少し前のことですが、尖閣諸島問題がニュースを賑わせていた頃、新聞を読んでいた私は隣でご飯を食べている次男に「ねえねえ、どう思う?」と聞いたところ彼はこう答えました。
「興味ないな」
その一言を聞いて、これはまずいと思いました。
今の若者は「関係ない」とか「関心がない」とか「興味ない」とよく言う、と何かで読みましたが、「息子よ、おまえもか・・・」と思ったのです。
地球に住んでいて、同じ地球でおこっていることが自分に「関係ない」はずがありません。
私 「どんな問題か知ってる?」
息子 「知らない、興味ないもん」
おいおい、違うでしょ。情報を知った上で、これには「興味ない」というのならいざ知らず、知りもしないのにどうして「興味ない」と結論づけるのか?私には理解できません。
私 「あのさ、知らないのにどうしてそんなこといえるの?」
息子 「うーん だって関心ないもん」
私 「同じ地球でおこっているんだから、関心をもちなさい あなた、そのままではつまらない人間になるよ」
息子 「・・・・(しばらく考えて)わかった、関心もつようにする」
結局その時は私が事件の内容を説明し、彼なりに考えを話して終わりました。
それから、親として考えました。長男は大学で国際関係学を専攻し、年に2回一ヶ月の日程でタイに開発協力のボランティアに出かけています。この長男と次男の差はなんなのか?
思い起こすと長男は読書が好きで、本だけでなく「朝日こども新聞」「中学生新聞」を購読して読んでました。次男も低学年までは読書をしていましたが、それから漫画に移行して、とんと活字を読まなくなりました。テレビのニュースは私たちとかろうじて見ているものの、情報量に格段の差があることに気がつきました。
世の中が情報にあふれていても、それを取り込む力が次男にはないのかもしれません。
それからは、私が毎日の新聞から記事をピックアップして読ませ、意見を交換するようにしています。幸い我が家は子どもたちが小さい頃から夕食は家族そろってとるようにして、いろんなことを話してきましたので、この時間がチャンスです。
「ねえ、これ読んでみて。おもしろいよ」と声をかければ「どれどれ?」と読みます。そしてそこから自分の考えを確認し、お互いにシェアし、会話も広がります。
まわりの大人が情報のアンテナをはって、子どもたちと向き合って供給していけば、彼らの「興味」を育てることができるかもしれません。興味が育っていけば、きっと自分の意見も持てるようになると期待しています。
「興味ないな」
その一言を聞いて、これはまずいと思いました。
今の若者は「関係ない」とか「関心がない」とか「興味ない」とよく言う、と何かで読みましたが、「息子よ、おまえもか・・・」と思ったのです。
地球に住んでいて、同じ地球でおこっていることが自分に「関係ない」はずがありません。
私 「どんな問題か知ってる?」
息子 「知らない、興味ないもん」
おいおい、違うでしょ。情報を知った上で、これには「興味ない」というのならいざ知らず、知りもしないのにどうして「興味ない」と結論づけるのか?私には理解できません。
私 「あのさ、知らないのにどうしてそんなこといえるの?」
息子 「うーん だって関心ないもん」
私 「同じ地球でおこっているんだから、関心をもちなさい あなた、そのままではつまらない人間になるよ」
息子 「・・・・(しばらく考えて)わかった、関心もつようにする」
結局その時は私が事件の内容を説明し、彼なりに考えを話して終わりました。
それから、親として考えました。長男は大学で国際関係学を専攻し、年に2回一ヶ月の日程でタイに開発協力のボランティアに出かけています。この長男と次男の差はなんなのか?
思い起こすと長男は読書が好きで、本だけでなく「朝日こども新聞」「中学生新聞」を購読して読んでました。次男も低学年までは読書をしていましたが、それから漫画に移行して、とんと活字を読まなくなりました。テレビのニュースは私たちとかろうじて見ているものの、情報量に格段の差があることに気がつきました。
世の中が情報にあふれていても、それを取り込む力が次男にはないのかもしれません。
それからは、私が毎日の新聞から記事をピックアップして読ませ、意見を交換するようにしています。幸い我が家は子どもたちが小さい頃から夕食は家族そろってとるようにして、いろんなことを話してきましたので、この時間がチャンスです。
「ねえ、これ読んでみて。おもしろいよ」と声をかければ「どれどれ?」と読みます。そしてそこから自分の考えを確認し、お互いにシェアし、会話も広がります。
まわりの大人が情報のアンテナをはって、子どもたちと向き合って供給していけば、彼らの「興味」を育てることができるかもしれません。興味が育っていけば、きっと自分の意見も持てるようになると期待しています。