英語と子育て

英語を通して子どもたちの夢をサポートするブログです

プレゼンのスキルアップ

2015-02-23 | 子育て
みなさんは人と話す時、相手の目をみて話していますか? 

お買いものをしてレジで精算する時、レジの人はこちらを見て「ありがとうございます」と言っているのに、お財布におつりを入れて、さっさと立ち去ることってないですか?

私も急いでいると「どうもありがとう」と言って、相手を見ずに立ち去って、「あっ、しまった!」と思うことがあります

では、お父さん、お母さんは、お子さんと目を見て対話していますか?

たくさんの子どもを教えていると、目を見て話すことができない子がたくさんいることに気が付きます。

一瞬見てくれても、すぐ視線が落ちてします。見つめあうことができません。

   

10年以上も前のことですが、年長さんのある男の子はすごく活発で聡明なのに、目を見て話すことができなくてとても気になりました。

お母さんとどうしてなんだろう?と話した時に、お母さんはしばらく考えてこうおっしゃったのです。

「そういえば、普段私は息子の目を見て話をしていないし、目を見る時はたいてい怒っている時です 

ああ、それだ! と思いました。

目をみて楽しく会話する習慣がついてないんですね。

それでおうちで、「だるまさん」と毎日、その男の子とやっていただくようにお願いしましたら、だんだん彼は目をみて話せるようになってきたのです。

英語圏ではコミュニケーションをとる時の「アイコンタクト」は不可欠。反対に目を見て話していないと、相手がちゃんと聞いているのか、はたまた「なんかたくらんでいるのか?」と思われても仕方がありません。

ですから、私のスクールでは徹底的に  目を見て話すことを子どもたちに伝えています。

というのは、大きくなってからこの「アイコンタクト力」はなかなか身につかないからです。

まずは目をみることから訓練しようと、今年度はレッスンで「工夫をこらしてアイコンタクトをとるゲーム」「大きな声を出すゲーム」などに力をいれてきました。

そうするとどうでしょう! 目をみることに慣れてきたり、大きな声を出して意味を伝えるってことはこういうことかってことが体験できるようになりました。

去る2月21日(土)はスクールの集大成であるプレゼンテーションコンテストを開催しました。

各教室からの代表が集まってファイナルコンテスト、総勢63名の子どもたちが素晴らしい表現力を披露してくれました。

レッスンで少しず培ったプレゼンテーションスキルが確実にアップしたことを目の当たりにして、私を含む審査員一同が大変感激しました。

受賞者のプレゼンをスクールのFacebookで公開しましたので、是非ご覧くださいね。

音楽と情操教育

2015-02-09 | 教育一般
その昔、長男がバイオリンを習っていたある日、合奏をするグループレッスンの時に先生のお友達という青年が蓄音機を持ってやってきました。

子どもたちは蓄音機などというものを見るのも初めてだったのですが、その時にかけてくださったのがクライスラーのレコードでした。

CDで何回も何回も聴いて弾く練習をしていたので、耳には馴染んでいるはずなのですが、目を閉じると、クライスラーが今そこに居て「愛の喜び」を弾いているような感じがして、とても感動したのを覚えています 

先週末、同僚と名古屋の宗次ホールで開かれた赤松林太郎氏のピアノコンサートに行ってきました。

とてもこじんまりしたホールなのですが、暖かい雰囲気が素敵なホールです。

「闘うピアニスト」と称される赤松氏は、36歳にしてハンガリー国立リスト音楽大学の講師としても活躍していらっしゃるだけに、そのピアノは激しく、リストにしてもアクロバット的な技法を見事に聴かせてくださいました。

なによりびっくりしたのは、普段チェロやバイオリンで聴くピアソラのタンゴを力強く演奏してくださったことです。奏でる音楽がまるでホールの天井や壁から降ってきて身体にさせるように感じました。

実はこのコンサートの途中でミニトークがありましたが、そこにテレビでよく拝見する武田邦彦先生が登場して「音と情操教育と脳科学」についてほんの少し語られました。

そのお話の中で興味深かったのが、音と脳の関係です。

先生曰く「都会の音の音域は限られているけど、自然界の音は全音域」―要するに自然界に身を置いていると聴覚が研ぎ澄まされていくんですね。そしてそれは脳にも影響していると。

実際、音というのは「耳」でキャッチしているけれど、聴いているのは「脳」であるということです。

田舎より都会の人の方が認知症の方が多いというデータもこういうところから来るのではないか、と武田先生はおっしゃっていました。

数日後、赤松さんのピアノをCDで聴いたのですが、コンサートで聴いたものとは別物だと思いました。やはり「ナマの音」というのは心にも脳にも響くのでしょう。

私は母がピアノ好きだったこともあって小学生の頃から毎年中村紘子さんのクリスマス・コンサートに連れていってもらって、ナマの音を聴くチャンスがありました。これも「情操教育」のひとつでしょう。

暗記中心の学科勉強以外にも、こうして音楽などを通した情操教育で、子どもたちの脳が育ってほしいと思います。

私はというと、これからもナマの音を聴きにコンサートに足を運びたいと思います。

認知症予防にもなるかしら?

