-エジプト七日目-
早朝5時過ぎにホテルを出発して、まだ暗い中をバスでアブ・シンベル神殿をめざしました。
まだ夜明け前で外は暗く、バス車内も明かりを消しているため、グループの皆さんは全員眠っていました。
バスは砂漠の一本道をひたすら走り続けます。
やがて、しだいに空にかすかな明るさがでてきて、地平線のかなたから太陽がのぞき始めます。運転手が気を利かせて、一時道路端に停車してくれましたので、車外に出て新鮮な空気を吸うとともに、日の出の写真を撮りました。
広大な砂漠を見るのは初めてでした。道路は少しばかりのアップダウンはあるものの、ほぼまっすぐに延びています。
走り続けること3時間余り、やっとアブ・シンベル神殿に到着です。
この大岩窟神殿を建造したのは、今から約3300年前、ラムセス2世だそうです。
彼は、カルナック神殿やルクソール神殿に数多くの自身の巨像を造らせたのに、それでも満足できなかったのでしょうか? ナイル川の果てにこんな大神殿まで造らせたのです。
ラムセス2世は、よほど自己顕示欲が強かったのでしょうか。
他の国々への威嚇、権力誇示だったのでしょうか。
一説によれば、ラムセス2世は、4人の正妻、6人の側室ほか数百人の女性を囲い、182人の子を残した強者だそうです。
なんだかクラクラきそうです。
≪強者のアップです≫
そして、ラムセス2世がその妃ネフェルタリに、結婚25周年の記念として贈ったといわれるのが、この小神殿です。
≪王妃ネフェルタリの小神殿≫
我々の贈り物とスケールが違いすぎます。
実はこの神殿、ダム建設に伴い、ダム湖に水没する危機にさらされたのだそうです。そのため、何万個ものブロックに切断して、現在の位置に移転・再建したのだそうです。などという話は、ガイドさんの説明でこの時初めて知りました。
最初の写真ラムセス2世の4体の坐像のうち、左から2番目の像の頭・胴体が地面に崩れ落ちていますが、そういうところも忠実に再現したのでしょう。
ということで、外部からは分からないのですが、この岩山(に見える)は実はコンクリートのドームで支えられており、簡単に言えば張子状態です。
そして、神殿内部はドームの中にうまく復元されています。
そんな一大プロジェクトで移転したのですが、移転しなくても実際には水没しないのだ、というような話を後日聞いたことがあります。
というのは、エジプトは高温・乾燥地帯で、ダム湖は広大です。ダム湖の水の蒸発量が多いとのことで、それを想定していなかったようです。
とはいえ、こんな精巧で巨大な遺跡を切断したとはいえ、そのまま移転・再建した技術力には驚嘆します。しかも、太陽との位置関係もすべて計算しつくしてあるようです。
神殿内部にも、ラムセスの立像やら、壁画などがたくさんあります。
なかには、こんな壁画もあります。
ラムセス2世のヒッタイト軍と戦闘場面(カデシュの戦い)を描いたものでしょう。
これが神殿内部の最も奥にある至聖所です。
≪ぼけぼけ写真です≫
年に2回だけ(2月20日頃と10月20日頃)、朝日が差し込むという、あれです。
右から二人目がラムセス2世です。神とともに座しています。
そんなスーパーファラオが残した神殿を見学したあと、来た道を再びアスワンへ戻って、夕方、空路カイロへと向かいました。
≪つづく≫
本日もご訪問ありがとうございます。
「プチッ」と応援よろしくお願いいたします。
早朝5時過ぎにホテルを出発して、まだ暗い中をバスでアブ・シンベル神殿をめざしました。
まだ夜明け前で外は暗く、バス車内も明かりを消しているため、グループの皆さんは全員眠っていました。
バスは砂漠の一本道をひたすら走り続けます。
やがて、しだいに空にかすかな明るさがでてきて、地平線のかなたから太陽がのぞき始めます。運転手が気を利かせて、一時道路端に停車してくれましたので、車外に出て新鮮な空気を吸うとともに、日の出の写真を撮りました。
広大な砂漠を見るのは初めてでした。道路は少しばかりのアップダウンはあるものの、ほぼまっすぐに延びています。
走り続けること3時間余り、やっとアブ・シンベル神殿に到着です。
この大岩窟神殿を建造したのは、今から約3300年前、ラムセス2世だそうです。
彼は、カルナック神殿やルクソール神殿に数多くの自身の巨像を造らせたのに、それでも満足できなかったのでしょうか? ナイル川の果てにこんな大神殿まで造らせたのです。
ラムセス2世は、よほど自己顕示欲が強かったのでしょうか。
他の国々への威嚇、権力誇示だったのでしょうか。
一説によれば、ラムセス2世は、4人の正妻、6人の側室ほか数百人の女性を囲い、182人の子を残した強者だそうです。
なんだかクラクラきそうです。
≪強者のアップです≫
そして、ラムセス2世がその妃ネフェルタリに、結婚25周年の記念として贈ったといわれるのが、この小神殿です。
≪王妃ネフェルタリの小神殿≫
我々の贈り物とスケールが違いすぎます。
実はこの神殿、ダム建設に伴い、ダム湖に水没する危機にさらされたのだそうです。そのため、何万個ものブロックに切断して、現在の位置に移転・再建したのだそうです。などという話は、ガイドさんの説明でこの時初めて知りました。
最初の写真ラムセス2世の4体の坐像のうち、左から2番目の像の頭・胴体が地面に崩れ落ちていますが、そういうところも忠実に再現したのでしょう。
ということで、外部からは分からないのですが、この岩山(に見える)は実はコンクリートのドームで支えられており、簡単に言えば張子状態です。
そして、神殿内部はドームの中にうまく復元されています。
そんな一大プロジェクトで移転したのですが、移転しなくても実際には水没しないのだ、というような話を後日聞いたことがあります。
というのは、エジプトは高温・乾燥地帯で、ダム湖は広大です。ダム湖の水の蒸発量が多いとのことで、それを想定していなかったようです。
とはいえ、こんな精巧で巨大な遺跡を切断したとはいえ、そのまま移転・再建した技術力には驚嘆します。しかも、太陽との位置関係もすべて計算しつくしてあるようです。
神殿内部にも、ラムセスの立像やら、壁画などがたくさんあります。
なかには、こんな壁画もあります。
ラムセス2世のヒッタイト軍と戦闘場面(カデシュの戦い)を描いたものでしょう。
これが神殿内部の最も奥にある至聖所です。
≪ぼけぼけ写真です≫
年に2回だけ(2月20日頃と10月20日頃)、朝日が差し込むという、あれです。
右から二人目がラムセス2世です。神とともに座しています。
そんなスーパーファラオが残した神殿を見学したあと、来た道を再びアスワンへ戻って、夕方、空路カイロへと向かいました。
≪つづく≫
本日もご訪問ありがとうございます。
「プチッ」と応援よろしくお願いいたします。