対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

熱力学か、電磁気学か

2008-07-20 | アインシュタイン

 『アインシュタイン相対性理論の誕生』(安孫子誠也著 講談社現代新書 2004)を読んでいて、驚いたことがある。日本語に翻訳されている「自伝ノート」は、アインシュタインの誤記をそのまま踏襲しているというのである。「電磁気学」とあるべき箇所が「熱力学」になっているというのである。次のところである。

 このような考察のおかげで、一九〇〇年を少しすぎたころ、すなわち、プランクの画期的な研究のでた直後には、すでに私には、力学と熱力学のどちらもが(限定的な場合を除いて)厳密な正確さを要求しえないものだとわかっていた。(「自伝ノート」金子務編『未知への旅立ち』小学館1991 所収)

 アインシュタインの手稿、「自伝ノート」の初版(1949年)、第二版(1951年)では「熱力学」になっている。最初に訂正が施されたのは、1955年のドイツ語版で、その冒頭には、「1949年出版の本の唯一の著者承認版」と記されているという。また、1969年の第三版では「電磁気学」と修正されている。(しかし、その後の版については、安孫子は何も述べていない。わたしも知らない)。

 『アインシュタイン相対性理論の誕生』を読んだあとで、わたしは、はじめて「自伝ノート」を読んだ。たしかに、上に引用したように「熱力学」になっているのである。

 「はじめに」には、この「自伝ノート」は「ドイツ語原文から新たに訳出したもの」と述べられてはいる。しかし、どの版からとは記されてない。初版だったのだろうか。第三版でなかったことは確かだ。また、訳者の佐藤恵子は、22個の訳註をつけているが、この「熱力学」の部分にはつけていない。また、金子務は高名なアインシュタインの研究者であり、アインシュタインの誤記については知っていたと思われる。しかし、何も述べていない。1979年の生誕100年祭の記念に、英訳は改訳されて単行本としてでていることが紹介されている。この英訳では、「電磁気学」になっているのだろうか、それとも「熱力学」のままなのだろうか。

 「熱力学」か「電磁気学」かは、安孫子誠也が強調するように、相対性理論の形成過程を捉えるときに、影響を与える大きな問題である。

 少し立ち入ってみよう。さきの引用文は次のようにつづいていく。

 このような考察のおかげで、一九〇〇年を少しすぎたころ、すなわち、プランクの画期的な研究のでた直後には、すでに私には、力学と熱力学のどちらもが(限定的な場合を除いて)厳密な正確さを要求しえないものだとわかっていた。しだいに私は、既知の事実に基づいた構成的な努力によって、真の法則を見いだす可能性に絶望していった。長く、そして絶望的に努力すればするほど、ある一般的な形式を備えた原理を見つけることだけが、われわれを確実な結果に導きうるのだろうという確信が深まっていった。手本として私の前にあったのは、熱力学である。熱力学での一般的原理は、次の命題の形で与えられていた。『自然の法則は、「永久機関」(第一種および第二種)をつくることのできない性質をもっている』。

 前の方で、「力学」と並べてある「熱力学」は、「厳密な正確さを要求し得ないもの」として、否定的に捉えられている。これに対して、後の方の「熱力学」は、「ある一般的な形式を備えた原理」の手本として、肯定的に捉えられている。一方では「厳密な正確さを要求し得ないもの」として、他方では「手本」として、熱力学の評価は分裂しているようにみえる。この段落だけでも、「熱力学」は異常である。すじが通っていないのである。

 この直前の段落でアインシュタインは、次のように述べている。

 この結果を得るためには、むしろマックスウェルの理論からは導かれない性質の第二の圧力のゆらぎがあると仮定しなくてはならない。それは、放射エネルギーが、不可分で、点として局在し、エネルギーhν(および運動量hν/c、cは光の速度)をもった量子からできていて、しかもその量子は分割されずに反射される、と仮定するとよくあうのである。この考察が大胆で直接的なやり方で示してくれたことは、プランクの量子には、ある種の直接的な実在性が与えられるにちがいなく、したがって、エネルギー的にみて放射は、一種の分子構造をもつにちがいない、という点だ。もちろんそれは、マックスウェルの理論とは矛盾するものだ。

 プランクの熱輻射の公式を説明するには、マックスウェルの理論からは導かれない性質を仮定しなければならないこと、またエネルギー的にみて放射はマックスウェルの理論とは矛盾することを述べているのである。すなわち、プランクの研究に対して、マクスウェルの電磁気学が限界をもっていることを述べているのである。

 直前の段落では、熱力学ではなく、電磁気学について述べているのである。この二つの段落を、無意味にならないようにつなげるとすれば、「力学」と並べるのは「熱力学」ではなく、「電磁気学」でなければならないことがわかるのではないだろうか。

 すなわち、次のようにである。

 このような考察のおかげで、一九〇〇年を少しすぎたころ、すなわち、プランクの画期的な研究のでた直後には、すでに私には、力学と「電磁気学」のどちらもが(限定的な場合を除いて)厳密な正確さを要求しえないものだとわかっていた。

 このように考えれば、「ある一般的な形式を備えた原理」の手本としての「熱力学」が生きてくるのである。

 安孫子誠也は次のように述べている。

 アインシュタインが「熱力学」ではなく「電磁気学」が厳密には正しくないという考えのもとに特殊相対性理論を構築していた、という点は特に強調しておかなければならない。彼は、古典物理学を支える三本の柱のうちで、「力学」と「電磁気学」は捨て去らねばならず、保持し続けられるのは「熱力学」だけだと判断していたのであった。

 わたしは、この見解に賛成である。

 わたしの複合論からいっても「電磁気学」でなければならないのである。「力学」と「電磁気学」、長くいうと「ニュートン力学」と「マクスウェル電磁気学」は、「選択」されるべき二つの「論理的なもの」だからである。「力学」と「電磁気学」は、克服されるべき「二匹の猿」だからである。

 ところで、「熱力学(Thermodynamik)」と「電磁気学(Electrodynamik)」の書き間違いがわかったのは、1949年の出版直後のようである。安孫子氏の問い合わせにたいする文書保管人バーバラ・ヴォルフ(ヘブライ大学アインシュタイン文書館)による答。

 一九四九年に「自伝ノート」が出版されたとき、誰かが(私たちはそれが誰か分かりません)いくつかの誤りを見出し、ヘレン・デュカス[アインシュタインの秘書]がアインシュタインの本に訂正を書き込みました(写真a、b)。私たちはデュカスの筆跡を見分けられるばかりでなく、アインシュタインの本に訂正を書き込んだと説明している彼女の手紙すら所持しています。……さらに、彼女は「訂正表」(写真c)をタイプしました(日付はありませんが一九四九年の出版直後と思われます)。

 写真は割愛。写真aは、アインシュタインの手稿で、「熱力学(Thermodynamik)」と書かれている。写真bは、初版に記入された訂正である。デュカスの筆跡で、「Thermo」が「Electro」に訂正されている。写真cは、「自伝ノート」に対する訂正表である。52ページのところに Electrodynamik instead of Thermodynamik. AE made mistake in ms. とタイプされている。

 もう半世紀以上経っているのだ。どうして、日本語の「自伝ノート」は、「熱力学」のままなのだろうか。なにか深い事情があるのだろうか。