英語と子育て

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ネパールを訪ねて~その4(最終回) 首都 カトマンドゥというところ

2014-05-28 | その他
ネパールの首都カトマンドゥは標高1330mの盆地です。ヒマラヤから下ってきた私にとって最初に見た光景はまったく「別の国」という印象でした。

中心地の大通りは車が行きかい、何よりすごい数のオートバイが車より優先して走っています。しかし、まったく信号がない!! 想像してみてください、名古屋の栄の広小路通りとか東京の銀座の通りの交通量で信号がないのです 

いったいどうやって車は行きかっているのか目を見張っていると、なんとなく流れがきれそうなところで最初の車がつっこみ、ほかの車が追従するといった感じ。

ガイドさんに「これで交通事故はないのですか?」と聞いたら「いや~多いです」って そりゃあそうでしょう。
でも、本当に多い時間帯には警察官が出てきて、手で信号の役割をしていました。すごい埃と排気ガスですから大変なお仕事です。

「どうして信号はないのですか?」と聞いたら、「いや、ありますよ、見に行きましょう」と連れていってくれました。

連れていってもらった大通りには確かに信号機がある。それも日本から寄贈されたそうなんですが、機能していなどころか、ものすごい埃がかぶっていてほとんど見えません。その大きな原因が「電力不足」です。

ネパールは主に水力発電をしていますが、電気をインドに売っているため、自国の電気量は非常に限られていて、一日のうち12時間停電しています。カトマンドゥの6つの地域が計画停電をしています。ですから信号機があっても、電気がないから作動しないわけです。

電気も足りないし、水も足りないし、不便はいっぱいあるけれど、それでも人々は朗らかで陽気です 

 道行く若者たち

ヒマラヤは「チベット」という感じがしましたが、カトマンドゥは「インド」という感じがしました。それはヒンドゥー教を国教としているからでしょうか、現在でも80%以上がヒンドゥー教、仏教が約10%、残りがイスラム教などその他の宗教です。

女性のほとんどがサリーや「クルタ・スルワール」と呼ばれるものを着ています。「クルタ・スルワール」というのは長袖で襟がなく、両脇にスリットのはいった長い上着「クルタ」にゆったりしたズボン「スルワール」をはいて、胸元にショールを巻くスタイルです。ガイドさんによると既婚者は「サリー」、独身者や若者が「クルタ・スルワール」をだいたい着ているそうです。「クルタ」の方がバイクに乗りやすいので若者中心に人気があり、サリーが着られない女性も増えているとか。日本の着物と同じだなあ、と思いました。
 
「クルタ・スルワール」を着た少女

さて、このカトマンドゥでは2つの世界文化遺産を見てきました。

スワヤンブナート Swayanbhunath
緑に囲まれた丘のてっぺんにあるヒマラヤ最古の仏教寺院です。

昔は湖だったこの地に現れた寺院。ヒマラヤの各地でも見た「ストゥーパ」と呼ばれる巨大な像。密教の本尊仏、大日如来の像です。

眉毛と目と鼻が描かれてあります。 
この日も正装した多くの人が長い階段を上って巡礼に来ていました。

曼荼羅の絵や像を売っているお店が並んでいました。ガイドさんから大乗仏教、小乗仏教、密教など説明を聞きましたが、今まで全然知らなかった自分が少し恥ずかしくなりました。

 
世界最古の仏像

ダルバール広場 Durbar Square
ガイドさん曰く「カトマンドゥの銀座です」




「ダルバール」というのはネパール語で「宮廷」という意味。

かつて君臨した3つの大国時代には宮廷広場として栄えました。確かに本当に人も店も多い! 


その一角に「クマリの館」があります。
ここには女神クマリの化身として崇拝される少女が住んでいます。ですから「クマリ」とは「生き神さま」・・・いったいどうやって選ばれるのかとガイドさんに聞きました。
「僧侶カーストであるサキャ家族から、初潮前のけがや病気の後のない美しく利発な少女が選ばれ、選ばれたあとは、両親のもとから引き離されて、神としてのふるまい方を教えこまれる」のだそうです。
私たちが訪れた時は、ガイドさんの計らいで、クマリが窓から少しだけ顔を出してくれました(撮影は禁止です)。
 
この二階の窓から顔を見せてくれたクマリ

それにしても、この子は大人になって家に帰って、どういう人生を過ごすのだろう~とついつい考えてしましました。


夜はガイドさんがネパールダンスを見に連れていってくれました。
到着したレストランでは、門のところで数名の男性が多いに盛り上がっています。
どうしたのか?と聞くと、「自家発電機がうまく作動した!今日は営業できるぞ!」って。

