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ダッシュ目撃情報。

2024-04-10 20:33:53 | mathematics
十年近く前に,函数 f(x) の導函数を表す f ' (x) の読み方が,日本では未だに「エフ・ダッシュ・エックス」であるが," ' " は(この記事ではアポストロフィーにしか見えないかもしれないが)現代英語では prime(プライム)としか呼ばれない,というネタを書いたことがある。

その記事にはありがたいことに識者からのコメントがついて,大変有益な情報を得ることができた。

まず,日本評論社から出ている『数学セミナー』の 1985 年 11 月号の p.13 に,渡辺正氏(当時,東京大学生産技術研究所)の「「ダッシュ」と「活動寫眞」」と題する 1 ページのエッセイがあり,そこでなぜプライムを日本ではダッシュと読むのかの論考が述べられている。

渡辺氏はその疑問を知り合いのネイティヴにいろいろ尋ねたところ,第二次世界大戦のころまで英国ではダッシュと読んでいたが,大戦後にプライムと読むように変更されたのだという。

いずれにせよ,戦後生まれの若い世代(当時!)の英国人研究者はすでにダッシュと読むことを知らぬまま育っているということで,もはや古語というより死語というべきであろう,という厳しい見解が述べられている。

その記事が書かれてから 40 年が経とうとしているが,未だに日本ではダッシュが受け継がれていると思われる。とはいえ,私は高校の教育現場から離れてしばらく経つので,令和の時代でもそうなのかについてはやや不安が残る。

調査方法はいくつか考えられる。

まずは自分が担当する新入生にそれとなく聞いてみる。これが一番確実であろう。何しろ,ほとんどの学生がつい一か月前まで現役の高校生だったはずなのだから。

それに比べるとかなり間接的にはなるが,学部生くらいの若い講師による YouTube での微分積分講義を視聴することである。今の世の中,そういった動画で自主的に学習する中高生もそれなりにいるであろうから,むしろ「ダッシュ読み」撲滅委員会としては積極的に「ダッシュ読み」の監視を行うべきともいえる。もっとも,取り締まりというのは嫌な感じが付きまとうものであるが。年齢的には人生後半に入ってしばらく経つわけだから,ぼちぼち「老害」と世間から嫌がられることを覚悟のうえで「文化的」な活動に勤しまねばならないかもしれない。嫌われる勇気を奮わねばな。

さて,一昔前の英国で「ダッシュ」と読まれていたという証拠と,戦後のいつまでダッシュと読まれていたかを推察するための資料の 2 点を提供しようと思う。

Charles Babbage, 1864.



まず考古学的な文献であるが,今から 200 年ほど前の Cambridge 大学の,特に微分積分学の時代遅れであることに危機感を感じ,自主的に Analytical Society(解析協会)なるものを若い学者で結成し,大陸(フランス)の Lacroix の解析協定を英訳するなど,当時の水準での Canbridge 大学の数学教育の「世界標準化」を目差した Charles Babbage 氏の自伝的回想録 "Passage from the Life of a Philosopher"(『一哲学者の生涯からの小節集』とでもいったところだろうか。志村五郎氏の『記憶の切絵図』というタイトルを連想するが,『断片』とまではいかないかな。)の一節 (passage) にこんなものがある。Chapter IV. Cambridge のほぼ冒頭にある。

..., in the dots of Newton, the d's of Leibnitz, or the dashes of Lagrange.

Cambridge で伝統として受け継がれてきた,流率と呼ばれる,現在の導関数に相当するであろう数学的概念を表すのに使われる Newton 由来の記法とされるドット(流量と呼ばれる,函数に該当すると思われるものを表す文字の上に点を打つ。現在でも物理学,特に力学あたりで用いられている古の記法である),Leibniz(現在は t を入れずに書くのが標準的なようだ)の d,これは x の函数 y の x に関する導関数を dy/dx と書いたり,積分を ∫f(x) dx と書いたりするときに使われる,あの d のことであり,最後は Lagrange が導入したとされる,Newton のドットの変種に相当する,件の「ダッシュ」を用いる流儀と,三通りを列挙している箇所である。

Babbage 氏は Lacroix のテキストで Leibniz 流の "d-ism" に触れて感激したらしい。微分積分学の理論の習得を容易にするこの素晴らしい記法をイギリスの数学教育界に取り入れねば,という熱い情熱で解析協会の設立,そして Lacroix のテキストの英訳,出版という活動を行ったと推察される。

そういえば,自国の数学教育レベルを憂いて若き俊英たちが団結して自国の数学レベルを上げるためのテキストの編纂事業を立ち上げるというのは,Babbage の時代から 100 年ほど後のどこかの国で繰り返されたことのような気がしなくもないが,それについてちゃんとした調査は今後の課題である。

Babbage 氏らが当時まとめた報告書のタイトルは

The Principles of pure D-ism in opposition to the Dot-age of the University

という,ユーモアに満ち溢れたハイセンスなものなのだが,本当にこのようなタイトルが付けられたのかどうか気になるところである。

未見であるが,"Irascible Genius"(今風に訳すと『沸点の低い天才』とでもなろうか。怒りんぼだったそうな。)というタイトルの伝記があるそうなので,機会があれば手に取ってみたいものである。

