国際女子マラソンで久しぶりに高橋選手と走り、彼女に競り勝ち見事優勝。レース後のインタビューで、土佐選手は「沿道では高橋選手への応援がすごかった」と言っていた。
高橋選手ばかり取り上げるマスコミにも少々不満はあるが、私は土佐選手の応援団です。でも、あの時は過去形で言ってしまい、ごめんなさい。今も応援していますよ。北京オリンピックも感動させて下さい。