
【横浜市・金沢区】先日、9年振りに称名寺を再訪し、境内に佇む石仏を拝観してきた。
赤門をくぐって桜並木の石畳の参道を進む....左手に塔頭光明院の茅葺の表門があり、門前に、赤い前垂れをし、円光を背負う地蔵尊像が立派な蓮華座に鎮座している。
参道の突き当りに楼門の仁王門が聳え建ち、鎌倉時代造立の木造金剛力士像が迎えてくれる。 仁王門前の片隅に設けられた台座の上に、12基の石仏や札所標石などが金堂を向いて整然と並んでいる。 その中に、江戸時代初期~中期に造立された3基の彫像庚申塔(青面金剛2基と三猿)がある。
真ん中に阿字ヶ池がある浄土式庭園が広がる境内....その左隅の植栽の傍に、3基の青面金剛庚申塔を含む10基の石仏と5基の五輪塔が、いずれも地面に不安定に立っている。 見ると、ほとんどが下半分あるいは一部が地中に埋もれた状態でたたずんでいて、少し痛ましい姿に見えてしまう。 江戸中期・宝暦五年造立の庚申塔の青面金剛像は、左手で合掌女人の髪を握ってぶら下げている。
金堂に向かって進むと、朱印所の近くの山裾に4基の箱型石仏が佇むが、風化や痛みがほとんどないので、近世後半か近代の造立ではないかと思うが....。


塔頭光明院の切妻造茅葺の表門の前に丸彫りの地蔵菩薩像が鎮座/円光を背負い、赤い前垂れをした地蔵石仏....台座に維持天保五年(1834)の刻

仁王門前に鎮座する12基の石仏や札所標石

右半分の6基....青面金剛庚申塔2基、六字名号塔2基、地蔵石仏、不明(表面剥離)


寛保三年(1743)造立の駒形青面金剛庚申塔(日月瑞雲、2鶏、邪鬼、3猿)/嘉永二年(1849)造立の円頭型地蔵石仏....右手に錫杖、左手で抱えるのは童児か


左から享和元年(1801)造立の隅丸型六字名号塔、風化した不明の隅丸型塔(名号庚申塔か)、右前は造立年不明のと山伏角柱型六字名号塔/右後方の寛政八年(1796)造立の隅丸型青面金剛庚申塔(剥離が激しい)

左半分の6基...金澤札所標石2基、六字名号塔2基、三猿庚申塔、舟後光型観音石仏


寛文十一年(1671)造立とみられる舟光背型三猿庚申塔/舟光背型観音石仏(墓標?)....頭頂は宝冠で勢至菩薩か

金澤文庫に通じるトンネルの傍の植栽前に10基の石仏と5基の五輪塔がある

2009年に撮影した時の石仏と五輪塔....3基ある青面金剛庚申塔の真ん中には唐破風付の笠(擬宝珠欠落)が乗っていた、また右の庚申塔にも笠があったようだ

3基の青面金剛庚申塔....下部の一部が地中に埋もれている


元文元年(1736)造立の舟光背型青面金剛庚申塔(3猿)/造立年不明の唐破風笠付型青面金剛庚申塔(日月瑞雲、3猿)....唐破風付笠は欠落


宝暦五年(1755)造立の唐破風笠付(欠落)型青面金剛庚申塔(日月瑞雲、2鶏、邪鬼、土中に3猿が埋まっていると思う)...左手で合掌女人の髪を握ってぶら下げる/後方の享保十六年(1731)造立の舟光背型如来石仏

地中に半分埋まった6基の舟光背型地蔵石仏

半分地中に埋まった5基の五輪塔....各輪に梵字が刻、一部は複数石塔の部位を組み合わせている

朱印所近くに鎮座する造立年不明の3基の箱型石仏....左から「富士浅間大菩薩」、観音菩薩立像、十一面観音坐像でいずれも近世後半か近代の造立とみられる


朱印所近くに鎮座する箱型千手観音菩薩坐像


金沢山(観音公園)に鎮座する3基の石仏と五輪塔/台座の上に鎮座する童児を抱いた観音菩薩坐像
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます