対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

荒波でもパダガジャは濁る

2021-02-25 | ハングル
ㅂ、ㄷ、ㄱ、ㅈが母音と母音の間にあるとき、濁ることは知っていた(覚えていた)。
 ㅂ p→b
 ㄷ t→d
 ㄱ k→g
 ㅈ ʧ→ʤ
例えば、바다(海)はpataではなくpadaと発音する。
漢字語の発音を確認していて、母音に囲まれていなくても濁っている場合があることに気づいた。例えば、심장(心臓)はシムチャンではなく、シムヂャン(シムジャン)である。調べてみると、パッチムがㅇ、ㄹ、ㄴ、ㅁのときにも濁るとあった。流音ㄹや鼻音ㅇㄴㅁのとき、いいかえれば平音(k,t,pの音)ではないときにも濁るのである。안경は知っている単語で意味はメガネ(眼鏡、ガンキョウ)だが、たしかにアンキョンではなくアンギョンと発音している。

濁る子音はㅂㄷㄱㅈで、これは바다 가자(海へ行こう)と覚えることになっている。以前YouTubeにあったNHKのハングル講座で紹介されていた。そのとき「荒波でもパダガジャは濁る」とも紹介されていて、今もときどき見るテキストの欄外に書いていたのだが、最近は「荒波」の意味が解らず、何だろうと思っていた。流音ㄹや鼻音ㅇㄴㅁのときも濁ることを、さっぱり忘れていたのである。
「荒波」は、ㅇ・ㄹ・ㄴ・ㅁを「아라나미」(日本語)と表記して、濁るときのパッチム子音を覚えやすくしたものである。

「荒波でもパダガジャは濁る」は、「ㅂㄷㄱㅈ」は母音の間にあるときだけでなく、前のパッチムが「ㅇㄹㄴㅁ」のときでも濁るという意味である。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