英語と子育て

英語を通して子どもたちの夢をサポートするブログです

英語になった日本語

2016-06-08 | 教育一般
私が留学をしていた1980年頃は、カリフォルニアでもまだ「豆腐」は珍しくて、ちょっと高級そうなヘルシーフードストアにちょこんとのっているのを見つけたことがあります。

「え~」と声をあげるくらい高い値札の横に'TOFU'と書いてありました。 知らない人はこれだけじゃ、なにがなんだかわからないだろうな~と思いました。

その豆腐、以前は'bean curd'と言って説明しましたが、ちっとも理解されず、ある意味「謎の食べ物」でしたが、世界に和食ブームが広がり、今や英語の'Tofu'で通じるようになってきました。

和食ブームのおかげでたくさんの日本語が英語化しています。気が付いただけでも、例えば、

sushi 寿司
tempura 天ぷら
wasabi  わさび
sukiyaki すきやき
teriyaki てりやき
miso   みそ
sake   酒

食以外でも私のスクールの講師は「karaoke」「karate」「anime」「tsunami」を知っています。

先日カナダ講師と話しをしていて日本文学の話題になった時に彼が'harakire'(と私には聞こえた)と言いました。「なんのことだろう~」とよくよく聞いていればなんと「腹切り=切腹」のことでした。

グローバル化が進むと言語もグローバルになるんですね。英語の世界で日本語が使われる例がどんどん増えています。

先月のTIMEマガジンに掲載されていた記事がこれ ↓



「え~、先輩って今や英語!?」とおどろきました。

昔見た映画で「カラテキッド」というのがありましたが、この映画で「カラテ」「センセイ」というのは出てきていました。今や「センパイ」も仲間入りなんですね。

そんな中でも「ガイジン」という言葉だけは使わないように気を付けたいです。

「ガイジン=外の人、よそもの」というイメージから、差別をされているような気持ちにさせてしまうようです。

あるアメリカ人が「ガイジンは差別用語だ」と言っているのを聞いたことがあって、私たちが何気なく使っていても、そうなふうに受け取られるのは危険だなと思いました。

日本語はわからなくても、この「ガイジン」という言葉を理解できる人も多く、誤解を生まないように、「外国人=他国出身の人」と言うように気を付けていきましょう。

これもひとつの「国際化」だと思います 

懐かしいタイプライター

2016-06-01 | その他
NHKの朝ドラは録画して夜見るので私にとって「夜ドラ」なんですが、最近はタイプライターが出てくるので大変懐かしく見ています。

私の母は若かりし頃、検察庁のタイピストをしていました。

漢字をよく知っているからタイピストになるといいと勧められたそうです。

朝ドラの常子よりはちょっと若いですが、「職業婦人」のハシリでした。


私が物心ついた頃は、我が家の部屋の片隅に和文タイプがあって、私が眠る頃も「カチャカチャ」と音がしていました。

和文タイプは平仮名からカタカナ、漢字までが並んでいて、一文字一文字それを探して打っていきます。但し、並べ方は不規則。使用頻度の高いものが真ん中に集まっています。

引き出しをあけるインクの匂いとともに、もっとたくさんの文字が並んでいて、触るとザラザラしていていました。

そんなわけでタイプライターを打つ母の姿は私にとって憧れのひとつでした。


私が大学生の頃は授業科目に「秘書実務」というものがあって、多くの友達がとっていました。秘書としての事務、マナーに加え、英文タイプを学ぶ授業でした。

ただ、当時私は秘書になるつもりがなかったので、その科目をとらなかったのですが、それを後悔したのは留学時代。レポートをタイピングしなくてはいけないのに、基礎技術をしらないので、ものすごく時間がかかったのです。

帰国後、三か月の集中コースに通いました。一日5~6時間タイプの練習です。おかげであっという間にブラインド・タッチができるようになりました。

が、しかし、英文タイプが高価すぎて自分では買えず。。。


そんなある日、電車の中で見つけた落とし物の茶封筒を届けたら、思わぬ謝礼をいただくことになりました。

あまりに謝礼が高額で申し訳ないので辞退したのですが、「それなら何か欲しいものはないですか?」と落とし主に聞かれ、即答で「はい、英文タイプが欲しいです!」と 

そういうわけで念願の英文タイプライターを手に入れたのですー黒いMARUZENのタイプライターでした。


英文タイプライターは私の宝でした  

社会人になってからは提出書類から、英文レターまでどんどん打ちました。 お友達にプレゼントするオリジナルミュージックテープのタイトルも英文タイプで打ちました。タイプした文字はなかなか恰好よく見えました。

1980年半ばから文書作成は、英文タイプからワープロ、そしてコンピューターに移行しましたが、培った技術が無駄にならなかったのはありがたいことです。


コンピューターが家庭で普及しだし、私の数々の英文タイプライターも10年くらい前には不要となりました。

息子たちが小学生の頃は、学校でもコンピューターを操作することを学び、家でもキーボードを触るようになりました。

両手の人差し指で、ひと文字、ひと文字打っていたので、ゲーム感覚のタイピングCDを与えたら、あっという間にブラインドタッチができるようになりました。

今の子どもたちにとってキーボードは非常に身近な存在になっているでしょう。これも文明の進化です。



でもね、あのタイプライターの軽快な音と「チーン」という音色はPCからは聞けないですね~ 


久しぶりにルロイ・アンダーソンのタイプライターを聴いてみたくなりました。