カリフォルニアに留学している頃、'Language buddy'(言葉のともだち)みたいなシステムがあって、お互いの言語を教えあうという活動に参加していました。
その中のひとりの男の子はアメリカ人だったんですが、ロシア語も含めて7か国語も操るつわもので、今度は日本語をマスターしたいってことでした。
「太郎が」と「太郎は」とどう違うの?
と聞かれて、絶句したことだけを覚えています
自分の母語なのに何も満足な説明ができず敗北感が残りました
世界で難しい言語トップ3に入る日本語
それにしても、言語ができる人って特別な脳を持っているんじゃないか、とその時思ったわけです
夏以降、スクールの外国人の先生たちのリクエストで日本語を教えています。
英語は完ぺきではないけれど、日本語はネイティブだから、まあ、できるだろう~と軽い気持ちで引き受けましたが、これがなかなか
私 「こんにちは! 今日は何月何日ですか?」
生徒 「ジュウイチガツ サンニチ デス」
私 「そうね、「三日」だから「サンニチ」だよね。」
「でも「ミッカ」って発音するんだよね~ 」
生徒 「~~~」
と、いきなり日にちからつまづく。
ああ、そうだった、日本語の数量詞(quantifier)。。。。。難しかったんだった~
こうなるとドリルしかないので、毎回、言う練習をしてます。
「おうちでも毎日言おうね~」と励ます私。
そして次の関門
私が英語を勉強していた頃からいつもつまづくのが「前置詞」のような意味のない「機能語」ですが、彼らにとっても日本語の「助詞」はクセモノです
単語の後ろにつきますので「後置詞」とも呼ばれますが、この助詞によって「主格」とか「目的格」の「格(case)」が決定するので、明確な説明をしたいけれど、しすぎるとこれまた難しい。
久々にあの留学時代の苦い経験が頭をよぎります。
それでも、言語学と外国語教授法を学んだ経験に助けられて、当時よりはよっぽどましに教えられるようになりました
そして、耳で覚えたものとすり合わせていくのが一番納得できる、ということを最近発見しました
結局、日本語も英語も教え方はそう違わない。
ただ、言語の複雑さを考えると、やっぱり日本語、一筋縄ではいかない言語だと再認識しました。
そんな言語を母語にしている幸福感を感じながら、みんながどんどん上手になっていくのが嬉しくて、あれやこれやと日々考えながら楽しんでいる今日この頃です
もうちょっと日本語、研究してみよ
その中のひとりの男の子はアメリカ人だったんですが、ロシア語も含めて7か国語も操るつわもので、今度は日本語をマスターしたいってことでした。
「太郎が」と「太郎は」とどう違うの?
と聞かれて、絶句したことだけを覚えています
自分の母語なのに何も満足な説明ができず敗北感が残りました
世界で難しい言語トップ3に入る日本語
それにしても、言語ができる人って特別な脳を持っているんじゃないか、とその時思ったわけです
夏以降、スクールの外国人の先生たちのリクエストで日本語を教えています。
英語は完ぺきではないけれど、日本語はネイティブだから、まあ、できるだろう~と軽い気持ちで引き受けましたが、これがなかなか
私 「こんにちは! 今日は何月何日ですか?」
生徒 「ジュウイチガツ サンニチ デス」
私 「そうね、「三日」だから「サンニチ」だよね。」
「でも「ミッカ」って発音するんだよね~ 」
生徒 「~~~」
と、いきなり日にちからつまづく。
ああ、そうだった、日本語の数量詞(quantifier)。。。。。難しかったんだった~
こうなるとドリルしかないので、毎回、言う練習をしてます。
「おうちでも毎日言おうね~」と励ます私。
そして次の関門
私が英語を勉強していた頃からいつもつまづくのが「前置詞」のような意味のない「機能語」ですが、彼らにとっても日本語の「助詞」はクセモノです
単語の後ろにつきますので「後置詞」とも呼ばれますが、この助詞によって「主格」とか「目的格」の「格(case)」が決定するので、明確な説明をしたいけれど、しすぎるとこれまた難しい。
久々にあの留学時代の苦い経験が頭をよぎります。
それでも、言語学と外国語教授法を学んだ経験に助けられて、当時よりはよっぽどましに教えられるようになりました
そして、耳で覚えたものとすり合わせていくのが一番納得できる、ということを最近発見しました
結局、日本語も英語も教え方はそう違わない。
ただ、言語の複雑さを考えると、やっぱり日本語、一筋縄ではいかない言語だと再認識しました。
そんな言語を母語にしている幸福感を感じながら、みんながどんどん上手になっていくのが嬉しくて、あれやこれやと日々考えながら楽しんでいる今日この頃です
もうちょっと日本語、研究してみよ