goo blog サービス終了のお知らせ 

何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

岩戸寺 (国東)

2015年08月09日 | 寺社巡り-大分

【大分・国東市】奈良時代の養老二年(718)、仁聞菩薩により創建された寺と伝えられる。
平安時代の仁安年間(1166~1169)作の「六郷二十八山本寺目録」には岩戸寺が記されており、また、最盛期の伽藍は山六坊・里六坊合わせて十二坊を有していた。 天台宗山門派で本尊は薬師如来像。 <六郷満山霊場第26番札所 (六郷満山末山本寺)>

来浦川が流れる谷の樹林に挟まれた道を進む....参道入口に横長の数段の石段があり、その上で2体の仁王像が迎えてくれる。 約540年前に造立された像は、両足を外開きに踏ん張って腰を少しひねった姿勢で、文殊仙寺の仁王像に似ている。
仁王像からはなだらかな上りの参道が続き、少し行くと右手に堂宇が建つこじんまりした境内が....本堂に向かって佇む子供を抱いた大師像が印象的だ。
本堂参拝後、仁王像から続く参道にでて奥の院に向かうが、講堂改修工事のため、一ノ鳥居の少し先から二ノ鳥居までの参道には石段保護のための板が敷き詰められている。
二ノ鳥居をくぐって樹林の中を少し先に進むと、石燈籠のようで見逃しそうになったが右手に六地蔵幢が佇み、石燈籠の火袋にあたる部分に仏像が彫られている。
その先に苔生した自然石の大きな岩があり、岩上には約790年前の古から鎮座する国東塔が....長身で均整のとれた姿は実に美しく、暫くの間見惚れてしまった。
国東塔からは奥の院への傾斜のするどい石段が続き、奥の樹林の中に見える薬師堂と六所権現社に向かった。

境内全景..右手(東奥)は堂宇が建つ境内、左手(西側)中覚坊跡

参道入口に立つ2体の仁王像..県内の在銘石造仁王像では最古の作とのこと
  
鎌倉時代の文明10年(1478)銘がある吽形と阿形の仁王像(4坊の銘があり、仁王像造立時は4坊を有していた)/仁王像近くの石龕に鎮座する双体道祖神かな

仁王像の背後から奥の院への真っ直ぐな参道

堂宇境内に本堂、庫裡、山門、鐘楼が建つ
 
切妻造本瓦葺の山門(四脚門)/山門には紙垂が下がる注連縄が張られている
 
意外に狭い堂宇がある境内/山門横に本堂に向かって立つ子育て大師像

入母屋造本瓦葺の本堂..身舎に裳腰を設けている

向拝のない本堂..正面はガラス張り、軒下に喚鐘が下がる
 
本堂の右手に建つ寄棟造桟瓦葺の庫裡..身舎に裳腰    切妻造桟瓦葺の鐘楼

境内に置かれた石造物郡
 
六所権現の参道に立つ一ノ鳥居(台輪鳥居)..「大権現宮」の額が掛る/講堂改修中のため参道石段保護用の板が敷き詰められている

江戸時代宝暦10年(1760)の銘がある二ノ鳥居(台輪鳥居)..「六所大権現」の額が掛る

奥の院の全景..宝塔(国東塔)、薬師堂、六所権現社..手前右は室町時代文明10年(1478)作の石幢で「六地蔵幢」と呼ばれ、石燈籠の火袋部に仏像が刻まれている
  
岩上に佇む国東塔..鎌倉時代弘安6年(1283)造立..銘文のある国東塔としては我国最古、総高329cm

奥の院に建つ薬師堂(右)と左奥に六所権現社

寄棟造り屋根で妻入りの薬師堂..もともとここが本堂
  
薬師堂には藤原中期作の薬師三尊像と鎌倉期の薬師12神将を安置/享保10年(1725)&宝暦11年(1761)銘がある石燈籠/薬師堂の直ぐ右にある鬼岩屋

薬師堂の東の岩壁にある「明賢洞」(仁聞の門弟明賢を祀る祠)

薬師堂前から見上げた六所権現社境内
 
六所権現社の拝殿..向拝虹梁の彫刻(確か龍)と木鼻が素晴らしい
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 文殊仙寺-(2) (国東) | トップ | 長慶寺 (国東) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

寺社巡り-大分」カテゴリの最新記事