【横浜・金沢区】鎌倉幕府第二代執権・北条義時の孫で、金沢北条氏の祖である北条実時が文永四年(1267)に建立した称名寺の境内に、実時のほか金沢北条一門が眠っている。 引退後、六浦荘金沢に在住し、蔵書を集めて金沢文庫を創設した実時の墓は、称名寺の堂宇後方の金沢三山のひとつ「日向山」の山中にある。
石の階を上ると石柱を並べた柵で囲まれた廟所があり、彼岸花が咲く廟所の中央に、ひっそりと立つ宝篋印塔が実時の墓と伝わる。 宝篋印塔は笠部と相輪が破損しており、相輪は完全に無くなっている。 輪郭を巻いた塔身に四方仏の種子が刻まれ、二段に重ねた基礎の下段には格狭間を入れている。 宝篋印塔の左右に並び立つ各輪に梵字が刻まれた五基の五輪塔は、金沢北条一門の墓とされる。
境内の西側に、北条実時の子・北条顕時と顕時の子・金沢貞顕の廟所が並んでいる。 北条顕時は鎌倉幕府の幾つかの重職を歴任、また、金沢貞顕は六波羅探題をつとめ第十五代執権となった。
二人の廟所には各輪の四方に梵字が刻まれた五輪塔が立っているが、案内板によれば、顕時と貞顕の五輪塔は「墓」とされてきたが、近年の調査により、いずれも南北朝時代に造立された「供養塔」であること、また、二人の供養塔が左右違っていることが判明したとある。 とはいえ、判明後かなり時間が経っているのに、今だに廟所の門柱の表記が違ったままなのは何故だろう。 写真は2009年撮影のものだが、もしかしたら、既に正しい表記に修正されているのかな?
金沢三山の一つ日向山の山中にある金沢北条氏の祖・北条実時と金沢北条一門の廟所/廟所の門柱に「北條實時公御廟」とある
彼岸花が咲く墓所の中央に宝篋印塔が立ち、左右に金沢北条一門の五基の五輪塔が並んでいる....五輪塔の四方に「発心門、菩提門、修行門、涅槃門」の梵字が刻
北条実時の墓と伝える宝篋印塔....基壇上の三段の台座の上に二段の基礎・塔身・笠が乗る....笠の一部が破損し、相輪は完全に欠落/輪郭を巻いた塔身に四方仏の種子が刻....輪郭を巻いた二段の基礎の下段には格狭間を入れ、上段は二区に分けている
向かって左に北条顕時、右に金沢貞顕の五輪塔が並んで立つが、昭和十年(1935)以降の調査で左右逆であること、また、いずれも南北朝期造立の供養塔であることが判明.....左側の門柱に「北條顕時公御廟」とあるが、五輪塔は顕時の子の金沢貞顕の供養塔
金沢貞顕の供養塔の五輪塔....四方に「発心門、菩提門、修行門、涅槃門」の梵字が刻
右側の門柱に「金澤貞顕公御廟」とあるが、五輪塔は実時の子の金沢顕時の供養塔/顕時の大きな五輪塔の傍に、小型の五輪塔や小さな石塔や墓碑がある
五輪塔の四方に「発心門、菩提門、修行門、涅槃門」の梵字が刻
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