何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

小石川後楽園-(1) (東京)

2020年05月05日 | 史跡探訪-日本編

【東京・文京区】江戸幕府徳川御三家の一つの水戸藩の祖・徳川頼房が、寛永六年(1629)、造園家・徳大寺左兵衛に命じて江戸上屋敷内に京都風の庭園を造営。 その後、二代目藩主光圀が、儒臣として登用した明の遺臣・儒学者である朱舜水の意見を取り入れて、中国趣味風に手を加えて完成させた。
庭園は、池泉を中心にした回遊式築山泉水庭園で、中国の故事の「岳陽楼記」から、朱舜水が「後楽園」と名付けたとされる。 随所に、各地の自然の景勝を模した景観や中国の名所の景観を巧みに表現している。 庭園は小石川台地の先端に神田上水を引入れて築庭され、水戸藩の庭園として長らく使われた。

西門である涵徳亭門から入り、庭園管理所でシニア割引の入園料を払って園内に。 正面の池の畔に樹齢70年以上の枝垂桜が大きく枝を広げている。 「水戸黄門ゆかりの大名庭園」と記されたパンフの約1時間コース案内に従って、時計回りに散策をスタート。
涵徳亭の脇を通って「渡月橋」に向かう。 大堰川に架かる渡月橋は、京都嵐山の渡月橋を模したもので、橋の左手に杭州の西湖の提を模した「西湖提」が、右手の大堰川の石の河原に屏風のように真っ直ぐに屹立した屏風岩という石組がある。 渡月橋を渡って岩の階を登って行くと、大堰川上流に架かる朱塗りの「通天橋」が見えてくる。 「通天橋」は通行止めなので、岩の階を下って大堰川の沢渡りを渡って得仁堂に向かうが、沢渡りから音羽の滝と美しい通天橋が望める。
得仁堂は水戸光圀が建てた園内最古の建物で、堂内に伯夷列伝に登場する兄弟の叔斉・伯夷の木像を安置。 得仁堂は関東大震災や太平洋戦争を逃れた貴重な遺構。 得仁堂から近道でもう一つの遺構の円月橋に向かう。
暫らくすると、和様式庭園では見られない優美なアーチ形で石造りの円月橋が見えてくる。 アーチ形の橋は、水面にその影を落とすと「陰と陽」「虚と実」が組み合わさった満月となり、今でも中国では盛んに建造されている。 趣がある円月橋を眺めていると、十数年前に訪れた中国の蘇州や杭州で観た水路や湖に架かる多くの大小の石造りアーチ橋を思い出す。
急峻な石段の愛宕坂を上りつめると、樹林に囲まれて八掛堂跡がある。 八角形に石を並べた基壇があり、入口石段の傍に反花を彫った石燈籠の基礎が確認できる。 案内板には焼失前の八掛堂の写真が載っているが、是非とも復元して頂きたいと思った。

△門柱に「涵徳亭」の表札がある涵徳亭門(西門)

△涵徳亭門から眺めた庭園入口前の風景
 
△左手に涵徳亭、右手に庭園管理所(小石川後楽園サービスセンター)が建つ/庭園入口は頂上が角兜巾の門柱で、格子入り板扉付き

△大泉水を眺めるように建つ涵徳亭

△園内に入って直ぐ上面、池(大泉水)の前に聳える樹齢70年以上の枝垂れ桜.....もとは樹齢100年以上の古木があったが、現在の木はその後継の植栽

△涵徳亭と「渡月橋」側の脇に佇む「桃山形灯篭」

△蓮の葉で覆われている「蓮の池」....大泉水と「蓮の池」の間に架かる反橋(名称は?)....遠方に見える白い屋根は東京ドームで、藩主が住む屋式があった場所
 
△「大堰川」に架かる「渡月橋」は、京都嵐山の渡月橋の名をとった低い土橋

△杭州の名勝地・西湖を模して造営された「西湖の堤」

△神田上水の水を暗渠により引き入れた「大堰川」....京都嵐山を流れる大堰川にちなんで造営、浅瀬の水面に大小の石が美しく配置されている

△大堰川の河原に屏風のように真っ直ぐに屹立した「屏風岩」....三代将軍徳川家光がここを訪れ、河原の石に腰掛たようだ

△縦筋がある右側3つの石組は日本庭園では「三尊石組」という....中央の大きい石は高さ約2メートル

△大堰川上流の渓流に架かる「通天橋」....京都東福寺の通天橋を模した太鼓橋

△擬宝珠欄干付きの美しい通天橋は通行止めで渡れず

△大堰川の浅瀬に沢山の石を並べて横切る「沢渡り」
 
△沢渡りから眺めた「音羽の滝」と大堰川上流に架かる「通天橋」

△露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺のり「得仁堂」....水戸光圀の建立で園内最古の建物....中国の歴史書『史記』の伯夷列伝に登場の伯夷・叔斉兄弟の話に感銘し、二人の木像を安置

△正面に軒唐破風、軒廻りは二軒疎垂木、組物は出組で中備は本蟇股....正面中央間は菱格子を入れた両折両開の桟唐戸、脇間は羽目板

△軒唐破風の兎毛通しは猪目懸魚、中備の本蟇股は脚間に彩色した龍の彫刻を配している

△石造りの優美なアーチ形の「円月橋」....光圀が儒臣として登用した明の儒学者・朱舜水の設計とされる(関東大震災や戦争を乗り越えた遺構)

△水面に影を落とすと「陰と陽」「虚と実」が組み合った円となり、また満月のように見えることから「円月橋」と命名
 
△堅牢な造りの円月橋の欄干....柱に反転させた2つの擬宝珠を合わせたものを乗せ、壁に格狭間のような意匠を配している、橋上は石段

△神田浄水跡の水路に架かる円月橋は通行止めで、傍の石の平橋を進んで八掛堂に....
 
△八掛堂への「愛宕坂」....京都愛宕山の坂にならって建造され、石段は47段/水戸光圀建立の八掛堂の跡....水戸光圀が将軍家光に謁見した折に文昌

△八掛堂は関東大震災で焼失し、基壇だけが残っている
 
△案内板に焼失前の八掛堂の写真があり、御堂入口に佇んでいた石燈籠の反花を彫った基礎がある





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