【中国・江蘇省・蘇州市】南宋代(1127~1279)の蔵書家・史正志が万巻堂を建て、その庭園を「漁隠」(隠居した漁師のことで自由な精神を象徴)と名付けた。 その後、清代乾隆年間(1736~1795年)に光緑寺の少卿“宋宗元”が所有し、母のために別荘として再建した。
「網師」とは漁師のことで、「漁隠」と呼ばれていたことから「網師園」の名がつけられた庭園で、隠遁の情趣に満ちた佇まい、そして飄々たる典雅な気風が漂う。 【大門⇒轎廳⇒萬巻堂⇒磚雕門楼⇒襭秀楼⇒梯雲室⇒五峰書屋⇒集虚斎⇒竹外⇒枝軒⇒看松讀画軒⇒殿春〇(竹冠に移)】
大門..網師園は高い白壁の塀で囲まれている
質素な入口/「鎖雲」(雲の字でない?)の額がある小さな庭/通路脇に展示されている古そうな駕籠
轎廳の内部 正面の装飾物、「清能早達」の額が掛る
萬巻堂
萬巻堂の内景
磚雕門楼..萬巻堂と襭秀楼の間にある(左は萬巻堂側)、右は梯雲室側/襭秀楼の内景
梯雲室
梯雲室の内景
五峰書屋の内景 竹外一枝軒から眺めた集虚斎 集虚斎の内景
確か五峰書屋への仕切り門だったか/五峰書屋と集虚斎傍の太湖石の庭園
竹外一枝軒
竹外一枝軒から眺めた月到風来亭(右)と濯纓水閣(左)
看松讀画軒の内景
殿春〇(竹冠に移)(書斎か) 殿春〇(竹冠に移)の内景
太湖石を配しただけの中庭
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