
【東京・文京区】明治二年(1869)の版籍奉還により、藩主徳川昭武は屋敷と庭園を新政府に寄贈した。 その後、東京砲兵工廠の敷地の一部として陸軍省の所管となり、屋敷は工場に変貌したが庭園は保存された。 明治七年(1874)以降、明治天皇の行幸や皇族の行啓を受け、外国人観覧者も多く、名園として世界的に知られるようになった。
大正十二年(1923)に国から史跡・名勝の二重指定を受け、岡山の後楽園と区別するため小石川を冠した。 大正十二年(1923)の関東大震災や太平洋戦争(昭和十六年~同二十年)を乗り越え、得仁堂や円月橋など貴重な遺構が残っている。 昭和十三年(1938)に一般開園し、巧みな景観だけでなく四季折々の花々を楽しむ人たちの訪問が絶えない。
愛宕坂を下がると眼前に花畑が広がり、手前に咲く曼珠沙華が迎えてくれる。 真ん中を流れる水路の左右に花の咲いていない花菖蒲田、藤棚、八ツ橋があるカキツバタの花畑があり、そに中に幾つかの低い緑の築山がゆるやかな曲線を描いていて癒される。 水路に沿って花畑の小径を進んで奥の石橋に石橋の上から眺める水路は、花畑の築山の間をくねりながら樹林の中に消えている。
石橋から九八屋に向かうと、道脇に湧き水の「不老水」があり、案内板に「いかなる旱魃にも水が枯れず、いかなる洪水にも水が溢れ出ない井戸」とある。 井戸を覗き込んでの湧水の有無は失念した。
再現された江戸時代の東屋の「九八屋」に着くが、後方の木立の中に建つ門が見えたので、気になってそちらに向かった。 この門は、旧水戸藩上屋敷の中仕切門で、「赤門」と呼ばれていてなかなか趣がある。 赤門をくぐると長い白壁の築地塀が侵入を拒んでいる。 塀の向こう側は東京ドームで、旧水戸藩の武家屋敷があったところ。 築地塀に向かって左奥に錦春稲荷社があり、社前に耳と口に彩色佐が施された小さな眷属の狐が鎮座している。
「九八屋」に戻る。 案内板によると「江戸時代の風流な酒亭の様子を現した」とあり、寄棟造茅葺でなかなか凝った造りに思わず見入ってしまった。 さらに案内版には、名前の由来が記されていて「酒を飲むに昼は九分、夜は八分にすべし」とあり、思わず笑ってしまった。 柱・腰壁・床・天井などに様々な材質の資材が用いられ、特に、四方の白壁に設けられた窓がすべてが異なる作り方になっていて非常に興味深い。
九八屋から、船着場近くに佇む珍しい異形の石燈籠、「瘞鷂碑」そして「竹生島」を眺めながら進むと、大泉水の南東に「鳴門」がある。 鳴門は東側にある「内庭」に水を流す水路とみられ、水量を調節する堰止が水路に設けてある。

△愛宕坂の石段下から眺めた花菖蒲田....奥の建物は「九八屋」


△神田浄水跡の水路に設けられた小さな堰止....右側に藤棚、左側にカキツバタの花畑が広がる/藤棚やカキツバタの花畑そして幾つかの築山がゆるやかな曲線を描いている....水路に堰止めその奥に小さな石橋が見える


△田園エリアの中央にあるカキツバタの花畑に架かる八つ橋....愛知県東部の「三河の国」の名所・「八つ橋」を模したもの/大堰川水路に架かる石橋から眺めた築山がある花畑エリア


△「不老水」....旱魃にも水が枯れず、洪水にも水が溢れ出ない井戸とされる/小さな石橋の先にお休み処の九八屋が見える

△「九八屋」....この東屋は江戸時代の酒亭を復元したもの

△九八屋の後方奥に建つ赤門....隣の築地塀の向こうは東京ドーム

△切妻造桟瓦葺の赤門....旧水戸藩上屋敷の中仕切門


△棟門形式で瓦屋根の袖塀と重厚な板扉を設けた赤門/赤門外側の左奥に稲荷社が鎮座....右側の築地塀の奥は東京ドーム

△「錦春 稲荷大明神」の扁額が掲げられた錦春稲荷社....手前の石塔は火袋から上が欠落した石灯籠か?

△切妻造銅板葺の錦春稲荷社....中央間は格子入りの板扉風桟唐戸、脇間は縦格子窓と羽目板



△お社前に鎮座する耳と口に彩色が施された小さな眷属の狐....左の狐は巻物をくわえている/扉の格子から見た本殿.....格狭間入れた台座に白い狐が鎮座、御神酒が置かれている

△寄棟造茅葺の九八屋....昭和三十四年(1959)の建築で、小棟の起り屋根の非常に凝った造り....案内板に「江戸時代の風流な酒亭の様子を現した」とある

△軒廻りは一軒疎垂木....柱は栗の木、腰壁は杉皮、四方の白壁にすべて異なる仕様の窓


△床は陶板で網代編みの天井....真ん中に趣のある造りのテーブルが置かれている/九八屋の傍に佇む「遠州燈籠」と呼ばれる石燈籠

△大泉水の北東側にある船着場近くに佇む「異形燈籠」


△中台から上だけの造りの珍しい石燈籠/異形燈籠から眺めた蓬莱島に鎮座する弁財天祠

△異形燈籠の近くに立つ「瘞鷂碑」の碑....水戸藩七代藩主治紀が将軍から賜った鷹が、治紀が没した4年後に死んだため、これを哀れんだ長男の八代藩主斉脩が文政二年(1819)に建立

△大泉水の東南の辺から眺めた大泉水に浮かぶ蓮萊島(右)と石橋で繋がれた岩の島に立つ「徳大寺岩」

△大泉水の東側の水辺に点在する「竹生島」

△「竹生島」近くの「鳴門」....鳴門の東にある「内庭」に水を流す水路(と思う)


△内庭への水量を調節する堰止が水路に設けてある....堰止の傍に管理小屋的な建物があった感じがするが....
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