英語と子育て

英語を通して子どもたちの夢をサポートするブログです

寄り道して学ぶこと― ‘Gap Year’を考える

2013-05-27 | その他
日本の教育制度は小学校6年間、中学校3年間、そして高校3年間。次のステップへ行く人は大学が4年間、その間3年生からは就職活動、と息つく間もないように感じるのは私だけでしょうか 

本来大学というところは専門性の高い学問をして、その技術を身につけるところだったのですが、今や「就職するための学校」となりつつあるのは残念です。大学入ったら「自分は何がやりたいのか」「どう社会に役立つ人間になるのか」を考えるよりも「どうしたら就職に有利か」を考えるようになってしまっているため、就職活動でちょっとつまずくと、精神を来すまでになる学生もいると聞いています。

30年以上も前、私が通っていた私立短大は女子校で就職率が100%でした。2年生の秋以降は成績のよい人から、トヨタ系、保険会社、航空会社に次々内定が決まっていきます。そんな中、私はどんな仕事をしたらいいかわからなくて、まったく就職活動をしませんでした。'I'm not ready.'
私の学年で就職しなかったのは、私と私の親友の2人だけでした。

当時の私の目標は「英語を活かせる仕事について国際交流を図ること」でしたが、自身の英語力に全く満足していませんでした。結局、両親を説き伏せて、アメリカ留学に踏み切ります。留学中はあちこちを旅しました。その後半端な時期に帰国したので、それからは通訳ガイドから雑貨屋の店員までありとあらゆるアルバイトをしました。

「仕事が見つかるだろうか?」という心配がなかったわけではありませんが、スキルがあればきっとなんとかなると思っていました

結局年の暮れに、 採用定員1名の枠に入り、就職が決まりましたが、新卒じゃないのは私だけでした。よくぞ私を拾ってくれたと今でも感謝しています。

卒業から就職までのこの2年が今の私の基礎を作ったと思っています。この2年は寄り道をしましたが、学ぶことが多かった!

              

イギリスで生まれた’Gap Year’は、高校卒業から大学への入学までの期間 を長めに設定して、その間に大学では得られない経験をすることが推奨されています。ワーキングホリデーで海外に出て活動する人、国内でボランティア活動する人など様々です。日本でも東大など秋入学を設定した大学で、このGap Yearは益々広まっています。

先日5月21日 NHK「クローズアップ現代」でもこのGap Yearが取り上げられていました。大学を休学してフィリピンの村で英語を教えている青年などが紹介されていました。みんな真剣です。

机上で学べることは限られています。想定外の「困難」を体験しないと「問題解決能力」や「チャレンジ精神」は育ちません。その意味でも、Gap Yearは若者にチャンスを与えてくれると期待します。

若い頃の1年2年なんて、あとからいくらでも取り返せます。こういう寄り道こそが今の日本の若者に必要じゃないでしょうか 

               

さて、我が家の長男も休学期間2年がそろそろ終わりに近づき、帰国準備にはいったようです。アジア、アフリカでのボランティで1年、次の年はカナダでの語学留学のはずが、いつのまにか「オーロラ・ツアーガイド」として働き、ただ今南米旅行中。

この経験がどう彼の人生に活かされていくか、とくと拝見いたしましょう  

当たり前のことに感謝しよう

2013-05-17 | 子育て
突然ですが連休明けに肘の手術をしました。

2年前からパソコンの使いすぎで腱を痛めて骨に炎症がおきていました。我慢していましたが仕事にも日常生活にも支障がでてきたので手術する決心をしました。

しかしながら利き腕である右手が使えない不自由さは想像を超えていました
(実はこの原稿もiPhoneのsiri(音声入力)で書いてます、というか、口述)

例えば、
左手しか使えないのですが、お風呂でその左手が洗えない。
ドライヤーで髪をセットできない。
歯ブラシにうまく歯磨き粉が乗せれない、などなど。

はさみを使おうものならお手上げです。

左手で箸も使えないので、今までにもう少し使えるように練習しておけばよかったと反省しています。
両手が使えることが当たり前になっていて、右手が使えるということに感謝をしたことがありませんでした。不自由をして初めてわかる感謝です。

            

私たちが住む日本は、少なくとも飢えで死ぬようなことはありません。豊かなものにも囲まれた生活ができます。それなのに毎年たくさん出る自殺者。飢餓に苦しむアフリカで自殺者はいません。

文部科学大臣の下村さんがおっしゃっるように、これだけ恵まれた国に住む私たちの幸福感が低いのはどうしてでしょうか。

「その大きな理由は
 人が人としてどう生きるかという
 人間学の部分が戦後教育で大きく欠落してきたためです。

 教育の本質的部分のあり方に関して
 いま時代の大きなターニングポイントを迎えているような気がします」

(月刊 致知 6月号より)

当たり前にあることにも感謝すると言う基本的な気持ちがもてないのは、やはり教育(家庭教育を含め)が低下しているのではないかと懸念します。


先月のタイムマガジンの特集 「世界で最も影響ある人100選 (The 100 Most Influential People on the World) 」に、パキスタンのマララさん(Ms. Malala Yousafzai)が選ばれました。女性にも教育が必要と唱えた15歳の少女がバスの中で、タリバーン勢力ゲリラに銃で撃たれ瀕死を負ったニュースは多くの方の記憶にあると思います。私にとってもショッキングなニュースでした。

その後彼女は命をとりとめ元気になりました。今はイギリスの学校に通いながら、女性の教育の必要性を唱えて活動を続けています。なんと言う勇気でしょうか。

私たちは当たり前に学校に行けます。しかしそのことについて感謝をしている人はどれぐらいいるのかな?
ニュースをもとに親子で対話するのもいい方法でしょう。


常日頃、日常生活の中でも、当たり前のことを当たり前と思わずに、感謝の気持ちを持てるように子どもたちを導きたいと思います