かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

僕の心細道(40:エジプト編-第十三章)

2008-12-04 11:02:26 | 旅行
-エジプト七日目-
早朝5時過ぎにホテルを出発して、まだ暗い中をバスでアブ・シンベル神殿をめざしました。
まだ夜明け前で外は暗く、バス車内も明かりを消しているため、グループの皆さんは全員眠っていました。
バスは砂漠の一本道をひたすら走り続けます。
やがて、しだいに空にかすかな明るさがでてきて、地平線のかなたから太陽がのぞき始めます。運転手が気を利かせて、一時道路端に停車してくれましたので、車外に出て新鮮な空気を吸うとともに、日の出の写真を撮りました。


 広大な砂漠を見るのは初めてでした。道路は少しばかりのアップダウンはあるものの、ほぼまっすぐに延びています。
走り続けること3時間余り、やっとアブ・シンベル神殿に到着です。

 この大岩窟神殿を建造したのは、今から約3300年前、ラムセス2世だそうです。


 彼は、カルナック神殿やルクソール神殿に数多くの自身の巨像を造らせたのに、それでも満足できなかったのでしょうか? ナイル川の果てにこんな大神殿まで造らせたのです。
ラムセス2世は、よほど自己顕示欲が強かったのでしょうか。
他の国々への威嚇、権力誇示だったのでしょうか。
一説によれば、ラムセス2世は、4人の正妻、6人の側室ほか数百人の女性を囲い、182人の子を残した強者だそうです。
なんだかクラクラきそうです。

≪強者のアップです≫

 そして、ラムセス2世がその妃ネフェルタリに、結婚25周年の記念として贈ったといわれるのが、この小神殿です。

≪王妃ネフェルタリの小神殿≫

我々の贈り物とスケールが違いすぎます。

実はこの神殿、ダム建設に伴い、ダム湖に水没する危機にさらされたのだそうです。そのため、何万個ものブロックに切断して、現在の位置に移転・再建したのだそうです。などという話は、ガイドさんの説明でこの時初めて知りました。
最初の写真ラムセス2世の4体の坐像のうち、左から2番目の像の頭・胴体が地面に崩れ落ちていますが、そういうところも忠実に再現したのでしょう。
ということで、外部からは分からないのですが、この岩山(に見える)は実はコンクリートのドームで支えられており、簡単に言えば張子状態です。
そして、神殿内部はドームの中にうまく復元されています。

そんな一大プロジェクトで移転したのですが、移転しなくても実際には水没しないのだ、というような話を後日聞いたことがあります。
というのは、エジプトは高温・乾燥地帯で、ダム湖は広大です。ダム湖の水の蒸発量が多いとのことで、それを想定していなかったようです。
とはいえ、こんな精巧で巨大な遺跡を切断したとはいえ、そのまま移転・再建した技術力には驚嘆します。しかも、太陽との位置関係もすべて計算しつくしてあるようです。

神殿内部にも、ラムセスの立像やら、壁画などがたくさんあります。
なかには、こんな壁画もあります。
ラムセス2世のヒッタイト軍と戦闘場面(カデシュの戦い)を描いたものでしょう。


これが神殿内部の最も奥にある至聖所です。

 ≪ぼけぼけ写真です≫
年に2回だけ(2月20日頃と10月20日頃)、朝日が差し込むという、あれです。
右から二人目がラムセス2世です。神とともに座しています。

そんなスーパーファラオが残した神殿を見学したあと、来た道を再びアスワンへ戻って、夕方、空路カイロへと向かいました。 
  ≪つづく≫


 本日もご訪問ありがとうございます。

 「プチッ」と応援よろしくお願いいたします。