聴覚を失った中で音を紡ぐ
ベートーベンが晩年聴力を失った事は、広く知られていることだが、現代の日本にも、聴力をうしなって交響曲を作曲する人が現れた。
作曲は聴力と重大な関係があり、聴力を失う事は即作曲を不可能にすると常識では考えられている。
しかし僕は自分が作曲することについて考えてみると、元はイメージであり音は関係ない。言葉から来るイメージや、もっと広い範囲からやってきて心をふるわせるものが音群となってメロディーを構成する。
僕が作曲する場合極度に精神を集中させイメージに沿った音群を絞り出し、それを楽譜に書き留め、楽器を使って音を確かめ、不自然だと思う所を編集して曲を完成させる。
この延長線上で聴力を失った作曲家、佐村河内守氏の作曲のケースを考えてみると、心の琴線によるオーケストラか、それとも実音を伴うオーケストラかの違いはあっても曲は存在しうる。
そうはいつでも管弦楽法や和声学や対位法などなど諸々の技法が身に付いていないと交響曲は書けない。
やはりある種の天才だろう。ちなみに彼のCDは10万位売れたそうな。クラシック畑では稀有なことである。