母は、「忙しい」が口癖の人でした。
実際、世話好きな母は、自らやるべきことを増やして、
だから、年中忙しそうに動き回っていました。
忙しい日々を生きる中で、母はイキイキとし、
生きていることを実感していたようです。
そんな母が、晩年、ひまな時間がたっぷりできるようになっても、
やはり、「忙しい」と言い続けました。
一日3度の食事を作ること
週2、3回の掃除と洗濯、その他少しの雑用・・・
それだけなのに、いつも、電話で言う言葉は「忙しくてねぇ」。
決して、嘘を言っているのではなく、
母は本当に「忙しい」と感じているのです。
朝食の片付け(といっても父と自分の二人分)が終わるとすぐに、
「さて、お昼は何にしよう?」と考え、
10時過ぎると、「そろそろ取り掛からなければ~」と思う。
ずぅーっと、思う。
そう、いつもいつも、次にやることに対しての
「やらねば~」という思いが頭から離れないと休んだ感じがなく、
結果、
「私は、忙しい」になるのです。
「忙しい感覚」が身に付いてしまうと、
暇であっても、その感覚だけが残ってしまうのでしょう。
でも、これって、私たちにも思い当たりませんか?
「忙し過ぎる」とパニックになりそうな時でも、
やるべきことを紙に書いてみると、
意外に嘆く程の忙しさはない、と気づくことがあります。
私たちの思いは、事実を大いにゆがめます。
取り掛かかってしまえば半日もあれば済むことも、
取り掛かる前に「やらねば」と思うことにより、
そのプレッシャーが貴重な暇な時間を奪ってしまうのです。
私たちが「忙しい」と感じているのは、
「実際の忙しさ」ではなく、
「頭の中で思い続ける忙しさ」なのです。
乳幼児を抱えたママや極端に仕事が立て込んでいる方は別として、
多くの方は、忙しさ幻想に悩まされているような気がします。
その対策としては、
先ほどのように、まずは、
やるべきことを紙に書いてみる
そう、タスクリストを作ることをおススメします。
できるなら、それぞれのことをいつ取り掛かるか、いつまでに終えるかも書き込み、そのスケジュールに沿って淡々とこなしていけばいいのです。
やってない時の「やらねば~」は手放し、
空いた時間は、自分のために心ゆくまで使いましょう。
人生には限りがあります。
意味のない煩いで貴重な時間を無駄にしたくないものです。
実際、世話好きな母は、自らやるべきことを増やして、
だから、年中忙しそうに動き回っていました。
忙しい日々を生きる中で、母はイキイキとし、
生きていることを実感していたようです。
そんな母が、晩年、ひまな時間がたっぷりできるようになっても、
やはり、「忙しい」と言い続けました。
一日3度の食事を作ること
週2、3回の掃除と洗濯、その他少しの雑用・・・
それだけなのに、いつも、電話で言う言葉は「忙しくてねぇ」。
決して、嘘を言っているのではなく、
母は本当に「忙しい」と感じているのです。
朝食の片付け(といっても父と自分の二人分)が終わるとすぐに、
「さて、お昼は何にしよう?」と考え、
10時過ぎると、「そろそろ取り掛からなければ~」と思う。
ずぅーっと、思う。
そう、いつもいつも、次にやることに対しての
「やらねば~」という思いが頭から離れないと休んだ感じがなく、
結果、
「私は、忙しい」になるのです。
「忙しい感覚」が身に付いてしまうと、
暇であっても、その感覚だけが残ってしまうのでしょう。
でも、これって、私たちにも思い当たりませんか?
「忙し過ぎる」とパニックになりそうな時でも、
やるべきことを紙に書いてみると、
意外に嘆く程の忙しさはない、と気づくことがあります。
私たちの思いは、事実を大いにゆがめます。
取り掛かかってしまえば半日もあれば済むことも、
取り掛かる前に「やらねば」と思うことにより、
そのプレッシャーが貴重な暇な時間を奪ってしまうのです。
私たちが「忙しい」と感じているのは、
「実際の忙しさ」ではなく、
「頭の中で思い続ける忙しさ」なのです。
乳幼児を抱えたママや極端に仕事が立て込んでいる方は別として、
多くの方は、忙しさ幻想に悩まされているような気がします。
その対策としては、
先ほどのように、まずは、
やるべきことを紙に書いてみる
そう、タスクリストを作ることをおススメします。
できるなら、それぞれのことをいつ取り掛かるか、いつまでに終えるかも書き込み、そのスケジュールに沿って淡々とこなしていけばいいのです。
やってない時の「やらねば~」は手放し、
空いた時間は、自分のために心ゆくまで使いましょう。
人生には限りがあります。
意味のない煩いで貴重な時間を無駄にしたくないものです。