東北大震災より2ヶ月あまりが経ちました。
震災の一ヶ月後の4月11日にアメリカ、ワシントンのナショナル大聖堂で「日本応援ミサ」が宗教を問わず開かれ、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が朗読されましたが、このニュースを見て目頭が熱くなったのは、おそらく私だけではないと思います。
「雨ニモマケズ」を読むと、この主人公とクリスチャンの姿勢がかぶりますが、作者の宮沢賢治は法華経の信者です。
実は、この詩にはモデルがいます。
花巻出身の齋藤宗次郎という人です。禅宗寺の三男坊でしたが、内村鑑三に導かれてクリスチャンになりました。当然家からは勘当され、幼い女児を亡くしながらも、新聞配達などで生計をたてながらまわりの人の世話をし、この詩のような生活をしていました。内村のもとへ行くべく上京する時は、齋藤を見送る人でホームはあふれんばかりだったそうです。その中に宮沢賢治もいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)
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私は小学生の頃にこの詩を暗唱しました。この詩を暗唱している日本人は多いと思います。
私の子どもたちは「ゆとり教育」の中で、小学校でそういうチャンスがありませんでしたが、当時NHK教育テレビで「にほんごであそぼ」という番組を見ていて、それをきっかけに覚えました。この番組は非常に魅力的で、我が家の子どもたちは一時、とりつかれたように「寿限無」などの落語や早口言葉などを口ずさんでいました。
この番組の監修者である齋藤孝さんはこの「雨ニモマケズ」を「半世紀以上にわたる日本の暗唱文化の砦」と言っています。
暗唱・朗読はリズムやテンポそして響きを身体全体で感じるところにおもしろみがあります。特に音に出すことによって足腰と肚を鍛え、息を強く深くしますので、生きる力をも鍛えられることでしょう。そしてなにより身体で覚えていきますので、なかなか忘れることがありません。
数年前、京都の立命館小学校のオープン授業を見学に行った時、朝のモジュールタイム(所謂、朝の学習タイム)で、算数は「百マス計算」、そして国語は詩の朗読や暗唱をやっていました。朗読の時は全員立っておこなっていました。
なにを朗読していたか記憶が定かではないのですが、かなり長いものを子どもたちが朗々と唱っているのに感銘を受けました。
朝一番におなかから声を出して朗読すると脳が活性化して、その後の授業の理解度がアップすると先生がおっしゃってました。
日本も昔、寺子屋の時代は孔子の「論語」を朗読し覚えたと聞きます。その時は意味がわからなくても人生の中で時を重ねるにつれて意味がわかってくるものです。長い人生の中で、ふと意味がわかる瞬間があるでしょう。そういう意味で名文は人生を豊かにします。
「日本語を体得するという観点からすると、子どもの頃に名文と出会い、それを覚え、身体にしみ込ませることは、その後の人生に莫大なプラスの効果を与える」と齋藤さんは述べています。
「英語のコミュニケーション能力」も「母国語能力」が基本だと思います。
追記:
「にほんごであそぼ」で取り上げられた詩などを収録した「声に出して読みたい日本語」(齋藤孝 著、草思社)が発刊されています。我が家の本棚にも3巻が並んでいます![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
震災の一ヶ月後の4月11日にアメリカ、ワシントンのナショナル大聖堂で「日本応援ミサ」が宗教を問わず開かれ、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が朗読されましたが、このニュースを見て目頭が熱くなったのは、おそらく私だけではないと思います。
「雨ニモマケズ」を読むと、この主人公とクリスチャンの姿勢がかぶりますが、作者の宮沢賢治は法華経の信者です。
実は、この詩にはモデルがいます。
花巻出身の齋藤宗次郎という人です。禅宗寺の三男坊でしたが、内村鑑三に導かれてクリスチャンになりました。当然家からは勘当され、幼い女児を亡くしながらも、新聞配達などで生計をたてながらまわりの人の世話をし、この詩のような生活をしていました。内村のもとへ行くべく上京する時は、齋藤を見送る人でホームはあふれんばかりだったそうです。その中に宮沢賢治もいました。
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私は小学生の頃にこの詩を暗唱しました。この詩を暗唱している日本人は多いと思います。
私の子どもたちは「ゆとり教育」の中で、小学校でそういうチャンスがありませんでしたが、当時NHK教育テレビで「にほんごであそぼ」という番組を見ていて、それをきっかけに覚えました。この番組は非常に魅力的で、我が家の子どもたちは一時、とりつかれたように「寿限無」などの落語や早口言葉などを口ずさんでいました。
この番組の監修者である齋藤孝さんはこの「雨ニモマケズ」を「半世紀以上にわたる日本の暗唱文化の砦」と言っています。
暗唱・朗読はリズムやテンポそして響きを身体全体で感じるところにおもしろみがあります。特に音に出すことによって足腰と肚を鍛え、息を強く深くしますので、生きる力をも鍛えられることでしょう。そしてなにより身体で覚えていきますので、なかなか忘れることがありません。
数年前、京都の立命館小学校のオープン授業を見学に行った時、朝のモジュールタイム(所謂、朝の学習タイム)で、算数は「百マス計算」、そして国語は詩の朗読や暗唱をやっていました。朗読の時は全員立っておこなっていました。
なにを朗読していたか記憶が定かではないのですが、かなり長いものを子どもたちが朗々と唱っているのに感銘を受けました。
朝一番におなかから声を出して朗読すると脳が活性化して、その後の授業の理解度がアップすると先生がおっしゃってました。
日本も昔、寺子屋の時代は孔子の「論語」を朗読し覚えたと聞きます。その時は意味がわからなくても人生の中で時を重ねるにつれて意味がわかってくるものです。長い人生の中で、ふと意味がわかる瞬間があるでしょう。そういう意味で名文は人生を豊かにします。
「日本語を体得するという観点からすると、子どもの頃に名文と出会い、それを覚え、身体にしみ込ませることは、その後の人生に莫大なプラスの効果を与える」と齋藤さんは述べています。
「英語のコミュニケーション能力」も「母国語能力」が基本だと思います。
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「にほんごであそぼ」で取り上げられた詩などを収録した「声に出して読みたい日本語」(齋藤孝 著、草思社)が発刊されています。我が家の本棚にも3巻が並んでいます
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