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日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

暴力団稲川会の石井進会長

2009年01月08日 | Weblog
暴力団稲川会の石井進会長は次のように言った。

イ 生きるや死ぬやの瀬戸際にはいつも神や仏がいる
ロ 私等の生き方は極端で変化のうすいサラり一マンの安定した生活が一番幸せである。


感謝

2009年01月07日 | Weblog
感謝
1、人生の目的は、幸福感に包まれて暮らすことである。

2、幸福感とは、過不足なく心が満たされて、心がほのぼのとした情感に包まれる     ことである。この時の心理状態は満たされて、いうことがなく何物にも感謝し
   たくなるような心境である。

3.感謝とは「ありがたい」と感じている時の心理である。

4、この世の中で一番あいがたいことは、親の恩である。 無私、献身、我が子の生命を   守り育てる為に、親が払うわが命さえもいとわない自己犠牲は何よりも大きいも
   のあり、その愛があるからこそ、今の我が存在し得るのである。

5、子は親に、親はまたその親に,・・ ・・・と塑っていくと神仏にぶち当る。、
だから感謝の対象は直接的には親であろうが、それが一般化されると神仏と
いうことになる。
祈り→幸福→感謝→神仏、親

姥捨て

2009年01月07日 | Weblog
165 姥捨て 人生には、悲しみが影の用に付きまとう。姥捨て発せられて江戸時代の経済的事情にとって代わって、人情の希薄さから現代も行われている人気のない山奥に捨てられるか、老人ホームと言う囲いの中に捨てられるか、集団の姥捨ては現代風でほほえましい

労働者派遣法の原則自由化

2009年01月05日 | Weblog
労働者派遣法の原則自由化

90年代後半から労働者派遣法の原則自由化などが急に進み、非正規社員は3人に一人。経済危機に直面した企業の多くは、手に入れた柔軟な仕組みをためらうことなく使った。

資本主義経済にあって利潤を追求するのは当然の話である。だが利益が出ないからといって、そこで働く労働者を安易に解雇してよいと言うことは絶対に許されない。

企業は利潤追求の場であると同時に、社会的な存在でもある。景気不景気の波だけでそこに働く者の生存権まで奪うことは許されない。
 株主配当を0にしてでも従業員の生活を守るという部分がすっぽり抜け落ちて、決算書の利益がどうなるかが重視されて企業行動が決定されていく。これでは社会的存在としての企業存在の意味は吹っ飛んでいることを意味する。 社会貢献を最優先すると言う会社もある中で、大企業から真っ先に 雇用調整という名の下に解雇すなわち労働者の生存権を奪ってしまう
もしこれが資本主義社会のデメリッだとすれば、その修正は今回の状況を踏まえて即刻なされるべきだ。勿論労働行政を司る政治にも大いに責任はある。

株主 経営者、労働者、企業に関係する人は沢山いても最終的に守られなくてはならないのは、人間の生存権である。どんな社会であってもこれだけは守らなければ成らない。

ぎりぎりの線である。人を殺して会社が生存して何の意味があるのか。

文化遺産

2009年01月04日 | Weblog

1、現在に残る文化遺産の大半は搾取され、犠牲になった人々の血の跡がにじんでいる。
2庶民から搾取した金で権力者は文化遺産のパトロンとなった。だが文化遺産は1人権力者の者だけではなくその世代に生きていた人々全員のちからの賜物である。
文化遺産は人類の財産と言うのは、こう言う意味で正しい。
3、庶民の犠牲なくして、立派な文化遺産が残せたら、それは最高だ。作る側も支える側もこう言う事実に目を向けるべきだ。
4、いつも思う。文化遺産は人間の命を食うが、それでもやはり値打ちのあるものだ。ただ命の犠牲はできる限り少なくする。それが英知と言うもんである。

仕事

2009年01月04日 | Weblog
                   仕事
 
仕事は人間にとって不可欠のものである。もし人間から仕事を取り上げたならば、人は必ず退屈する。そして大抵の場合不善をなす。 小人閑居して不善をなすと昔の聖賢も教えているではないか

正月に考えたこと

2009年01月03日 | Weblog
正月に考えたこと

薄日の差す穏やかな正月だ。今年も穏やかな日が続くことをこいねがう。
そうは思うけど、昨年の金融危機以来経済の根底が揺れている。
どんなことをしようとも、考えようとも、高邁な理想を吐こうとも、人間には1日3食の飯と暖かい寝床が必要である。緊急の課題としては、難民村の開設も必要だがこんなものはあくまで緊急避難的なものである。恒久性はない。人間のいのちは日々継続されるのに。

やはり失業者をどうするのか根本的な政治的施策が必要であることは論を待たない。
この国のリーダーは政治家であれ、学者であれ、識者であれ、議論はいつも上滑りである。現実に根ざしたものは皆無で議論を聞いていて腹立たしい。要するにエリートが空論を論じている構図で腹の底に伝わってくるものがない。
今から考えると人材の規制緩和は完全な間違いだった。これは働く側と雇う側とは対等ではなく経営側に都合の良い面が多いことをはっきり露呈した。あれだけセーフテイネット が叫ばれながら、実は中身は何もなかった。だから網から大量の失業者があふれでたわけで、これは自然の成り行きである。そこには人間の英知は見えてこない。人間は寿命が尽きるまで生き続けなくてはならない。その原資は労働によって生活費を稼ぐことにある。ところが働くところが無くては収入が無く、生活が成り立たない。
こういう現象は景気の善し悪しとは次元の違う話である。
経済界のリーダーは雇用の確保は景気の向上だと言うが、これは考えようによっては暴論である。景気が良かろうが悪かろうが、人間は生きて行かなくてはならないのだ。その生存権をどのように保証していくのか。これは国を挙げて考え対策をこうじていかなくてはならないことだが、問題が露呈して始めてつぎはぎのパッチワークでその場限りと言われても仕方ない小細工をして逃れようとする。GDPが何位だとか問題にする前に中身を充実して国民の生存権を守ることを真剣に考え無くては成らない時が来ている

気 の充実

2009年01月01日 | Weblog
中国の書物を読んでいて 気 の事にひっかっかった。元気 気力など確かに 気 なる者ものが存在する。その 気 によって心が動かされ、それによって行動が生じるとすれば気の充実を図ることが大切である。近頃全くその 気 を失っている我が身なればなおのこと 気 にかかる。何か一つでも人生で仕上げなくては思っている自分にとっては、今年は 気 が重要なテーマになりそうだ。