「仮定法」と聞くだけで頭の中が混乱するような錯覚に陥るのはおそらく私だけじゃないと思います
でも、日本語で、
「~だったらいいのになあ~」とか
「私だったら~するよ」
な~んていうのも当然、仮定法。日常会話で仮定法を用いないことはおそらくゼロに等しいのですから、英語でもこの仮定法をマスターしなくてはいけない。
英語は日本語と違って「時間軸」が明確で、時制にしても、大過去から過去形、現在形、未来形と使い方がきれいにわかれています。英語にはなんと12の時制があるのです
だから時制になれていない日本人の私たちには非常に苦痛
ちなみに日本語は「時制」ではなくて「相’aspect’」を使用しています。具体的に言うと、「~する」「~した」「~している」「~していた」ですが、これは英語の時制とは一致しません。
例文)「昨日、私がテレビを見ている時」 When I was watching TV, ________.
こうしてみると以前ご紹介した「前置詞」とか「冠詞」とか「時制」などという、いわゆる機能語を正しく使える人が「ネイティブ」なんでしょう。
私にいたっては、最初はまちがいだらけの(?)日本の教科書でしか中学英語を学んでいないですし、大学受験の時に呪文のように覚えた構文が基礎になっていて、それをくちゃくちゃ作り直して使うから、時々、「あれ?これでよかったかな?」ー間違いってはいないけれど、100%時制が正確で意図していることが伝わっているか?と不安になることもあります。
具体的に書くと、
1. If I tell you the truth,
2. If I told you the truth,
3. If I had told you the truth,
の3つは状況が全く異なるわけです。
マイク・ピーターセン著 「日本人の英語はなぜ間違うのか?」を読んで、このあたりのことがとてもわかりやすく書いてあって、うなずくことしきり。
日本の英語教育では仮定法が中3で習うため、1~2年の教科書は仮定法抜きの不自然(あるいは正しくない)英語がよくあるとのこと。
日常生活の使用頻度から教科書の内容は作られていないということです。
そういえば、ネイティブの子どもが最初によく使うのは現在進行形なんですが、これを習うのもかなり後です。動詞の原型から順序立てて教えるのって、ある意味不自然なんですね。
さて、この本にはほかにも興味深い項目がありました。
常々、大学の教え子がよく発する(書く)’so’という単語の使い方。
日本語では「だから」なんてつもりでよく使いますが、いきなり文が’So ……’で始まっていると「う~ん」と首を傾げたくなります。
なぜなら前文との因果関係がないのに、なんとなく’so’でつなげている感じ。
日本の一般の大学生は’so’という英単語が大好きのようです。私が授業で出会う英作文では、’so’が実によく使われ、一度も使われない英作文はめったに見られません。残念ながら、その数多くの’so’の中で、添削を“生き延びる”ものはほとんどありません。 (p.90)
‘very’のかわりに’so’を多用する傾向もある、とのこと。確かに!
ということで、このあたりの英語の使い方を是非、学校でも教えていただきたいものだと、個人的に思いました。
まだまだしっかり学んで、より洗練された英語を使いたいと思います。
でも、日本語で、
「~だったらいいのになあ~」とか
「私だったら~するよ」
な~んていうのも当然、仮定法。日常会話で仮定法を用いないことはおそらくゼロに等しいのですから、英語でもこの仮定法をマスターしなくてはいけない。
英語は日本語と違って「時間軸」が明確で、時制にしても、大過去から過去形、現在形、未来形と使い方がきれいにわかれています。英語にはなんと12の時制があるのです
だから時制になれていない日本人の私たちには非常に苦痛
ちなみに日本語は「時制」ではなくて「相’aspect’」を使用しています。具体的に言うと、「~する」「~した」「~している」「~していた」ですが、これは英語の時制とは一致しません。
例文)「昨日、私がテレビを見ている時」 When I was watching TV, ________.
こうしてみると以前ご紹介した「前置詞」とか「冠詞」とか「時制」などという、いわゆる機能語を正しく使える人が「ネイティブ」なんでしょう。
私にいたっては、最初はまちがいだらけの(?)日本の教科書でしか中学英語を学んでいないですし、大学受験の時に呪文のように覚えた構文が基礎になっていて、それをくちゃくちゃ作り直して使うから、時々、「あれ?これでよかったかな?」ー間違いってはいないけれど、100%時制が正確で意図していることが伝わっているか?と不安になることもあります。
具体的に書くと、
1. If I tell you the truth,
2. If I told you the truth,
3. If I had told you the truth,
の3つは状況が全く異なるわけです。
マイク・ピーターセン著 「日本人の英語はなぜ間違うのか?」を読んで、このあたりのことがとてもわかりやすく書いてあって、うなずくことしきり。
日本の英語教育では仮定法が中3で習うため、1~2年の教科書は仮定法抜きの不自然(あるいは正しくない)英語がよくあるとのこと。
日常生活の使用頻度から教科書の内容は作られていないということです。
そういえば、ネイティブの子どもが最初によく使うのは現在進行形なんですが、これを習うのもかなり後です。動詞の原型から順序立てて教えるのって、ある意味不自然なんですね。
さて、この本にはほかにも興味深い項目がありました。
常々、大学の教え子がよく発する(書く)’so’という単語の使い方。
日本語では「だから」なんてつもりでよく使いますが、いきなり文が’So ……’で始まっていると「う~ん」と首を傾げたくなります。
なぜなら前文との因果関係がないのに、なんとなく’so’でつなげている感じ。
日本の一般の大学生は’so’という英単語が大好きのようです。私が授業で出会う英作文では、’so’が実によく使われ、一度も使われない英作文はめったに見られません。残念ながら、その数多くの’so’の中で、添削を“生き延びる”ものはほとんどありません。 (p.90)
‘very’のかわりに’so’を多用する傾向もある、とのこと。確かに!
ということで、このあたりの英語の使い方を是非、学校でも教えていただきたいものだと、個人的に思いました。
まだまだしっかり学んで、より洗練された英語を使いたいと思います。