対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

表出のなかの悟性と理性

2008-09-07 | 自己表出と指示表出

 牧野紀之の「弁証法の弁証法的理解」(『労働と社会』鶏鳴出版 1972 所収)を読んでいた。

 知ることと認識することの違いが指摘されていた。知るということは、「たんに客観的なある事実を意識の中へとりこんだということである。」これに対して認識するということは、次のように述べられていた。

すなわち、ある事実が知られたとき、そこにとどまらないで、その事実の根拠、必然性を追求しはじめるとき、なぜそうなのかと問いはじめるとき、そこに認識が、科学がはじまると(ヘーゲルは――引用者注)いうのである。しかし、これはまだ始まりにすぎない。科学は、その始まりからどうすすんでいくのか。実に、ヘーゲルの真の発見は、この追求されている必然性には二種類あることに気づき、それを外的必然性と内的必然性とした上で、それぞれの意義と両者の関係とをのべたところにあるのである。

 外的必然性とはなにか。へ-ゲルはいう。「偶然性は、外的必然性とおなじく、それ自体たんに外的事情にすぎない諸原因に帰着する必然性のことである。」つまり、外的必然性とは偶然性のことである。

 そして、偶然性・可能性・根拠について簡潔な指摘が続き、これらの様相性と「悟性と理性」の関係が次のように述べられていたのである。 

 要するに、外的必然性、偶然性、可能性、根拠といったものは、どれも、みな、同じ一つの事態を別々の角度からみたものにすぎないのである。ヘーゲルはこれらの立場で考える能力を悟性とよんだ。それは有限な思考ともよばれている。悟性にもその意義がある。有限な事物には、有限な認識しかありえないし、真の無限は有限をふくむものだからである。しかし、それは無限なものには無力である。それでは、無限な認識能力とはどういうものなのだろうか。
     
 へ-ゲルはその無限な認識能力を理性とよんだ。それもやはり認識である以上、必然性を追求する。しかし、それはもはやかの外的必然性ではない。それは内的必然性とされている。
 内的必然性とはなにか。ヘーゲルはこたえる。「真の内的必然性は自由である」 自由とは、ヘーゲルにあっては、自己自身によって規定されるのみで、自己外のものに依存しないことであった。

 「弁証法の弁証法的理解」をいまはじめて読んだわけではない。2006年ころに一度読んでいる。そのときは、なにも響いてこなかった。

 しかし、いまはとても貴重なものとして、響いてきたのである。

 ○ 2種類の必然性、外的必然性と内的必然性。

 ○「外的必然性(偶然性)と悟性の対応」と「内的必然性(必然性)と理性の対応」。

 おそらく、「2つの基準の包摂」のなかで、図〈「自己表出と指示表出」と様相性の関係〉 を取りあげたことが影響していたのだろう。

 九鬼周造が示した「様相性の第2の体系」は、ヘーゲルの様相性の把握をよく保存しているのであった。

     様相性の第2の体系

 それに反して、第二の体系の立場に立って、現実を動的に見るならば、現実は言明的のものでなく問題的のものと考えられる。現実は厚味を有ったものである。問題を孕んでいる。問題は展開されなければならぬ。従って先の図形にあって可能と偶然とを結ぶ問題性を起点としてつかむのである。言明性が自己の自明を失って問題性に転化したのである。さて、偶然性は非存在の可能を意味する限り、存在に位置を占めながらも非存在に根ざしているものである。可能性は存在の可能を意味する限り、非存在に位置を占めながらも存在へ向かっているものである。そうして現実は可能性と偶然性によって構成されている限り、存在と非存在の二契機をその厚味の中に含んで常に問題を展開させている。ヘーゲルによれば可能性は内的のものであり、偶然性は外的のものである。そうして現実性は「内的のものと外的のものとの同一性」にはかならない。内的現実性としての可能性は本質性であり、外的現実性としての偶然性は直接者である。抽象的可能性が直接的現実性に作用し、直接的現実性が抽象的可能性に作用するとき、換言すれば内的のものが外的のものへ、外的のものが内的のものへ直接的自己転置をするとき、そこに現実的可能性が生じて必然性へ展開するのである。必然性とは「展開した現実性」にほかならない。 (九鬼周造『偶然性の問題・文芸論』 燈影社 2000年)

 わたしは必然性を自己表出に対応させていた。また、偶然性に指示表出を対応させていた。

   「自己表出と指示表出」と様相性

 この図のなかの「自己表出(必然性)」と「指示表出(偶然性)」が、「外的必然性(偶然性)と悟性の対応」と「内的必然性(必然性)と理性の対応」とに結びついたのである。

 いいかえれば、必然性が核となって自己表出と理性が結びつき、偶然性が核となって指示表出と悟性が結びついたのである。

 指示表出の根拠は悟性である。また、自己表出の根拠は理性である。これは、わたしには、大きな発見のように思われる。

 図に悟性と理性を書き込んでおこう。

    表出のなかの悟性と理性


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