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対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

軒を貸したが、母屋はどうなる

2023-05-19 | ノート
 しばらく前にカテゴリーを見ていたら、「庭の草木」が2つに分かれてた。表示が1と5に分かれていて、だいだい記事数で1対2の割合だった。1つにまとめた。350ほどの記事がある。よく投稿してきたものである。

最初に庭の写真を撮ったのは、2015年1月だった。8年前である(「万両」)。このブログは2005年に「弁証法」の考察を進めていくつもりで始めたもの(ブログ名「対話とモノローグ」)だが、ギャップを感じるとともに、なにか世界が広がった気がしたものだ。

観察していくといろいろ発見があって続いている。鳥も来るので、「庭に来る鳥」、蝶も舞うので「庭の小動物」を加えた。鳥を撮るために、ある程度、望遠が効くカメラを新調した。

ブックマーク「対話とモノローグ」目次と検索2005-2015に、最初に書いた207の記事のリンクがある。

葦の生えていた田んぼは、今年

2023-05-01 | ノート
先週の土曜日、今年度最初の農地環境保全会の活動があった。用水路の泥上げである。午前6時から8時まで2時間やってきた。我が田んぼ(人に頼んで耕作してもらっている)を見てきた。

もともとこの田んぼは周りに葦が生えていた。頼んでいる人は葦を避けて耕作していた。3年前、農地環境保全の活動に参加し始めたとき、これが気になって、2か月ほどかけて、葦を取り除いた。次の年、そして去年、葦の生えていた場所はそのままになっていて、その内側だけに苗は植えられていた。ところが先日見てみると、葦が生えていた場所も耕運機で整えられていて、今年はどうやら田んぼ全体に稲が植えられる感じである。田んぼはすっきりしていた。思いが通じて嬉しく思った。

FC2でもPDF投稿は可能だった

2023-03-29 | ノート
借りているホームページ FC2は PDFファイルを受け付けないと思い込んできた。そのような記事を書いたし、必要に迫られて、2年ほど前 PDFファイルを Google の共有ファイルを利用して公開していた。

今週になってPDF の投稿が可能であることに気づいた。偶然である。相変わらず FC2のウェブでの操作はよくわからないが、以前利用していたFFFTPを開いてみると、PDFの投稿が可能であることがわかった。

これで安心してPDFの記事を投稿できる。こんども必要に迫られたのである。すでに閲覧できるが、明日に公開しようと思う。

次は何をしようか

2023-02-02 | ノート
まるまる3ヶ月、どうやらネイピア数に関する考察が一段落した。あと1回プリントして見直して完成とする。

視線をずらせるようになった。瀬山士郎『「無限と連続」の数学』を読んでいる。最初は、順調にいっていたが、途中から、これまでのように、ピンとこない、論理を辿れなくなる場合が多くなってくる。

指数関数の底eが存在することの証明が出て来たが、この辺りはよくわかる。単調増加であること、有界であることから、収束し極限値をもつ。

画像の表示に遠回りをしていた

2023-01-27 | ノート
これまでtexで作った図を PDF にして、画像として読み込んでいた。今日、小さな図を脚注に追加するさい、texのまま表示されることに驚いた。

試しにこれまで画像ファイルを読み込んでいた箇所を、元のtexで置き換えてみると、表示できた。ずいぶん、遠回りしていたことになる。

カテゴリー「指数と対数」を追加

2022-09-02 | ノート
オイラーに関連する記事はすべてカテゴリー「オイラーの公式」に入れてきたが、カテゴリー「指数と対数」を追加して、関連する記事はこちらに移動した。振り返っておこう。

『オイラーの無限解析』を読もうと思ったのは、志賀浩二『無限のなかの数学』だった。最初に理解できたのは、第8章の前半、いわゆるオイラーの公式が提示してある部分だった。無限小数と無限大数の扱いが印象に残った。

次に7章、指数と対数の級数表示を見ていたら、無限小数と無限大数の扱いが8章と同じように思えて、読めるようになった。すると、さっぱりわからなかった8章の後半、虚対数と円弧の関係も理解できるようになった。

1つの記事のなかのリンクは可能か

2022-08-17 | ノート
Goo のブログで、ドキュメント内のリンクは可能なのだろうか。長い記事の場合に便利だと思うのだが、可能なのだろうか。例えば、「跳ぶのか、踊るのか。」1・2・3・4・5は別々の記事だが、これをまとめて1つの記事にして、それぞれの章に移動できるようにしたいのである。

ブログのプレビューでテストしてみると、リンクは可能のように見える(しかし、今のところ1行ずれる)。しかし、これはコンピュータの画面で見る場合である。スマホでは無理かもしれない。これまでもスマホの画面ではHTMLを読みとらないで、コンピュータの画面とは違っていた。

「じいも」の由来を思う

2022-06-10 | ノート
昨日、里芋のレシピを検索したのは、妻がかなり前に知り合いからもらってきた芋をそのままにしていて、料理する気配がなかったからである。

もらってきたときも、そのあとでも妻はその芋をつねに「じいも」と言っていた。里芋ではないかと思っていたが、確認することはなかった。昨日、「じいも、里芋」で検索すると、じいもは里芋であることが分かった。

「じいも」は方言で、尾張と美濃、そして徳島で使われているのだという。

山に自生していたヤマイモ(自然薯など)に対し、里で栽培されるから「里芋」らしいが、タイモ(田芋)、ハタイモ(畑芋)、イエイモ(家芋)など、いろいろな呼び名があるという(ウィキペディア)。しかし、「じいも」を想起させるものはない。

サトイモは古く縄文のころより栽培されており、比較的新しいジャガイモやサツマイモと区別するために、「土地本来の芋」で「地芋」と表記するという説があった。

「地」を尾張と美濃に限定して、「じいも地芋」の由来を織田信長、豊臣秀吉の時代に見るのはどうだろうか。

『世界は「e」でできている』

2022-06-08 | ノート
最近は、庭とハングルの記事ばかりが続いているが、久しぶりに理数に関連する記事である。

図書館の閉架にある書籍を借りに行ったついでに 開架を見ていたら、『世界は「e」でできているオイラーが見出した神出鬼没の超越数』(金重明著、ブルーバックス)が目に留まった。

オイラーの『無限解析』からの引用もあり興味がわいた。借りてきた。家で読み始めたら、ε-δ法の思いがけない指摘(背理法による証明)もあり、これまでもやもやしていた個所と関係してくるのではないかと思ったりしている。

なにより超越数 eの魅力を見てみようと思う。

破壊の映像を見て原子爆弾を思った

2022-03-08 | ノート

92U-93Np-94Pu、94Pu-95Am-96Cm。アクチノイドの概念が生まれてくる時期は、原子爆弾が計画・製造・実施の時期と重なる。118Ogまでの超ウラン元素の発見の物語は興味深いが、その時代背景を想起すると、気が重くなる。

いま、テレビやネットでロシアとウクライナの戦争の映像が流れている。地上波は、ロシア悪・ウクライナ善という前提だが、BSやネットにはちがった見方が提起されていて興味深い。

映像を見ながらいろいろ思いが浮かんでくる。その一つ。攻撃によって街は破壊されているが、せいぜい1つの建物、1つの区画である。広島・長崎の爆弾投下後の映像では1つの爆弾で市全体が消滅している。全員犠牲者で避難民はいない。原子爆弾はとてつもない破壊力を持っていたのだと思う。