何気ない風景とひとり言

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金戒光明寺-(2) (京都)

2018年10月19日 | 寺社巡り-京都

【京都・左京区】豊臣秀頼は慶長十八年(1613)に、前年に焼失した御影堂も再建したが、その後、焼失と再建が繰り返され、現在の建物は昭和の再建。
金戒光明寺は法然上人が最初に浄土宗の布教を行った地であることから、後小松天皇(第100代)から「浄土真宗最初門」の勅額を賜った。 知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の七大本山の一つ。
幕末の文久二年(1862)から会津藩主松平容保が京都守護職の本陣を金戒光明寺におき、家臣1000人が境内に駐屯した。

阿弥陀堂は、江戸初期に豊臣秀吉の次男・秀頼が再建した寺内最古の建物なのだが、何故か重文に指定されていない。 訳をあれこれ考えながら、境内東南の墓所の高台に建つ三重塔に向かう。
墓所内の石段を上っていくと脇に弥陀定印を結んだ丸彫りの阿弥陀如来坐像2体が鎮座し、墓参者を迎えている。 墓所の一番高い所に、「日本三文殊髄一」の額が掲げられた黒々とした三重塔(重文)が聳え立つ。 江戸初期、徳川秀忠(第2代将軍)の菩提を弔うために建立された三重塔は「文殊搭」と呼ばれ、文殊菩薩の分身(浄鏡)が祀られている。
墓所の入口近くに秀忠の妻・江(崇源院)の供養塔の宝篋印塔があるが、訪問した時(2011年)はちょうどNHK大河ドラマで「江」の名が一躍知れ渡ったこともあって、多く方が参拝されていた。 実は、三重塔を拝観していた時、女優の賀来千香子さんがTVクルーらを引き連れて江の供養塔に参拝されに来られたので、急いで石段を下り、何枚か撮らせて頂いた。 いまも大事に保管している。

入母屋造本瓦葺の阿弥陀堂....慶長十年(1605)、豊臣秀頼の再建で寺内最古の建物

軒廻りは二軒繁垂木で組物は出組、中備には蓑束が配されている
 
中央間三間に桟唐戸(内側に明障子)、両脇間に花頭窓....堂内に恵心僧都作の本尊阿弥陀如来を祀る
 
本瓦葺の三重塔(文殊搭)(重文)....寛永十年(1633)の建立で、徳川秀忠の菩提を弔うために建てられた/初重に擬宝珠高欄、二重目と三重目に跳高欄....初重は桟唐戸に連子窓
 
軒廻りは三重いずれも二軒繁垂木で組物は三手目が尾垂木の三手先、中備は初重のみにあり間斗束/高さ22mで二重目に「日本三文殊随一」の額が掲げられている

三重塔への石段参道脇に鎮座する2体の丸彫り阿弥陀如来坐像....それぞれの台座に「幽玄」(左)、「三界満霊」(右)と刻まれている

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の納骨堂(旧経蔵)....元禄二年(1689)建立で、納骨された骨で造立された阿弥陀如来「骨仏」を本尊として祀る
 
軒廻りは身舎・裳腰いずれも二軒繁垂木、中備は幅広の蓑束か(組物の確認を失念)/中央間に桟唐戸(内側に蔀戸と菱格子欄間)、両脇間に花頭窓

切妻造桟瓦葺の清和殿....安永八年(1779)建立、旧大庫裡で屋根に瓦葺の煙出しがある
 
露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の円光大師法然の御廟所/二軒繁垂木で組物は柱上に乗る繰り形の舟肘木か、中備は無し....正面中央間は蔀戸、脇間は舞良戸、周囲に組高欄付切目縁を巡らす
 
徳川二代将軍秀忠の正室・江の供養塔の宝篋印塔/塔身の月輪内に胎蔵界大日如来「ア」の種子が刻
 
擬宝珠勾欄を設けた石造り反橋は極楽橋..五色幕が張られた建物は山門/正面奥は阿弥陀堂
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