停電が多いので、ホテルやレストランは「自家発電機」を駆使しているのですが、そんな状況でもネパールの人はおおらかで陽気です。

さて、ネパール料理といえば「ダルバート・タルカリ」-豆(ダル)、ごはん(バート)、おかず(タルカリ)、漬物(アチャール)がワンプレートに盛り付けられてでてきます。


どれもおいしいですし、食物のバランスがうまくとれていて感心しました。前菜に「モモ」という皮がちょっと分厚い蒸し餃子がでてきます。これが非常においしい!
ちなみのこのモモはチベット料理にも出てきました。

 
チャイ
 
ヨーグルトのデザート



私たちはフォーク・スプーン・箸でいただきましたが、ネパールの人は右手で食べ物をつまんで食べます。手で直接食べるにはちょっと勇気が必要です

ネパールダンスは民族()によってさまざまですが、どの踊りも朗らか陽気でとても楽しい踊りでした。



今回の旅ではたくさんの異文化体験をしました。
まだまだ知らないことがいっぱいです。

でもそれらの知らないことを知る喜びを旅ではたくさん感じることができます。
若者にはどんどんいろんな土地を訪ねて、いろんなことを感じ考えてほしいですね。

ネパールでお世話になったみなさん、本当にありがとうございました!「ダンニャバード(ありがとう)」 


あちこちでみかける「ガネーシャ」像。頭が象です。

ネパールを訪ねて~その3 世界一高い山「エベレスト」を眺める

2014-05-23 | その他
今回の最大の目的は言うまでもなく、世界一高い山である「エベレスト」を見ることにありました。その高さ8848m。

ここを目指すクライマーは先回ご紹介したナムチェ村からエベレスト街道を高所順応をしながら2週間かけて標高5000mを超えるベースキャンプを目指し、そこから頂上を目指してアタックします。

私にはそんな技も体力もありませんし、ただただ山の美しさを見ることが好きなので、できるだけ近くまで行って眺めたいと思っていました。

実は標高3830mに日本人が建てたホテルがあります。その名は「ホテル エベレストビュー」---その名のとおり、ホテルからエベレストをはじめローチェ、アマダブラム、ヌプツェと7000~8000m級の山々が眺めらる雲の上のホテルです。私はここに滞在してエベレストを眺めるのが夢でした。それでナムチェから馬によるホーストレッキングにトライしました。
丘の向こうに見える白い山がエベレスト
ホテルに到着してエベレストとローチェを眺める

実はこのホテルは宮原さんという日本人が建てられました。ですから従業員の方々はみんな日本語が上手です。嬉しいことに到着したランチはなんと「親子丼」でした。


5月から雨季に入るため、お天気を心配していましたが、滞在した3日とも晴天でエベレストが大変美しく見えました。夕方から雨が降る時もありましたが、夜のうちにそれもあがり、朝5時30分ころにはきれいな日の出を見ることができました。
5:30の日の出

この高地の滞在では予想していなかったいくつかの初体験をしました。

 太陽が昇るとものすごく暖かい
実は、ホテルの部屋でも温度が5度くらい。石でできていますのでかなり寒いです。電気不足のため、限られた時間だけ使える暖房器具は小さな温風ヒーター。私はほとんど外出するときと同じような服装で過ごし、寝る時もフリースの帽子をかぶり、時には手袋をして、羽毛布団に顔までもぐりました。食堂の暖炉は夜に火がはいりますので、暖を求めて、滞在客が集まります。 私が泊まった時期は、地球の裏側のチリから約20名の団体がいました。
そんなわけで、朝の日の出がとっても待ち遠しかったです。太陽が昇ってくると、一気に暖かく感じました。
部屋から山々が見えます
私がはりついていたヒーター
食堂の暖炉

 高山病・・・・
「高山病」については聞いていましたが、今までスイスアルプスも行ったので、それほど深刻に考えていませんでした。しかし、ナムチェ村滞在から軽い頭痛が始まりました。ガイドさんが毎朝、体内酸素チェックをしてくれます。

同じ宿に泊まっていた日本山岳会のガイドさんが次のことをアドバイスしてくれました。
*体温を逃がさないこと:身に着けられるものはなんでも身に着けること。
*水分をとること:一日4リットルはとる→ただ、「水分をとる=トイレに行く回数が増える」のでなかなか飲む気にならないのが正直な気持ち 
*深呼吸を心がけること。なんでもゆっくり行動すること。

