日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

チャオプラヤー

2009年01月26日 | Weblog
チャオプラヤー

バンコクには良く来る。
と言うよりここを起点として東南アジアを1人旅しているのである。熱帯だから熱いが、僕は寒いより暑い方がまだましである。旅をしてよその国に行き一番快適な気温などもとめる方が無理に決まっている。陀kら少々の暑さは我慢するようにしている。

ひょっとすると輪廻転生するずっと昔は熱帯に住んでいたんだろう。加えて大阪や東京の様に便利であるにも拘わらず物価が安い。ものにもよるが、主食のラーメンはまず十分の一である。60円か70円出せばタイラーメンは食える。マグロの刺身は東京からその日の内にここの持ってくるから高いのは当たり前だ。それでも日本風の食事は日本並だ。米だって日本から持ってくるので、タイ米のようにふっと匂う事はない。書物とかその手の物は日本より高いが、わざわざここまで来て、買わなくても日本で買えばいいことだ。

僕が1番気に入っているのは、エアーチケットが安いことである。日本から、インドへの直行便だったら安くても8,9万円はするが、バンコクでカルカッタ行きの航空券を買うと安さが身にしみる。

カルカッタたったら日本円に直して2万円も出せばおつりがくる。今まで、何回かインドに行ったがいつも6万円台である
カオサン通りで格安チケットを買うのは、間違いなくやすい。

バックパッカーを自認する僕はいかに安く、安全に旅をするかが、誇りである。
そのために神経を使うことはもちろんであるが、情報を集めにも真剣である。
こういう観点からも、カオサンは僕にとっては不可欠のところである。

ボートからは 西日の陰になって、ワットアルンは墨絵の影絵になっていった。
修復のために足場を組まれ、見ることも出ない時もあったが、今朝は優雅な姿を現していた。
特に涼しい風が吹く夕方は、船の1番後ろの甲板に立って、その優しい姿が見えなくなるまで見つめてた。

夕風 が頬を通り過ぎて行くと、ひとり旅の、えもいえぬセンチメンタルな気分が体全身を包み込む。それはノスタルジアてやり、寂しさであり、前進するための力でもある。

後ろに乗ったボートの車掌ともいうべき、青年は 太い綱を持って舟を固定し、乗客の、乗降を助ける。その見事な綱裁きが笛の合図によって船頭と気の合ったところを見せる。
出発、前進、左寄せ、右寄せ、後退など、およそ必要なことは、この笛ひとつで事足りる。笛を使うことによってまるで自分の手足の1部かのごとく上手に操る。

かって、大阪伊丹空港でタイ航空機が機械の故障で、片足が出なくなりあわや、胴体着陸かと心配したことがあったが、まるで、飛行機は水面をすべるかのような見事な着陸を成し遂げた。もちろん事故はなかった。この時タイ人の器用さが大きく報道され、拍手喝采を受けた。ぼくはこのことを、思い出した 。
この、ボートの見事な操船ぶりを見ている、とタイ人の器用さを改めて思い知った

そんなに便利で涼しく、しかも料金ガ安いチャオプラヤーボート・サービス
を知るまでに、3、4年かかった。それまでカオサンに行くには、いつもタクシーを使っていた。

バンコクの道路は、ものすごい渋滞が起こる。眼と鼻のところであっても、この渋滞に巻き込まれれば、一体いつになったら目的地に着くかわからないし、お金がいくらかかるのか、それすらも定かでない。
何回かタクシーを利用して渋滞て、懲りたのでトクトクに変えてみた。これはタクシーよりはましだが、排気ガスをモロに受けて走るので、喉が痛くなる。タオルで口をふさいだが、乗った翌日は黄色い、タンが出る 。明らかに、健康に、良くない。

しかしボート・サービスは、特別な場合を除いて排ガスの被害を受けることもなければ、大渋滞に、巻き込まれることもない。

ついでながらこの便利で、快適なボートサービスに、ただ乗りをしたという女の子が現れた。1泊、何万円、もするような、豪華なホテルに泊まりながら、これは1体どうしたことか。落差が大きすぎる。僕は、彼女が、どうしてただ乗りをしたのかということについて興味を持った
彼女が言うには最初から、ただ乗りをする予定ではなくて、どうすれば、よいのかわからなかったので、たまたまお金を払わなかったというだけのことである。そうだろうよ。

ぼくは金額やルール違反のことではなくて、今まで聞いたこともない、話だったから、興味を覚えた。
よくやってくれたな、というのが僕の率直な、感想である。不慣れとはいうものの、若いということもあり、また無鉄砲だということも言えるが、話題としては彼女はおもしろいは話題を、提供してくれたれた 。