【兵庫・加西市】一乗寺には7~8世紀造立の金銅仏や平安建築の三重塔など奈良・平安時代の寺宝が数多く残されていて、国宝や国指定重要文化財が数多くある。 国宝としては「絹本著色聖徳太子及び天台高僧像10幅」と「三重塔」で、いずれも平安時代のもの。 重要文化財の建物としては、江戸時代初期再建の本堂の他、鎮守社の護法堂、妙見堂、弁天堂がある。 その他、飛鳥時代末~ 奈良時代初(7世紀後半)の金銅仏である本尊の聖観音菩薩立像や石造五輪塔が重要文化財に指定されている。
★本堂後方の境内に4棟の御堂が建つ。 西側の山裾に並んで建つ檜皮葺の2棟は、いずれも室町時代建立の三間社流造り妙見堂と一間社隅木入春日造りの弁天堂。 いずれも風情を色濃く残す雰囲気で、悠久の時を感じさせる御堂だ。 少し本堂寄りの傾斜地に、仏法守護神で北方世界を守護する毘沙門天を祀る一間社春日造り檜皮葺の護法堂が鎮座しているが、さらに古い鎌倉時代の建立だ。
△本堂(金堂)裏手の山裾の境内に鎮座する右から妙見堂、弁天堂そして行者堂
△南面で鎮座する檜皮葺屋根の弁天堂(左)と妙見堂(右)(いずれも国指定重要文化財)
△一間社隅木入春日造檜皮葺の弁天堂....室町時代の建立で、福徳・除災・得勝・音楽などを司る弁財天を祀る
△弁天堂は二軒重垂木で軒支輪がある....高欄のない側縁奥に板脇障子....大棟に鳥衾付き鬼瓦、拝は蕪懸魚、妻飾は豕扠首
△三間社流造檜皮葺の妙見堂....室町時代の建立で、国土守護・災害滅除・福寿増長の妙見菩薩を祀る
△二妙見堂は軒繁垂木、向拝柱の上に連三ツ斗、下に浜床、大棟に鬼瓦、拝は猪ノ目懸魚、脇懸魚は蕪懸魚、側縁の奥に板脇障子
△露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の行者堂(護摩供の道場)....寛文年間(1661~1673)の建立で、役行者と前鬼・後鬼を祀る
△一軒繁垂木で組物は柱上に舟肘木.....周囲は白壁で正面と右側面に入口がある
△本堂(金堂)真裏の山の石段の上に鎮座する護法堂(国指定重要文化財)....仏法守護の毘沙門天を祀る
△一間社春日造檜皮葺の護法堂.....鎌倉時代の建立
△護法堂は二軒繁垂木で軒支輪があり、向拝柱上の組物は連三ツ斗、柱間に本蟇股.....組高欄付き縁がある
★本堂から奥の院に向かう。 本堂から5分ほど山に入った処の石垣の上に、一乗寺開山の法道仙人を祀る開山堂がひっそりと建つ。 開山堂に設けられた廻縁と周囲の柵の上にびっしりと小石が置かれていて、多くの人が参詣していることが分かる。 開山堂から20メートルほど山を登った所に「賽の河原」があるので、参詣者はそこから石を持ってきたものと思う。 とはいえ、開山堂と賽の河原は関係がなさそうだが....。
ごつごつとした岩の参道を上ると、数体の地蔵菩薩像が鎮座する浅い洞窟があり、その前に積み上げた小石が所狭しとある。 亡くした子供や水子の菩提を弔うために多くの親御さんが石を積んで地蔵菩薩に弔いをお願いしたのだろう....合掌。
△奥の院への参道から眺めた本堂/ 奥の院近くの切石敷の参道....先には苔むした緩やかな石段がある
△緩やかな石段参道の奥の石垣の上に建つ開山堂
△奥の院の開山堂には一乗寺の開山・法道仙人を祀る
△露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の開山堂....江戸時代前期の寛文七年(1667)の建立
△三間の中央間に桟唐戸、両脇間に花頭窓....身舎の柱は円柱で、向拝柱は面取り角柱
△軒廻りは二軒繁垂木、組物は平三ツ斗で中備は脚間に彫刻を施した本蟇股、周囲に高欄のない切目縁を巡らす
△開山堂の西側面....2つの花頭窓と舞良戸風の引違い戸、小さな格子窓がある
△廻縁には奥の賽の河原から持ってきたとみられる石が置かれている/開山堂傍に建つ唐破風の笠を乗せた三界萬霊塔....延宝八年(1680)の造立で梵字と「三界萬霊有無兩縁等」が彫られている....梵字は胎蔵界大日如来の「ア」か?
△開山堂から20メートルほど上った所にある「賽の河原」....浅い洞窟の処が行き止まり/湧き水が流れているのでこれを三途の川と考えて「賽の河原」と名付けたものと思う....この地は台風で少し崩れたようで賽の河原にあるはずの九重石塔が見当たらない
△子供や水子を亡くした親が菩提を弔うために積んだ小石群
△洞窟内に鎮座する地蔵菩薩石仏群....合掌