寒いので、のどが渇くわけでもないのですが、水分をとらなくてはいけないのが大変でした。暖かい飲み物(スープなど)をどれだけ飲んだことでしょうか。
高山病は酸素の取り込みがうまくできなくて、血流が悪くなり、頭痛、吐き気、下痢の症状がでてきます。普通、からだの具合が悪いと横になるのですが、からだを横たえるとよけいに酸素の取り込みが悪くなって、夜、寝ていても呼吸がしにくくなって2-3時間置きに目が覚めます。昼寝は絶対にしないで夜しっかり寝るようにするのですが、それでも熟睡できる人はほとんどいないとのことでした。

結局最終日の夜中にひどい頭痛と呼吸困難で目が覚め、一時間酸素ボンベを吸うことになりました。酸素メーターはずっと「80~90」で調子よかったのですが、この時の数値は「68」-「70」をきったら「高山病」です。普通に空気が吸える環境が本当に恋しかったです。


 お風呂にはいれない・・・
登山をされる方にとっては当たり前ですが、たとえホテル滞在でもお風呂ははいれません。寒すぎますから風邪をひきますし、第一、入る気になりません。ホテルにはバスルームもバスタブもありますが、お湯はでません。高地ではお湯が沸騰しませんが、ホテルではバケツに暖かいお湯を入れて運んでくださったので、一度だけ手足、顔をしっかりと拭きました。


私たち日本人は毎日のようにお風呂にはりますが、チベット民族にはお風呂に入る習慣がもともとありません。上下水道が完備されていませんから、蛇口をひねったらきれいな水が出るということも、ましてやお湯が出るということも考えられません。彼らは小川で水を得て、身体を拭くくらいなのだそうです。

そんなわけで、多少辛さもありましたが、エベレストを見るとそんなことも忘れてしまうほど、雄大で美しい山でした。
美しいエベレスト(8848m)とローチェ(8516m)

次回はネパールの首都カトマンズについてご紹介します。

ネパールを訪ねて~その2 ヒマラヤ―ナムチェという村

2014-05-14 | その他
カトマンズから昔は三ヶ月の行程だったというルクラ(2840m)にセスナ機で45分で到着。
4000~6000mの山と峡谷の間を縫うようにして飛ぶセスナが、たった一本まっすぐに伸びる滑走路に無事着陸した時は、私を含めた乗客16名が一斉に「やった~!」「ブラボ~!」と拍手をしました 


ルクラは登山者のエベレスト・トレッキングの起点となる村。多くの登山者はここからエベレスト街道を4~5日かけて歩き、 標高3440mのナムチェ村に到着します。

私は持病の腰痛を回避するため、ヘリコプターで3750mのシャンポチェまで登って、徒歩でナムチェまで下りることにしました。ここで高所順応のために宿泊滞在です。
 
*シャンポチェでヘリから降りたけど呼吸ができなくて立ち止まる私です 


このナムチェは高所順応するトレッカーが連泊するために、また、標高が高いところから降りてきた人にとっては、文明社会に戻ってきたことを感じさせる村です。

*眼下に見えるのがナムチェの村。屋根が色とりどりできれいです。

最初に訪れるのが村の東の丘にある国立公園博物館。私が登った日は天気がよかったのでここからエベレストのてっぺんが見えました。



この「エベレスト」は英語名で、本来ネパール語では「サガルマータ」と呼ばれます。中国名ですと「チョモランム」です。なぜ「エベレスト」と呼ばれるかというと、イギリス人の測量士だった人―ジョージ・エベレストにちなんで名付けたからだそうです。

さて、このナムチェはとっても活気のある村で、登山用品から食べ物、日用雑貨までなんでも手にはいります。週に一回は「ナムチェバザール」といって大きな市が開かれます。

道はもちろん舗装されていませんので、石畳あり、岩がごろごろしていたりしていますし、アップダウンが激しいですが、人々は大人から子どもまで平気で歩いたり走ったり。おまけに、急にヤク(Yak)やゾッキョ(ヤクと牛の交配種)が荷物を担いで集団で現れますので、ぼーっと歩いておれません。もっと気をつけなくては行けないのが、彼らの「糞」 道のいたるところに落ちています。


私のガイドさんはこれを「マウンテン・チョコレート」と呼んでいました 
ただ、これが臭くない。犬や馬だったら強烈な匂いですが、ヤクたちの糞は集めて乾かして燃料にするのだそうです。それでも踏まないように歩くにはちょっとしたリズムとスキルの習得が必要でした。


*ガイドのマヘンドラさんと。日本語ペラペラです。名前を何回も間違えるので、「前田でいいですよ」と言われてしまいました この写真は真面目な顔をしていますが、彼のユーモアにどれだけ助けられたか・・・


