かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

石仏・石塔見て歩き(12:岡の川石仏群)

2008-12-10 10:33:24 | 田舎の歴史
峯の川、まいごの川、ナカジ川、そして岡の川。
この地区に古くからある水汲み場の名称です。
斜面地下を伝って出てきた湧水をせき止めており、共同利用できる場所です。
これも井戸と言うのでしょうか?
そして、これらの水汲み場には必ず水神様が祀られています。
この岡の川も同様、水神様が祀られております。
でも以前は、ここには水神様しかいなかったように記憶しているのですが(記憶違いかもしれません)、今は水神様以外の石仏も並んでいます。



≪かわいい水神様≫

水神様以外の石仏は、この水汲み場の改修に伴い、近隣にあった石仏をまとめて安置したのかもしれません。
なお、以前はこの水汲み場には屋根がなかったのですが、現在はコンクリートで屋根が造られております。
そして、その屋根の上に石仏が並べられています。

見てみると、様々な石仏がおります。
三界万霊、南無阿弥陀仏、大日如来、馬頭観音、などと刻まれています。
そして、名前が分からないのですが、顔が3つの石仏があります。
これは、“梵天”でしょうか? ・・わかりません。 


 大日如来です。
なかなかいい表情です。


そして、これらの中で最も古そうなのが、この石仏です。

≪地蔵菩薩≫

 「願主吉右ヱ門」、さらに左側に「同妻●●(●●は判読できずの文字。まさ?)」と建立者の名前が刻まれています。そして、「○保二年 卯七月」とあります。○の部分が欠けているのが残念ですが、きっと江戸時代でしょう。

調べてみると、江戸時代に「○保」と付く年号は、「天保」「寛保」「享保」「正保」があります。さらに、「○保二年」とありますので、この年は卯年なのでしょう。
ということで確認すると、上記4つの年号のうち、「二年」が卯年に当るのは、「天保」だけです。
天保二年は1831年です。
 この年7月に「長州藩天保一揆」という事件が起こっています。
長州藩小鯖村(現山口市)で御用商人と藩の役人が結託して米価をつり上げているとの噂が広がり、農民が役人や商人の家を打ちこわし、どんどんその人数が増えていき、最終的にこの一揆は長州藩全体を巻き込み、十数万が参加したと言われているようです。

この石仏の吉右ヱ門さんがその一揆農民の主要メンバーで、この地にまで逃れてきたのでしょうか?
もしそうだとしたら、これをネタに1本小説が書けそうですが、きっと違うでしょう。

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