「叱る力」と「叱られる力」

2015-02-01 | 子育て
新卒者の3年離職率が高いそうです

どうやら打たれ弱い若者が増えているらしい。これじゃあ上司は以前のように部下を叱りとばすことができない。

子どもを叱れない親も増えているそうです 「子どもに嫌われたくない」「友達関係みたいな親子関係が理想的」とか。

家庭で厳しく叱られた経験がない子どもが成長して社会に出て、赤の他人に叱られたら、そりゃあ、傷つくでしょう。

阿川佐和子著「叱られる力」を読みました。

その中にでてくる泉谷しげるさんの弁。
「親なんてものは嫌われる動物なんだから、嫌われることを怖れてたらダメなんだ。」

「 親はそもそも理不尽な動物である。(中略)とりあえず親のいうことに従わないと、ご飯も食べさせてもらいえないし、暖かい部屋にも入れてもらえない。理不尽だと思いつつ、その中で生き伸びるすべを身につけていくのが子どもの仕事だと泉谷さんはおっしゃる」(p.119)

脚本家の大石静さんは、
「親がうるさいから早く家を出たいって思うのが子どもでしょ。子どもに自立してもらいたいと思ったら親は嫌われる存在でなくちゃ。」(p.121)

まるで我が家のようです 

高校生になるまで携帯電話を買い与えなかった息子たちとしょっちゅうバトルがありました。

「み~んな、持ってるんだ」という息子たちに「これが的馬家のルール。嫌なら出て行ってほかのおうちの子になりなさい。」と何度言ったことか。

「~くんのお母さんは、母さんより3倍優しい」というのが彼らの口癖でした 

実はこの言葉の根源は私の父にあります。阿川さんのお父様(作家の阿川宏之氏)も相当「恐い人」だったらしく、本を読む限り私の父とかなり似ている。

ですから、私自身、阿川さんと同様、一日も早く大人になって経済的自立をして家から出たいと思っていました。

そして私の息子たちもその「早く自立したい」気持ちを受けついているようで、長男は大学にはいって早々に学資仕送りを「いらない」と言ってきました。「そのかわり、いちいち口をださんといて」と。

まあ、それまでに散々叱って、いいことと悪いことを叩き込んでおいたので、一人暮らしをしても世間に迷惑をかけることはないだろうと思いました。

また、私が社会人だった頃は上司に怒鳴られるなんてことはよくあることで、トイレに駆け込んでは「くそっ!(はしたない言葉でごめんなさい)、今に見ていろ!」と涙ながらに誓ったものです。

それにひきかえ今の子ども。
うちの次男は高校1年生の夏休みに知人の温泉旅館で働かせてもらったのですが、帰ってきた時はげっそり。丸一日部屋に閉じこもり、出て来て言いました。

「どうして赤の他人に、あんな理不尽な叱られ方をされなきゃいけないのかわからない」とぼそり。

聞くと慣れない厨房での作業で240人分の夕食のおつけものをよそうのが遅くて、コック長に叱りとばされたらしい。それが「屈辱的だった」らしい。

あらあら~。
それが社会なんだよ、きみ。・・・これからそんなことはいっくらでもある。いい経験をしたね、と慰めましたが、私の叱り方が足りなかったかと少々反省しました。

「理不尽」が人を育てると、伊集院静さんは言っておられますが、私も同感です。

長男と私のバトルを見ている次男は、親に叱られないようにうまく生きてきたのです。

「叱る」ということは、かんしゃくとは違って、その人のことを考えているから「叱って」いるのです。その人に関心がなかったら、叱る必要なんかない。

ですので、私は学生でも社員でも「この人ならきっと学んでくれる」と思う人を叱ります。それも今はかなり気を遣います。

その叱り方のコツを�鷏ライフバランスアネジメント研究者の渡邉卓さんが「借りてきた猫」と表しています。(p.88)

か:感情的にならず
り:理由を話す
て:手短に
き:キャラクター(性格や人格にふれない)
た:他人と比較しない
ね:根にもたない
こ:個別に叱る

のだそうです。

なるほど~、私の父のように、「なんで叱られたか、胸に手を当ててかんがえろ!」な~んて叱り方はもうできないのですね。やれやれ~。

「恐い人」がいなくなったら人間おしまいなんですけどね