夕方、宿についてからは、とにかく身体を暖めないといけないと、チキンスープやガーリックスープを飲みました。地元の人たちもガーリックやジンジャー(しょうが)を料理によく使うそうです。


日本のように「暖かい宿」が当たり前ですと、かなり寒さを感じます。お風呂もシャワーもありませんし、あったとしてもとてもシャワーなんぞ浴びる気になりません。暖炉の火は夜にならないとつけません。しんしんと冷えてきます。

ベッドの上にシュラフ(寝袋)をひいて、フリースの帽子をかぶり、手袋をして潜り込みました。ありがたかったのは、なんと「湯たんぽ」を貸していただけたことです。


窓から見えるコンデ峰(6187m)は本当に美しかったです。


次回はいよいよエベレストをご紹介します。

ネパールを訪ねて~その1 ヒマラヤの子どもたち

2014-05-09 | その他
今年のゴールデンウィークは長年の夢だったエベレストを眺めにヒマラヤに行ってきました。4回にわたってその旅の様子をご報告します。

ネパールの首都カトマンズからセスナ機に乗ってルクラという峡谷にある空港へ到着。ここですでに2840m。石の階段を上るだけで息が切れます。そしてルクラからヘリコプターで標高3750mのシャンポチェ空港に到着。空港といっても、だだっぴろい平原に掘立小屋がぽつんと立っているだけ。こんな山々の高地によくぞこんな空港を作るものです。
ヘリコプターから降りて荷物をしょって数十歩歩いたら、心臓がバクバクしました。空気がかなり薄い感じがします。

この高地には中国のチベット自治区に接しているため、人も住まいもチベットの装いをしています。おうちは石を積み上げて作ってあります。大人の女性の多くはお尻まである長い髪を三つ編みにしています。紫外線が強いのか、誰もが肌は日に焼けていて、笑うと白い歯がきれいです。





私は高所順応のためナムチェ(3440m)で一泊した後、8848mのヒマラヤ、8516mのローチェ、6856mのアマダブラム、そして6608mのタムセルクが目の前に広がる「ホテル エベレスト・ビュー」に滞在し、ここからクムジュン村・クンデ村までトレッキングをして訪ねました。



クムジュン村にはエベレストに初登頂したイギリス人のヒラリー卿が建てた「ヒラリースクール」があります。小学校から高校まであり、200~250人の子どもたちが学んでいます。みんながこの村に住んでいるわけではなく、多くが1時間半以上かけて山を登ったり下りたりしながら通っています。

 「Hirary Schoolの門」
「ヒラリー卿の像」

私は高所に慣れないため、ゆっくり歩いては止まり、時々水分補給をして深呼吸しなくてはいけなかったのですが、子どもたちは大声で歌ったりおしゃべりしながら通学していました。どの子もおしゃれな制服を着ていました。

また高学年には寄宿舎に寝泊まりして勉学に励んでいる子もいます。この寄宿舎は日本の長野県松本からの寄付金によって建てられたそうです。山を愛する土地同志の交流があるのです。



私が訪れた時は10時の授業開始前だったので、みんな元気に登校したり校庭で遊んでいました。


「こんにちは」という挨拶は、胸とのころで合掌して「ナマステ」といいます。私は逢う子ども一人一人に「ナマステ」とあいさつしましたが、どの子もにっこり笑って、必ず「ナマステ」と返してくれるので感激してしまいました。

日本では「こんにちは」とあいさつしても、目を合わさなかったり挨拶をしない子がよくいるのですが、ここの子どもたちにはそういう子がいませんでした。

午後からクンデ村まで足を伸ばしたのですが、道でたくさんの子どもたちにすれ違いました。みんな頭から背中にかけて、いろんなものを背負っています。ガイドさんに聞くと、子どもたちは学校から帰った後、生活に必要な水、物資などを運ぶのだそうです。


乾季はほとんど雨が降らないので、水は大変貴重です。お風呂に入る習慣はなく、川で水浴びをしたり、身体をさっと水拭きします。それでも生活に水はかかせません。蛇口をひねったらすぐきれいな水が出てくる日本とは違います。必要な水は人力で運ぶしかないのです。

ある時私の前を幼児が通り過ぎました。片手にはなんと、水のタンクを持っています。1リットルくらいのタンクでしょうか・・・・びっくりしました。
おうちのところに立っていた母親に身振り手振りでこの子の年を尋ねたら、「4歳」と手で示してくれたので、ものすごく驚きました。
こんな幼児でも水を運んでいるのです。

う~ん、ヒマラヤの子どもたちはたくましい!