慶應医学部端艇部 部員日誌

部員の日常を綴ります・・・。

ありがとう、そしてありがとう。

2016-03-24 23:16:24 | 日誌
 こんにちは、今年度で卒業します95回生の菊岡です。最後の部員日誌がまわってきましたのでA4一枚以内でお話しさせていただきたいと思います。後輩からは勧誘用にと言伝がありましたが、まあ新一年生はみないのではないでしょうか。僕が思うに、ここの読者は現役部員と、あるお方くらいでしょう。後輩部員には散々言いたいことを直近の日々でいったので、そのお方にむけて書きます。

 梅田さん、お久しぶりです。あいかわらず不必要なくらいお元気でしょうか。梅田さんがいる間はその背中を、いなくなってからは梅田さんの亡霊の背中をとらえようと練習していました。結局途中で背中を追うことは忘れてしまって、寄り道を楽しんでいたような気がしますが、今日は自慢話としてその寄り道の話をさせてください。最高のクルーが作れました。5年生の時のフォアのことです。あのクルーを作ることがそれまでの練習や試合の意味だったとすら、今になって思います。

 よくご存じのとおり、菊岡といえば菊岡が強ければそれでいい、という考えの人間であるかと思います。したがって二年生の時は、わかりやすく勝ち負けの責任が自分だけにあるシングルスカルに好んで乗りたかったのでしょう。三年四年とクルーボートに乗っている間でも根強くそういう考え方は持ち続けていました。他のクルーが力不足であろうと自分が得る勝敗の結果はあくまで自分が得るものであり、その自分の勝敗のために頑張るという感じです。(これの良し悪しはいまだに全否定も全肯定もしませんが)。小難しくなってしまいましたが、要はどこをきっても自分自分ということです。

 本題の自慢話になりますが、5年生の時に僕がクルーリーダーとして組んだフォアでは、お互いへの競争心と信頼でクルーが成り立っていました。クルーはお互いをライバルとみなすと同時に、勝ちをプレゼントしてあげたい仲間でありました。その二つがいいバランスに働いて、練習のモチベーションを高いところで保たせていました。後輩達は常にグレずに越えるべき壁として僕を追い(これは、梅田さんが僕にそうさせたことを参考にしました)、同時に僕を勝たせようとも思ってくれていたと感じています。誰かがさぼって手を抜いていると疑うこともありませんでした。誰かが漕ぎの途中で雄叫びをあげると、自然と次のひと漕ぎでは他のクルーも雄叫びをあげました。練習でくじけそうになる時に踏みとどまる理由は、勝ちをプレゼントしてあげたい仲間がいることでした。(これが、前は自分自身の力の渇望でしたが)。自分の勝ちのために漕いだ試合よりも、このクルーへの勝ちのために漕いだ試合の方が、ある意味では簡単でした。最高でした。

 これが、僕が純粋な自分の力を求めることを忘れて、背中を追うことも忘れてやっていた楽しい寄り道です。強迫観念的に強者を倒すための力を求めた練習の終わりの道で、やっと見つけた、たったの1シーズンだけの楽しい楽しい寄り道です。

 そろそろ次の方に代わりたいと思います。同じく今年度で卒業の、名COX鈴木先生、よろしくお願いいたします。