話はズレるが,Babbage の訓として「バベッジ」と書かれるのが普通のようだが,綴り的には「バッベジ」になりそうな気がする。

Passages の意味を確認しようと思って検索したのだが,片仮名で passage の読みが「パッセージ」と書かれていた。次の成り立ちは

Babbage
passage

のように両者そっくりなので,それなら「バッベージ」になりそうなものなのだが,ネイティヴの発音はどう聞こえるのだろうか。

Babbage 氏は数学における記法の重要性についてかの有名な大数学者 Gauss 氏に書簡を送ったことがあるというエピソードもとても気になる。

また,フランスでは 1823 年だかに若き数学者 Cauchy 氏による解析教程が出版され,極限概念の取り扱いが刷新されようとしていた時代でもある。

ほぼ,同じ頃,粉屋の息子の George Green 氏が独学で Laplace の天体力学の(たぶんフランス語の)著書から学び取ったことを,当時最先端の話題であったであろう,電磁気学の数学的な理論構築の試みをまとめた冊子を自費出版 (1828) したり,チェコの哲学者 Bolzano がやはり実数の連続性だの関数の連続性だの(中間値の定理)に関する先駆的な考察を発表 (1817) したりと,まさに 19 世紀の学問が大きなうねりを伴って爆発的に発展しようとしつつあったところであった。そんな機運の中で,Babbage 氏も独自の道を進み,プログラミング可能な自動計算機の先駆けとなる,差分機械や解析機械という壮大なプロジェクトに身を投じたわけである。

それにしても,なぜ Cambridge 大学における数学理論の発展が停滞したのか,気になるところである。また,18 世紀はフランスの時代と言ってもよいほどにフランスの数学者が多数活躍したし,19 世紀の後半になっても Liouville やら Darboux やら Goursat,Hermite,Jordan など,名だたる大数学者がひしめいていたわけだが 20 世紀の初頭はドイツが数学のメッカといった様相を呈したように思われる。このような比較的短いスパンでの数学研究の主要地の変遷というものが,もし本当にあったとするならば,どういった背景によるものなのか,気になるところである。

ちなみに,Cambridge 大学の 19 世紀末頃までの数学研究の変遷については,W. W. Rouse Ball 氏の "A History of the Study of Mathematics at Cambridge" なる著作があるので,そういうものを紐解けば謎が明らかになるかもしれない。この書の 20 世紀版はちょうど 100 年ほど後に出た P. M. Herman 氏編集の "Wranglers and Physicists" かな,と思ったのだが,副題は 19 世紀の Cambridge 物理学に関する研究,となっているので,Rouse Ball 氏の物理学版らしい。

ともかく,1864 年に,英国で dash と書いても通じたであろうことが伺える資料であった。

John Backus, 1959.



私の 10 年ほど前のブログ記事にいただいたコメントには,1955 年の論文の脚注に dash と書かれているのを見かけたことがある,という,これまた貴重な情報が提供されており,それがもしかすると最後の目撃情報になるかと思われた。

だがしかし,である。

たぶんその頃,私は周期的に正規表現だの BNF だのを学び直したくなる発作を起こすのだが,その際にネットで入手した,BNF の発明者の一人と言われる John Backus 氏による報告文 "The syntax and semantics of the proposed international algebraic language of the Zurich ACM-GAMM Confarence" の最後のページ,p.132 の左の段の第 1 行に,それはあった!

If one wants to count backwards, a dash is added to i, e, g.

for all i ' ≧s

(meaning i=19, 18, ... s).


皆さん,確認されましたか?

そう,i に dash を付けて i ' と書く,という仕様を述べております。

あー,この発見を 10 年近くもの間ずっと胸に秘め続けていて苦しかった・・・!

いや,この記事のようにさっさとブログに書けばよかったのだが,どこで dash という単語を見かけたのかわからなくなって,ここ数年は何度もこの文書もしくは関連する文書を読み直しては,あれ,見当たらない・・・?と不首尾に終わって,ネタに上げられなかったんですよぉ~。

今年もまた BNF のことを思い出す発作が起きて,ようやく,久方ぶりにこの文書を再入手したので,Lagrange の dashes の話と共に記事として認めた次第である。

そしてもちろん新たな疑問も湧くけれども。

Backus 氏は生まれも育ちもアメリカらしいのに,当時もまだ dash と言っていたのか?

だがしかし,これはアメリカとヨーロッパの電子計算機学会の共同会議で協議された事柄に関する報告書であるため,ヨーロッパ圏の人々の語法を意識して dash を用いた可能性も無きにしも非ずである。

そして,この文書を最後に,欧米圏から果たして本当に dash が絶滅したのかどうか,それはもちろん,何らかの偶然に導かれた発見がなければ目撃年度の更新は起き得ないわけであるが,1959 年よりも新しい証拠が見つかるかどうか,残りの人生の楽しみの一つとしておくとしよう。

そもそも古めの微分積分学のテキストを漁っても,y ' を何と読むか,なんて文章で説明書きが見当たらないんだよねぇ。そこが悩みどころでもある。
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